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2022-06-25

梅雨とこれからの猛暑の季節、体の手入れ心身を整える方法を、生活しながら見つける朝。

 前回の五十鈴川だよりの続きというわけではないのだが、養老孟司先生が、日々折り合いをつけながら、どこかで手入れをするかのように日々生活してゆくことの、大切さを説いておられた。然である。

手入れの思想というようなことを、おっしゃっておられたのだが、手入れをしないと畑でも、見るに見られないほどの、雑草だらけの菜園場になってしまうので、努めて根気よく小さな菜園場の手入れをしながら、今日の午前中はすごそうと思っている。


ミニトマトが色づき始め、シシトウも茄子も実をつけ始め、枝豆も根付き始めたようなので、水をやりにゆかねばならない。何事もそうは簡単に実りはしない。手間隙を惜しまずまるで自分自身を手入れするかのように、菜園場のくさとりをしながら過ごすのである。

夏至のこの時期の草の伸びる勢いには圧倒されるが、そこをいい加減に手いれをしてしまうと、無惨な菜園場と化してしまうので、ここはひとつ限りなく昔人にでもなったかのように根気よく草を抜いて、自己満足的に菜園と雑草の区別が一目瞭然となり、いわば愛すべき菜園場にするための労を惜しんではならないのである。

なす一個であれ、シシトウであれ実をつけてぶら下がっているのを収穫するときの喜びは、やはり手をかけたからならではである。

ささやか、ここに極まれるとでもいうしかないが、私にとっては土との戯れの成果、お金に依存しないくても、限りなく居心地よく日々を送るための生活の知恵を、体が喜び気持ちのよい事に喜びを見つける、のだ。

梅雨の時期の、まだ6月なのに猛暑日が続きそうないまの季節、心と体の手入れを古希男としてはきちんとやらないと、大変なことになる、とまあそのようなことに想いをいたすのである。畑の手入れは、まさに己の手入れでもあるのだ。

一事が万事家の拭き掃除などにも言えることなのだが、ひとつのバロメーターとして、自分自身の意欲力キープのための体の手入れをを、できるだけ楽しく行うのである。五十鈴川だよりを打つことで、心身を整え、今日やることやれそうなこと、心身が気持ちよくなることを、見つけるのである。

とまあ、ここまで打ってきて今日一日やることがほぼ決まってきた。すっかり外が明るくなり、窓からは青い空には雲が浮かんでいる。菜園場が私を呼んでいる。涼しいうちに草取りと水やりを済まそう。

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