布団を敷いたらもうほとんどスペースがない。狭い、でも私は気に入っている。何か子供時代に還ったかのような気分である。人間なくなる時には畳一畳というではないか。
冗談ではなく、老いと共にこの世から消えてゆく準備の覚悟を持つためにも、時折の狭いスペースでの過ごし方を、と考えた方がいいのではと、想ったりしている。
枕元のほんのわずかのスペースに、パソコンや本、夜中の水分補給の飲み物などをおいて、寝る前の一時寝起きの一時を過ごすのもまた一興である。
私と妻だけなら寝起きと共に始動できるが、早起きの私が目が覚めても、ほかはまだ寝入っているので静かにしているのである。
とくに望晃くんがいるのでできるだけ静かに移動、皆が起きるまでは静かにしている。この五十鈴川だよりは、書斎にそっと移動して書いている。
ところで話を戻す。ひと月ほど前新聞で幕末の探検家松浦武四郎という方の記事が目に留まった。生誕200年、蝦夷地を北海道と命名した人とある。
このような記事を見つけると新聞を購読してよかったと思う。 |
記事を読むと、晩年古希を迎え有名な寺社の古材を集め、一畳敷という建物を建て、客人一人を迎えるのに十分であり、人生最後の時を過ごすユニークな書斎を創ったとある。
この一畳敷なる建物を再発見し、来歴や意味などを研究したヘンリー・スミス、アメリカ コロンビア大学名誉教授(日本近代史)のインタヴュー記事である。
死に臨んで人生を振り返る建物で非常に創造的な建物であると書かれている。現在その建物の原寸模型が、ICU(国際キリスト教)大学博物館に常設展示されているとある。
是非行ってみたい、幕末から明治にかけてこのような個性的な独自の発想で凛と生きた人物のことを初めて知ったが、松浦武四郎という方のことをもっともっと知りたくなった。
あわただしき世相には体がついてゆかないし、いまだ意識や体が興味や好奇心がおもむくものに、静かに収斂して ゆきたいと考える私である。
ともあれ、晩年時間を有意義に生きた先人たちの英知に少しでもあやかりたいと、大晦日の朝、物思いにふける私である。