我々老夫婦は、この間密に葉くんとのつかのまの2日間を過ごした。一昨日は玉野の入り江に設けられた海水浴場で(娘は幼馴染みと再会交遊)旦那さんの周さんと我々4人で、午前中お昼近くまで、葉くんと遊んだ。初めての葉くんとの海水浴、もちろん葉くんにとっては自分の足で胸まで海水に浸かりながら歩くという体験は初めてである。
葉くんの・命を浴びる・老いの夏 |
その場におじじとして立ち会うことが叶って、私としてはつかの間の幸福感に酔った。私は娘二人しか育てた経験がないので、男の子の扱いはまるでわからないが、そこは男同士私なりのやり方で、自然体でいつも葉くん望晃君と遊んでいる。
妻はもっぱら写真と動画で記録係、私と周さんとで葉くんのお相手をした。そのいちいちを私の文章力では到底表せない。一言爺バカ承知で打っておきたい。葉くんは好奇心がいっぱいで、最初は恐る恐るであったが数十分もしないうちに自分の足で歩くようになった。未知との遭遇、好奇心が人間を育てる、と私は確信する。
そして昨日午前中、朝一番お墓参りを済ませ、再び(むすめは家で昼食の準備、天ぷらをあげ素麺をゆでてくれていた。午後イチ大学の友人宅にゆく予定があり別行動)我々4人で長船にあるプールへ。9時過ぎについたらなんと我々氏かおらず、約一時間以上ほとんど貸しきりで、幼児用プールで葉くんのお相手をしながら、時おり大人用のプールで泳ぎ、妻もともにプールに入り、葉くんと遊んだ。
葉くんはプールがすっかりお気に入り、時間が来たのでプールから上がろうとすると、泣いて周さんを困らせた。夢中になって遊んでいるのを中断させられたのであるから、泣いて抗議するのは当たり前である。が仕方がないのである。こうやって葉くんは成長してゆくのである。
午後3時、岡山の友人宅で娘をピックアップして空港まで行き、次女家族を妻と見送った。この慌ただしくも楽しいひとときは瞬く間に流れてゆき、葉くんの笑顔泣き顔しぐさのいちいちが今も脳裡をめぐる。その帰りきぬ2才の輝きの一瞬を、わずかでも五十鈴川だよりに打たずにはいられない、お爺である。
数年前には存在していなかった命。そして今2才の命を眩しく浴びる老いゆく私。その摂理、命の循環の有り様を、私は蝉時雨を聴きつつ静かに受け止めている。そして想う、一年でも長く孫と遊べるお爺であるべく、老いをいかに生きるか自分に問うのである。
PS 父親である周さんが(長女の旦那さんも)実に豆に葉くんのお相手をしていることに、私は感動を覚えた。
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