春の海、ひねもすのたり、のたりかな、というあまりにも有名な句があるが、冬やすみ、ひねもすのたり、のたりかな、といった心持ちの今朝の気分。
冬の朝、身がきりりと引き締まり、意識がしゃんとしているのが確認できると、にわかに何か書きつづりたくなるのが、休日の一日の事始めという感じに最近なりつつある。
寒い中、その寒さの感覚をどこか遠くに感じながら、珈琲をいれ、いの一番リビングの薪ストーブに火を入れる。火が起きたのを確認して、パソコンの部屋に戻り、ちいさな灯油ストーブにも火をともし、部屋が暖まったら、そのストーブを消し、静かな中で意識を徐々に集中しながら、頭に浮かぶよしなしごとを、書きつづる。
書きながら、さあ今日はどのような一日を過ごそうかと、書きつつ考えているしばしの時間が、事のほかに大好きになってきた。(ようにおもう)
ゆらりゆらりとたゆたう意識が、何やらとしっかりと定着してくる感じで、つまりは気持ちが安定し夕方までにやることが、おのずと決まってくるのである。
月曜日は、カルチャーでのレッスンが(生徒さんは一人ですがこれが楽しいのです。生徒さん次第です)あるので午前中は決まっているのですが、午後は何をしようかなんてことを、考えるのは、本当にこの年齢なればこその,いわくいいがたい悦楽的な余裕時間なのです。
何事かに追いかけられることのない一日。まったく一日を思うがままに不安なく過ごせるなんて、ありがたきかな、というしかないのです。母曰く、健康なればこそなのだ、との重みが、身にしみて分かります。
身体が動き、ブログが書け、家族が元気である安心感。やりたいことが、次々に湧きおこってくる今の暮らし向き。地に足をつけて充足しながらの静かな生活。
あんなにも若いころ右往左往していたのが、我がことながら嘘のようです。これが歳を重ねるということなのかもしれません。世はまさに、インターネット、グローバル化大変動時代の(私もその恩恵を頂いています、絶対矛盾を生きながら)まっただ中。
高みの見物という言葉があります。私にはとてもそのようなことができませんが、限りなく土に近い、低みの見物で、時代の推移を見守るしかない、といった心持ち。
地下水のように流れ、地下生活者的気分で、普遍的な根のある暮らしを見つめ続けるいとなみを、継続する。
ということで、総選挙翌日のあさブログは、これでお開き。みなさん年の瀬風邪にご注意、私もようやく回復してきましが、身体がだるく喉に来てしつこいですから。
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