先週の水曜日の夜、父の弟、つまり私の伯父が亡くなったという知らせが届き、急きょ宮崎の故郷にお葬式に帰ることになり、かなりハードな日々を過ごし、それと寒波が重なり、体調を崩していたのだが、なんとか、身体がブログを書くところまで回復してきた。
小さいころの元気なころの伯父さんの記憶しかないのですが、これまでの生きてきた中で、最も余裕がある私の今の暮らしなので、お別れに足を運べたことがつくずくよかったと、今私は思っています。
父が亡くなった時にも思ったのですが、確実にやってくるこの最後の時、という時間にたどり着くまで、(とくに私の場合ですが、還暦を過ぎて後)いかように生きていったらいいのかということを、時折ヒトは元気に生きているうちに、しっかりと確認する、そのことの大切さを改めて思い知らされました。
お葬式のお別れの時間の儀式というものは、死者と対話をするという意味で、この旅の思わぬ帰省時間は、慌ただしき師走の最中に、何か重要ないい時間が私の中で流れました。
何十年振りかで、いとこや親せきの顔に接したりすることもできた。諸行無常の感の中に、皆おのおのしっかりと生きてきたのだという、思わぬ再会の喜びなんかもあったりして、ヒトはやはりいざという時の、態度や振る舞いに、その人なりの生きて歩んできた何かが、如実に表れるものだということも再確認しました。
初めて独りで車で、四国は八幡浜から大分の臼杵にフェリーで渡り、そこから兄の家まで、木曜日西大寺を午後一時半に出て、夜の十時過ぎに着きました。金曜日がお葬式、翌土曜日逆コースをたどり西大寺に帰ってきたのですが、土曜日何と八幡浜に着いたら雪でこれには参りました。
時間があったのでもうこんなことはなかなかないということもあり、車でのお遍路気分がてら反対方向に車をむけ、宇和島から高知周りで倍の時間をかけて、独り車旅をすることができました。
まだ師走も半ば、一年を振り返るにはまだ早すぎますが、本当に一瞬先は何事が起こるかはまったく予期できません。これだけのハイテクノロジーの時代ではありますが、ヒトは未だ彷徨い歩くしかない哀しき器、というのが偽らざる私の認識です。だからこそ面白く生きる。
逆説めきますが、ヒトはその悲しき器を、精一杯生きることが悦びにつながるような生き方を、探すしかないというのが、現時点での私の認識です。以前も書いたと思います。世の中に絶望したりするまえに、自分に絶望せず自分の中に希望を見つけてゆく。
そこにこそ、生きてゆく妙味が無限に展開される、突き抜けた者にのみ新たな景色が広がっているのではないかという気が、私は最近します。昔はいろんなすぐれた人に憧れたりしたものですが、還暦を過ぎてからこちらは、そのようなことは日増しに(なくなりはしないのですが)少なくなってきました。
私自身、何度も希望を見失いかけたのですが、(運が良かったというしかないのですが)いろんな方々のお導きの上に、ささやかに現在を生きています。おそらく全人類のすべての方々が、きっとすれすれのところを、自覚無自覚はともあれ、生きているのではないかと。
霜に覆われた葱畑、寒気団のなか、朝陽が刺し貫いてきます。夜が明け、私もまた再生する。その永久の繰り返し。永遠に一日を、ヒトは生きるしかない。私の姓名には日が高いという文字が入っていまして、地名や町名、川の名前なんかもあるのですが、私はお陽様を信じています。どんな雨や嵐の日も、お陽様は出ています。
お陽様と私は、一喜一憂しながら、つながっているこの安心感は、私の中では絶対的なものです。だからなのだと思います、私がほんのちょっぴリノー天気なのは。
ともあれ、久しぶりのブログ、指の動く通り、ここらあたりでお開きですが、今日は選挙の日。もうなにがあっても驚かない年齢です、が、ああ、この国民の選択が大きな歴史の禍根にならないように祈りながら、私は選挙にゆき、自分自身の希望は自分で見つけようと思案します。
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