爺バカになるし、孫の望晃くんの成長をこの目で しっかりと見届けてきた。レイさんと娘がしっかりと、二人で協力して、彼らなりの子育てを実践している様子に、安心と安堵と、いささかの感動を持った。
とくに男親の、レイさんのかいがいしさぶりには、(日本男子とはどこか異なる、うまく言えないが)感心した。(レイさんが口に運ぶ離乳食をガンガン望晃くんは食べていた)
ともかく、無心で親の愛情を受けながら、すくすく育っている望晃くんの天心爛漫な表情には何度も打たれた。
さて着いた翌日、娘たちの住む稲城からは、対極の千葉は津田沼に住む、兄の娘にも先月二人目の男の子が授かり、義理の姉が お世話のために駆け付けていたので、着いた翌日会いに行き、しばしの語らいの時間が持てた(母子ともに順調)。
その帰り、私が18歳で上京し最も世話になった、劇団民芸に所属する佐々木梅治先輩 と神楽坂で落ち合い、出遭っておおよそ半世紀、旧交を温めた。
この年齢になると、そうはなかなかにゆっくりと話をする機会も稀なので、私には珍しく事前にセッティングをしていたのである。
気が付くと5時間くらいあれやこれやと話し込み、 お互い健康で談論風発できる今を寿いだ。半世紀の時間が流れても、先輩はちっとも変わらない。
そのような関係性が交友として、今も持続しているのは奇跡的である。 そのことがこの年齢になるとよくわかる。
あらゆる関係性には旬というものがあり、季節のようにその旬は移ろってゆく。ましてこの半世紀の急激な全世界的な時代の推移の中での関係性の持続なのであるから、お互い感慨もひとしお、苦労が(私の苦労などは大したことはない)報われ地道に仕事が増えている先輩の姿に接することができるのはうれしく、稀なことなのである。
往復の新幹線で11講まで読み進む、すごい編集力 |
ともあれ、最初に行った演劇学校の仲間では、亡くなった方もいるしほとんど交遊関係がない中で、佐々木梅治先輩とだけは交友が続き、氏は初心貫徹、元気で活躍している。
そのことがうれしい。そしてやはり刺激を受ける。田舎から出てきて理屈ばか、りのいたらない私を、よくお世話していただいた。耳の痛いことを言われ、時に激論もした若き日の思い出がよみがえる。今となってはすべてが良き思い出である。
そのような先輩と巡り合えたわが人生の運命に感謝する。そのことをきちんと五十鈴川だよりに書いておきたい。
今回の上京では、ほかの方との予定は入れず、3日目は二人の娘と井の頭公園のタイ料理のお店で(レイさんと望晃くんもともに)ランチ。
夜は次女とお寿司をいただき、ゆっくりと近況を語らい。4日目は昼間神田の岩波ホールで【ガンジスに還る】という 映画を(よかった)観、夜は娘の手料理をいただきながら、レイさんとゆっくりと語らいのひと時を過ごした。
火曜日は、少しだけ神田の大好きな古本街でいっとき過ごし、お昼の新幹線で夕方には家に帰り妻と夕飯ができた。