どんよりと曇り空の土曜日の朝を迎えている。気分もまた同じように晴れない。イスラエルとパレスチナの正視にたえない映像は、(報道されない映像がほとんどであろうと想像する)この世の地獄そのものである。
78年前の広島、長崎、東京をはじめとする大都市圏も時代が違うとはいえ、言葉を失うほどの地獄絵惨状であったのだろう。体験したことがない世代として、綴り打つことが虚しくてならない。だからこれ以上の言及は止す。ただ一個人として、人類の上に降りかかっている、ウクライナ他、戦争地域、その他報じられる扮装地域の国々に暮らす、数多の普通の人々の困難を想像すると、五十鈴川だよりを打つ一人の老人として、解決の糸口が見つからないかのような歴史的世界が厳然と存在することに、絶望的に憂鬱になる。
今朝も運動公園にいって、老人ライフ、ゆっくり大地を踏みしめ裸足散歩を行ってきた。地球の反対側ではイスラエルとパレスチナの間で、複雑極まる歴史の糸がほどけないほどに絡まり、戦争になっている。
穏やかに裸足で秋の朝を、過ごせることの平和(この言葉が日常生活のなかで軽くなっていると感じるのは私だけではあるまい。平凡のありがたみはなくしてみないとわからないというのが、人の世の常なのかもしれない)のありがたさをひしひしと感じた。
ひしひしと感じるからこそ、五十鈴川だよりを打つのだろう。老いたりとはいえ、日常生活のなかで揺らぎ、揺蕩い、様々なことにおもいを馳せながら生きる。それが私にとっての当たり前なのである。遠い国の出来事、皮膚感覚では知覚できない、耳を塞ぎたくなるかのような悪夢のような映像に無感動、無感覚になってしまったら、終わりである。
もっと老いて、そのような感覚に自分がなってしまったら、五十鈴川だよりを打つのは止めると思う。いまはまだ辛うじて五十鈴川だよりに打っておかねばという気持ちがあるのが救いである。
五十鈴川だよりというよりは、最近は老いの五十鈴川だよりになりつつあるのをどこかで、自覚していて、正直自分の皮膚感覚に遠い出来事を、五十鈴川だよりに打つことは、気があまり進まないのだが、世界が嫌でも抱え込まざるを得ないようなような、気が遠くなるほどの難問課題に、無関心を決め込むようになったらそれこそ高齢者である。(と思う)
日常感覚と非日常感覚の加減をいったり来たりすることのなかで、感性のアンテナに耳を澄まさないと危ない。善きにつけ悪しきにつけ、平和ボケではなく、平和にならされると思考低下は免れない。だからなのだと想う、五十鈴川だよりを打つのは。打つことでなにがしかの思考が起きる。答えを求めて生きるのではなく、知らないことをわずかでも知る。その事を続けることで安易な思考の落とし穴にはまらないように、留意したい。
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