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2021-07-21

賀川豊彦氏の存在を知り、著作に触れ、そして想う夏の朝。

 私は賀川豊彦という、キリスト者であり作家であり、その生涯、まさに奇特な稀人というしかない生涯を生きたかたの存在を、土取利行さんに教えていただくまで全く知らなかった。

この数日、猛暑の中ゆっくりと氏の書かれた【一粒の麦】という 書物を読み進めている。賀川豊彦氏の略歴を読むと、1888年に兵庫県に生まれ、1960年にお亡くなりになっている。(ルーツ、両親は徳島県、徳島県には賀川豊彦記念館があるとのことなので、訪ねたいと思っている)

一粒の麦。氏の本を読むのは、【死線を超えて】に続いて2冊目である。私が今読んでいる文庫本は、1983年、社会思想社から出版されている。私が31歳、これからどう生きてゆけばいいのか、青春時代の終わり、いまだ悩めるハムレットの渦中を生きていて、富良野塾に入塾した年である。

あれから、38年の時が流れ、私は賀川豊彦氏の著作に土取利行さんとの、縁のおかげで巡り合えたことになる。生涯をキリスト者として生き、運命的に数奇にしか生きられず、絶えずキリスト者としての真摯な歩みを、自らに問い続け、数々の降りかかる困難をものともせず、閉じた生涯の本にこの歳で巡り合えたのは、何かの機縁で結ばれているのではないかと、ふと物思う私である。

私はまったくといっていいほどに、特定の宗教には縁がなく、どちらかといえば極端に走らない、無節操極まる、森羅万象、万物の存在に感謝し、ご先祖に向かって祈るくらいの、手を合わせる程度の信心しか、持ち合わせていない凡夫である。(だが今後はいよいよもって私にもわからない)

話を変えるが、私が賀川豊彦氏の著作を読み進めることができるのは、今を生きる私にとって氏の書かれている当時の 時代背景、庶民の生き難き生活の内実、事情が生き生きと活写されていて、言葉の力によって多くの生活困難者、底辺をまるで出口無し、過酷極まりない貧民窟の暮らしの人々の姿が、これでもかと浮かび上がり、私のささやかな老いの想像力を打つからである。

明治、大正、昭和の激変に続く激変生活のなかでの(そしておそらく令和の今も、飢えてはいないにもせよ、庶民の本質的な、弱者の生活環境は変わっていないように思える。心の飢えという意味では、現在の方が酷薄であるかもしれない、私が実際のいちいちを深く知らないだけで)一般大衆の生活の大部を、子育てを終えた私はあまりにも知らない。

賀川豊彦氏の書物は知らしめる力がいまだ十分に存在する。機械化される前、デジタル以前の生活の様子が、生々しく言葉が私に迫り打つ。まるでノンフィクションのように、神の代理人のように、庶民の苦悩の困窮改善に、キリスト者として見て見ぬふりができない。その点は真にキリスト者として人生を生きられた中村哲先生をほうふつとさせる。 

いかに生きてゆけばよいのかを、キリスト者として敢然と言葉を紡いで吐き続ける姿真摯極まる文体は、凡夫に今を生きる初老の私にも 迫り打つ。そして私の個人的かろうじての記憶の原風景ともいえる、機械化される前の農村、漁村の人々の生活の姿が、読んでいるうちに忽然と蘇ってきた。

記憶の底に眠っている脳のシナプスが、攪拌され呼び覚まされる。氏にしかなしえない文体は、時空を超えてキリスト者ではない私にも迫ってくる。そして今更ながらに真の意味での知ることの大切さを私に教える。曇りのない目で、想像力を全開にして未知の世界を読み進む、ついこの間までの日本人の、私を含めた多くの人々が忘れてしまった生活の記憶を。老いゆく自由時間の在り難さのなか、読む力を、勇気を持たねばと念う、のである。





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