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2019-09-23

10月からシェイクスピア遊声塾の塾生が7人になります、そして想う。

台風の余波も我が家の近所は大したこともなく、雨も降っていない。窓からは厚い雲がゆっくりと移動しているのがのぞめる。若干風の音がするが穏やかな夜明け前の朝である。

さて、自分の今の暮らしの自由時間の中での、やることの優先順位の中、6月から道場に通って的前に立って弓の稽古を辞めたことを、五十鈴川だよりには書いている。

が、娘たちが使っていて今は私が使っている2階の部屋は広くて、立って弓をひくことができる。そこにはレイさんからもらった巻き藁が設えられている。

暑い夏は無理して巻き藁をすることをほとんど控えていたが、秋の到来と共に過剰な負担を体にかけない範囲で、少しづつ再開している。なぜ道場に通っての稽古を辞めたのかを言葉で説明することは不可能なので、書くことは控える。

ただいえることは、道場への往復を含めた稽古時間が空いたので、五十鈴川だよりはもちろん、シェイクスピア遊声塾に関して、私がやらねばならないことに以前にもまして、よりじっくりと取り組めるようになった。

遊声塾をはじめて7年目、10月からは塾生が7人に増える。ただシェイクスピア作品が好きな私の塾に信頼して参加してくださっている塾生との、これからの稽古時間を最も大切にしたいとの思いが、より強くなってきている。

もう何度も書いているから簡略に記すが、あの長い膨大な台詞を胎から音読するのは、至難なのである。それでも、月謝を払ってまで参加してくださっている情熱のある塾生に対して私にできることは、誠実にその情熱に対応することである。

幸い初期のころから参加している塾生と、この数年の間に参加された塾生との関係性が実にうまく溶け込んで、それぞれの持っている個性が刺激し合って、ロミオとジュリエットに続いて取り組んでいる真夏の夜の夢の稽古が、7年目にしてようやくいい感じで実を結びつつある。

それはやはり、情熱と情熱が真摯にぶつかり合う無心の稽古から生まれる何かなのだろう。体と声には各個人の現在までの人生、歴史が、体験経験(怒り・喜び・悲しみ・痛み・苦しみなどなど)がすべてつまっていて、各塾生の個人史の上に刻まれた人柄、教養、知性、感性、センスが渾然一体、唯一無二の声となり、シェイクスピア作品の登場人物と格闘することで、その人ならではの意外なジュリエットになったり、タイテーニアになったり、ボトムになったりの予期せぬ化学変化が起きるのである。
日本で最初にシェイクスピア作品を翻訳された坪内逍遥大先生の本

予期しないこと、予期しない声が7人(私を入れれば8人)での稽古の間に最近起き始めたのである。それが私にとって最も面白い稽古である。人間の聲は相手との関係性、状況の変化、やり取りで今生まれた声音となる。変化しない声はつまらない。実人生はともかくフィクションの中では自由にはばたき変化したいものである。

真夏の夜の夢の恋人たちは、お芝居ならではの魔法の花の汁が原因で、誤解が誤解を生み果てしなくもつれ、身体の奥底に眠っていた深層心理が闇の世界であらわになる。これこそがデフォルメされた、奇想天外なシェイクスピア作品の醍醐味である。それを表現したいと挑戦する勇気ある塾生に今私は恵まれていることを想うのである。

だからなのである。この塾生たちとの稽古時間を先ずは第一有意義に過ごすべく、ない頭で知恵を絞らなくてはと考えるのである。そのためには私自身が良きコンディションをキープしないとまずいのである。

これ以上野暮なことを書くことは控えるが、お相撲でいえばやがては引退がやってくるる、が今しばらくこの塾生の方々と共に、土俵上での稽古ができる幸運を味わいたいと願うのである。

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