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2014-11-19

高倉健さんが、おお亡くなりになりました。

高倉健さんがお亡くなりになりました。18歳で上京したころ、健さん(と呼ばせてください)のフィルムを、新宿や、池袋の映画館でオールナイトでよく見させていただきました。

短い時間では、とても書けない。ひとことお疲れさまでした、お安らかに、と我が五十鈴川だよりで書き記します。

あの時代の空気感が,切なく私の中に生々しく蘇ります。間接的であれ、大先輩と、昭和という時代の大部分を共有できたことは、かえすがえすもうれしく、今、思います。

なにがしかの思いを伝えることに、フィルムを通じて腐心されるお姿は、まさに感性の世界の住人にふさわしい生き方を全うされたように感じます。

時代に流されず、出演作品は少なくなるにもかかわらず、出る出ないとか、そういう次元を超えてかくも人生を賭して、映画俳優の道を全うされたことに関して、言葉がありません。

個人的に、い一度だけ私は健さんを見たことがあります。私が25歳の時、生まれて初めて有楽町の交通会館に、パスポートの申請に行った時、たまたま健さんがそこにおられました。上下のジーンズに黒い帽子、ひとこと、そのかっこよさに驚きました。雑踏の中で異彩を放っていました。

健さんは、撮影現場では座らないとの伝説を知りましたが、立ち姿があんなにかっこいい人は、後にも先にも見たことがありません。

私は女性ではないのでわからないのですが、男は(私は)どこかかっこつけるしか、ないという想いの中を、生きているような気がしています。

どこまで立っている姿が、しゃんとしているか、可能ならそのいくばくかを、健さんを見習って畑であれ、どこであれ立っていたいものだと、今あらためておもいます。

【あなたにほめられたくて】という健さんの本が書棚にあります。初版本、今となっては宝の本です。

昭和の大スター、夢を売る仕事に殉じた、高倉健さんのあの日の立ち姿は、これからはますます私の中で、生き続けるような気がします。

健さんの声が、いまだ頭の中を、駆け巡ります。これから畑にゆきます。可能な限り、男は立ち続けるしかない、とおもいます。

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