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2021-07-25

昨日早朝、次女に第一子男の子が生まれました。うたかたの蝉しぐれを聴きながら、想う。

 極めて個人的な事を綴り打てる老いの一滴、五十鈴川だより。昨日早朝午前6時過ぎ、次女に待望の男の子が無事に生まれた。義理の息子から、産まれましたあ、のメール、その後すぐに電話があった。息子はコロナ渦で母子に面会できないけれど、父親になった喜びが、聲から直に伝わってきた。

私は電話ではなく、母に知らせるべく、自転車に飛び乗り報告した。米寿を一人生きる、母は相好を崩した。暑さを一蹴するかのような朗報。その後一時、家族間でしばし祝福メールのやり取り が飛び交った。予定より早く、予期せぬ思わぬ喜びの展開に、私と妻は、わけのわからぬよかった感にしばし浸りきった。

ころなの猛威のなか、真夏のオリンピック開催直後にこの世に顕れた男の子である。長女の男の子とは、また違う感慨が私の中に静かに湧き上がっている。

もう何度もかいているが、若い頃の私は、親になるのがどこか怖かったし、家庭を持ち父親になれるなどとは思いもしなかったが、気が付いたらどしょっ骨の座った女性のおかげで、二人の娘の父親になれ、その娘たちが、それぞれ母親になれたことに、どこか夢を見ているかのような 、コトバかしがたい思いにとらわれるのである。

37歳で父親になった、なれた時に想ったことを今でもはっきりと思い出すことができる。二十歳までは何が何でも育てると固く決意したことを。二人の娘は私の思いをはるかに超えて、信じられないほどすくすくと育ち、あっという間に巣立っていった。

子育ての秘密なんてものはない。恥ずかしいから打たないが、母親の愛情がすべてではないかと私には思える。男親はうれしくもかなしくも、母親と伴走する同士(志)である。ほとんど何も余計なことは考えず、ただ働いた。そしていま想う、振り返り、二人の娘たちが思春期を迎えるころまでの、親子4人での生活が人生の黄金期であったのだと。

そして古希を目前 にしてあらためて思う。二人の娘にそれぞれ男の子が授かり、二人の孫のおじじに突然なり、そしていよいよ考える。

孫たちのためにも、娘たちのためにも、未来のおじじとしていかに存在してゆけばいいのかと。3歳の孫の日々成長する姿、そして生まれたばかりの孫の存在は、私の未来の足元を照らす、希望の明かりである。

物言わぬ赤ちゃんの存在は、たとえようもない。まさに神からのプレゼント、しばしの摂理的預かりものというほかはない。この小さき存在に、巡り合えた時に、(突然我が家にやってきた)私は信じられないほどのエネルギーが湧いてきたことをいまだ忘れてはいない。娘たちの存在が私に全うに親として生きる意味を教えててくれたのである。

再び、娘たち未来家族を、宇宙の地球の片隅でささやかに見守りるべく、おじじとしての在り様生きる意味を、突然この世にあらわれた孫(たち)の存在は啓示、導いてくれる(ように思える)。


 


 


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