ページ

2023-08-11

次女夫婦が昨日帰省しました。老母にわかに活性化、そして想う8月11日の朝。

 ひさしぶりに余裕をもって五十鈴川だよりが打てる、夏の静かな朝である。昨日午後次女夫婦と先月24日で2歳になったばかりの葉君がやって来た。というわけで一気に我が家は葉君中心に賑やかになり、91才になる義理の母が、ことのほかの喜びようで活性化、夕刻葉くんのお相手をくたびれるであろうに、しっかりと楽しんでやっていたことに、驚かされた。

2歳になったばかりの葉君の後ろ姿

その事は老いてゆくなかで、ある種の喜びをいかにキープして行くことができるのか、個人差があるとは思うのだが、我が母の振るまいには心が動かされ、葉くんの存在がいかに老いてゆく人間に与える大きさを、感じないではいられなかったことを、打っておきたい。

さて話題を変える。梅雨が明けてからのこの猛暑、(これからも続くだろうが)を今のところ、肉体労働を続けながら、自分のやりたいこともやりながら、充実した夏を過ごせている。

報道では熱中症という言葉を聞かないことがないくらいであるが、私はあくまで自分の体の声を聞くように心かけ、とにかくよく食べ、よく休むようにしている。以前も打った記憶があるのだが、ことさらな暑さ対策はしていない。特に私は肉体労働者であるので、家族はとても心配してくれる。

その事はとても有り難く受け止めているが、私はこの年齢で、動けて働ける場があることに、言い知れぬ喜びを日々感じながら働いている。もしこの場がなかったら、きっと私はオーバーではなく生き甲斐のひとつが失せてしまうほどの打撃を受けるに違いない。

だが、特にコロナ禍に入ってからの3年間以上、天空の下今も働いていられることのありがたさは、言葉では言い表せない。遠い将来きっと肉体労働者であることは諦めなくてはならないだろうが、そのときはそのとき、きっぱり諦められるように、今をしっかと生きて働くのである。

五十鈴川だよりを打ち始めて12年目に入っている。12年前、娘たちはまだ学生であったし、当たり前孫も私にはいなかった。(今私は3人の孫に恵まれている)これから私にどれ程の人生時間が与えられているのかは神のみぞしるであるが、私はもうほとんど先の人生に思いを馳せることはなくなってきている。一年一年をいかに生きるのか、生きないのかという念いしかない。

もっと打てば、一日一日、与えられた命を気持ちよく大事に生きたいということのほかに、もうなにもないのである。限りあるエネルギーを大切に、孫や家族、友人、私にとって大切な人たちとの時間を最優先に、生きたい。

と、まあ今朝はこのような五十鈴川だよりになってしまったのは、きっと91才の母の振るまいを見て、いつの日にか自分もあのように振る舞いたいと思ったからである。

0 件のコメント:

コメントを投稿