この夏は、なにやら天候がおかしいと感じるのは私だけではないだろう。急な雨が多く、画面を通して眼にはいる、過酷というしかない状況には、言葉がない。
もし自分があのような状況下におかれたら、いったいどのような心理状況になるのか、全く覚足ない。
映像はどこかで、人間の感覚を麻痺もするし、覚醒もさせる、もろ刃的なところを私は感じてしまう。
ある種の無力感にとらわれることが多いので、歳とともにだらだらとは見なくなった。どちらかと言えば私は映像人間だった、緩やかに緩やかに活字に人間に私は変化してきたように、自分では思える。
一方的な時間の流れの映像に対して、活字は自分の時間の流れで、ゆっくりと受け止めながら、想像力を働かせながら、読むことができるという利点があるからだ。
こうも忙しい時代を、あらゆる情報に取り囲まれながら生きていると、受信する力が確実に弱くなっていくことを、私自身はどこか恐れている。
人間は、というのか私自身は、ごく普通の最初に出会った我が両親から教わった、社会的な常識を、いまだ支えにして生きているかのような、社会的に見れば極めて大多数の、いわば庶民を生きる一人の人間だという自覚がある。
人間は、かすかにではあれ、なにがしかの希望や、生きがい、精神的な支えがないと、どこかしら精神が破綻をきたす、か弱い存在ではないかと思う。
少なくとも、私自身はそうである。だからなのかもしれないのだが、つとめて私は最近眼の前の些細な日常の細部、日々の生活を大切にすることを、なるべく意識的にするように心がけている。(大所高所から、物事を考えるのではなく、まずは自分の生活の足元を見据える)
言うは易く、行うは難しではあるが、なるべく自分の意識をそちら側に、持って行くようにしているのだ。ただ、気が進まなかったり、身体がしんどい時は、無理はしない。
このブログひとつもそうだが、あるがまま、自分と相談しながら流れてゆく。ただささやかに、日々を確認、自分に正直に、謙虚に在りたい。あらゆることが奥手で、気づきの遅い私である。
歳とともに、ようやくにして、知ることの楽しさが増してきた。落ち着いて新聞を読んだり、本を読んだりする時間を、一日30分でも一時間でも持つことで、静かに自分と向かい合うひとときが、私には必須である。
昨日の夕方一週間分まとめて新聞に眼を通し、ゆっくり読みたい記事は切り抜き、図書館にもってゆき、そこでゆっくりと読んだ。私の場合、読むところがだんだん限られてきているが知的、悦楽は、ありがたいことに深まりつつある。
日本語の文字を読むことは、私にとっては知的遊び瞑想時間だ。なにやら精神にたまった澱のようなものが洗い流されてゆく感じ、とくに知らなかったこと知った時は、身体がさわやかな気分に満たされる。
つまり、何やら元気になるのだから不思議だ。言葉、文字はどこにもゆかなくても、私を旅的感覚時間にいざなってくれる。浮世を生きるための知恵を授けてくれる。
【パソコンの調子が悪く、写真がアップできません。娘の結婚式を終えたら、新しいパソコンにします。それまでは、長年親しんだこのパソコンでの、文字だけブログになるかもしれません。どうかご寛容を】
2014-08-25
2014-08-18
今にして思えば、長女の誕生で私の生活は一変しました。
昨日は、長女の生まれた日だった。ささやかに家族で、プレゼントを贈り祝った。娘からもお礼の電話があった。
来月下旬には、ドレスデンで結婚式を挙げる我が娘は、25歳になった。私は62歳、きわめて個人的なことながら、とくに私の場合はどうしてもある種の感慨にとらわれる。
私が父親になったのは(娘に恵まれたのは)、37歳の時のことである。以来何かが自分の中で変化し子育て中心の生活へ、となって、大東京から岡山へと移住し、またたく間に2十数年がすぎ、気がつくと娘は大きく成長していた。
私ごときでも、人生はヒトとの出逢いで、まったくあらゆる局面が変化し、世界は一変する。妻との出逢い、娘の誕生が、やはりまったく私の人生を、よりよいほうに導いてくれたことを、素直に何かに感謝したい思いに私はとらわれる。
とくに娘の誕生は、単細胞の私をして、決定的に変えた。夢想的な生き方を選択していた私のこれまでの生き方のことごとくを、打ちこわし、私を限りなく地に着いた暮らしへと引きずり降ろしたのである。
成人した娘は、もうすでに目の届くところから遠く離れ、自分の足で歩き、よき伴侶を見つけ、家庭を持つまでに成長した。
若いころの自分を振り返ると、悩み多き青春時代だったと思う。まさか人並の暮らしができ、娘に恵まれるなどとは、思いも考えもしなかった。
足腰を鍛えることなく、頭だけで物事を考える、都市型世界を浮遊していたような、青春時代を送っていた感が、今思うとする。
生まれたばかりの娘を見たとき・触れた時の肌触り、やがてぐんぐん大きくなってゆく生命の力は私を圧倒した。その力は、私のそれまでの生き方を、根底から変えたと今思う。
いま静かに五十鈴川だよりを書きながら、二人の娘に出会えた我が人生の幸運を思う。そして玉のような娘二人を生んで育ててくれた妻には、感謝しかない。
この数十年の、世界の変化多様化は目まぐるしさをの極みの情況を呈していて、いつ何時、何が起こるかわかり得ないほどに、複雑面妖な時代に突入してゆく感があるが、私は娘たちを見ていると、さほど心配していない。
自分たちの世代よりも、明らかにいい方向に、歩んでゆくのではないかという希望が持てる。いい意味での、グローバル化をしなやかに受け止めて、いろんな国の人たちとも、余計な偏見なく、交流している姿を見ていると、新しき世代の日本人の姿を我が娘の中に感じる。
そして私は思うのだ、未来の家族を、ささやかに応援するには何をしたらいいのかを、とくと自分の胸に手を当てて考え続けながら老いてゆきたいと。
なにも難しく考える必要は全然ない、本質、根本的な生活さえ見失わなければいい、畑で安全な野菜を育て、新しい命たちに食べてもらいたいくらいしか、今は思いつかないが、身体が元気な間は可能な限り、新しい家族を見守り、新しい命の役に立つ存在で、ありたいと思う。
【ごめんなさい、今日は写真のアップが、かないません】
来月下旬には、ドレスデンで結婚式を挙げる我が娘は、25歳になった。私は62歳、きわめて個人的なことながら、とくに私の場合はどうしてもある種の感慨にとらわれる。
私が父親になったのは(娘に恵まれたのは)、37歳の時のことである。以来何かが自分の中で変化し子育て中心の生活へ、となって、大東京から岡山へと移住し、またたく間に2十数年がすぎ、気がつくと娘は大きく成長していた。
私ごときでも、人生はヒトとの出逢いで、まったくあらゆる局面が変化し、世界は一変する。妻との出逢い、娘の誕生が、やはりまったく私の人生を、よりよいほうに導いてくれたことを、素直に何かに感謝したい思いに私はとらわれる。
とくに娘の誕生は、単細胞の私をして、決定的に変えた。夢想的な生き方を選択していた私のこれまでの生き方のことごとくを、打ちこわし、私を限りなく地に着いた暮らしへと引きずり降ろしたのである。
成人した娘は、もうすでに目の届くところから遠く離れ、自分の足で歩き、よき伴侶を見つけ、家庭を持つまでに成長した。
若いころの自分を振り返ると、悩み多き青春時代だったと思う。まさか人並の暮らしができ、娘に恵まれるなどとは、思いも考えもしなかった。
足腰を鍛えることなく、頭だけで物事を考える、都市型世界を浮遊していたような、青春時代を送っていた感が、今思うとする。
生まれたばかりの娘を見たとき・触れた時の肌触り、やがてぐんぐん大きくなってゆく生命の力は私を圧倒した。その力は、私のそれまでの生き方を、根底から変えたと今思う。
いま静かに五十鈴川だよりを書きながら、二人の娘に出会えた我が人生の幸運を思う。そして玉のような娘二人を生んで育ててくれた妻には、感謝しかない。
この数十年の、世界の変化多様化は目まぐるしさをの極みの情況を呈していて、いつ何時、何が起こるかわかり得ないほどに、複雑面妖な時代に突入してゆく感があるが、私は娘たちを見ていると、さほど心配していない。
自分たちの世代よりも、明らかにいい方向に、歩んでゆくのではないかという希望が持てる。いい意味での、グローバル化をしなやかに受け止めて、いろんな国の人たちとも、余計な偏見なく、交流している姿を見ていると、新しき世代の日本人の姿を我が娘の中に感じる。
そして私は思うのだ、未来の家族を、ささやかに応援するには何をしたらいいのかを、とくと自分の胸に手を当てて考え続けながら老いてゆきたいと。
なにも難しく考える必要は全然ない、本質、根本的な生活さえ見失わなければいい、畑で安全な野菜を育て、新しい命たちに食べてもらいたいくらいしか、今は思いつかないが、身体が元気な間は可能な限り、新しい家族を見守り、新しい命の役に立つ存在で、ありたいと思う。
【ごめんなさい、今日は写真のアップが、かないません】
2014-08-17
サンナンの農業部門の仕事場の整理整頓をA専務とN氏の3人でしました。
サンナンの農業部門の仕事場は、金属工場の隣に併設されている。職場もそうだが、家の中や、庭には、その場に棲む人たちの生活ぶりが、赤裸々に反映されている。
夢が原退職後、私の家での気分転換の一つに掃除をするということがあるということは、以前書いた記憶がある。
とくに、まったく電気掃除機を使わなくなり、昔にかえったかのように、ほうきで履いたのち、雑巾がけを、トレーニングも兼ねて、楽しむようにしている。
犬も歩けばとか、ちりも積もればとか、のことわざをいたく私は信じていることも、以前書いた記憶がある。
掃除してさっぱりした部屋で、ブログを書いたり、墨をすって文字を書いたりするのは、実に気持ちがいい。草刈りとか、草むしりも、何か共通する感覚があるようにも私には思える。
家には何とはなしに棲んでいる人の人柄が、かもし出されてくるから、面白いし恐ろしくもある。
見る人が見たら、いくら隠そうと、満天下にヒトは自分をさらけ出して、生きているのだと、私は思う。
掃除は、おっくう、たいぎなことも、多々あるのだが、緩やかにやり始めると、徐々にエンジンがかかってくる。だいたいその自分のパターンがわかっているので、気分が重い時はあえて掃除をするように、自分では心懸けているのだ。(どうしてもやがてできなくなる、最後は・・・・・。野暮なことを書くのは、今しばらく後にしましょう)
ところで、昨日外は激しい雨の中、A専務とN氏の3人で仕事場の整理整頓をした。専務の頭の中に描く、今後仕事がしやすい形に、配置しなおしたのだ。すっきりと落ち着いた。
どこに何があるかが、きっちりと整理整頓してあるのは、実に気持ちがいい。実は私は掃除は好きだが、整理整頓は苦手である。本もなかなか捨てられない。たまってゆく、でも何とかしたい。
還暦後、写真なんかも、どうしてもという写真以外は、眼を開けてよく見たのち、眼をつぶって断捨離した。過去に決別しなければ、からめとられて前に進めないからである。
思い出の詰まったものは、なかなかに数てられないが、これもまた時が流れれば、考えも変わり、老いとともに、意外と執着しなくなる自分が生まれてくるかも知れないし、気軽に考えてゆくようにしたい。
【昨日家に帰ったら、妻がドレスデンに新しくできる、レイ君の父母はじめ、家族一人一人に厳選したプレゼント15人分を、9時間くらいかけて、鶴を折ったり、色紙や、きれいなひもで結び、心のこもった一品を見事に創りあげていた。そのラッピングのセンス、我が連れ合いに、私は脱帽した。その写真です】
2014-08-16
8月15日、事務所でA専務の農に賭ける想いをうかがう。
今年のお盆は宮崎に帰省することもなく、と言ってお休みをとることもなく、ふつうに働いている。昨日8月15日は敗戦の日であった。
いつも通り職場に出かけたのだが、やはり出勤して働いている人間は少ない、がA専務は普段通り、出勤しいている。
私は毎日、最近は言われなくても、一人であれ、その日やれそうなことは自分で考えて愉しくやるように心懸けている。
幸いなことに、A専務からお盆だから休んでくださいとも言われていない。ほぼ娘たちを育て終えた今、生活に困っているわけでもない。ただ何とはなしに私の足は畑のほうに向かう夏なのである。
来月娘の結婚式をドイツのドレスデンで控え、十数年ぶりにヨーロッパに向かうので、なんとなく静かな夏をただ過ごしたいのである。
畑に向かおうとしていると、A専務に声をかけられ、事務所の小さい部屋で話を聞くことになった。A専務の目指す農の世界の展望や、想いを私に対して話してくださったのだ。何故サンナンでかなりの投資を今も続けながら、継続しているのかの想いを。
まだ入って一年にも満たない私に、虚心坦懐にその念いを、吐露してくださったのだ。かなり長時間のお話になったので、私の理解が遠く及ばないことも多岐にわたって展開された。
がしかし、私がはっきりと受け止めることができたのは、その農に向かいあう真剣な姿勢の背後に、現代競争(狂騒)世界の構造から、離れた視点での、安全な野菜を作り、なおかつそれで安心して質素であれ生計を立てられるような、心の通い合いを中心とした、A専務の想いえがく農の未来像である。
誰か一人が富を独占するのではなく、結果収益を限りなく公平に分配してゆきながら、人間が農を中心に据えながら生きる楽しみを分かち合えるような仕組み、仲間作りをしたいとの思いを、A専務は私に熱く語り続けた。
短い朝ブログでは、とても伝えきれるものではないが、私は年齢を忘れしばし時折感動した。それは、あまりに赤裸々に自分のこれまでの人生をも、知り合ったばかりといってもいいわたしに吐露されたからである。
ああ、だから、A専務は農をやりたいのだという想いが、ストレートに私の胸に響いてきたのである。今朝はそのことだけでも五十鈴川だよりに書いておきたいのである。
そんな熱き思いを私ごときに吐露されても、いささか正直面食らう面がなきにしもあらずだが、ありがたきことと私は受け止めている。私が限りなく信頼できるのは、独学で科学的に土壌のことから、農に関することを、わずか数年で今もなお、しっかりと謙虚に学び続けて、実践していることである。
私にやれることは限られているが、なんとかその想いを実現するためには何をしたらいいのかを、自分の動く体に相談しながら、今日もまた畑にゆこうと思う。
【写真は、妻が丹精したポーチュラカという、なんとも可憐な花、今最も美しく私の眼を喜ばす】
いつも通り職場に出かけたのだが、やはり出勤して働いている人間は少ない、がA専務は普段通り、出勤しいている。
私は毎日、最近は言われなくても、一人であれ、その日やれそうなことは自分で考えて愉しくやるように心懸けている。
幸いなことに、A専務からお盆だから休んでくださいとも言われていない。ほぼ娘たちを育て終えた今、生活に困っているわけでもない。ただ何とはなしに私の足は畑のほうに向かう夏なのである。
来月娘の結婚式をドイツのドレスデンで控え、十数年ぶりにヨーロッパに向かうので、なんとなく静かな夏をただ過ごしたいのである。
畑に向かおうとしていると、A専務に声をかけられ、事務所の小さい部屋で話を聞くことになった。A専務の目指す農の世界の展望や、想いを私に対して話してくださったのだ。何故サンナンでかなりの投資を今も続けながら、継続しているのかの想いを。
まだ入って一年にも満たない私に、虚心坦懐にその念いを、吐露してくださったのだ。かなり長時間のお話になったので、私の理解が遠く及ばないことも多岐にわたって展開された。
がしかし、私がはっきりと受け止めることができたのは、その農に向かいあう真剣な姿勢の背後に、現代競争(狂騒)世界の構造から、離れた視点での、安全な野菜を作り、なおかつそれで安心して質素であれ生計を立てられるような、心の通い合いを中心とした、A専務の想いえがく農の未来像である。
誰か一人が富を独占するのではなく、結果収益を限りなく公平に分配してゆきながら、人間が農を中心に据えながら生きる楽しみを分かち合えるような仕組み、仲間作りをしたいとの思いを、A専務は私に熱く語り続けた。
短い朝ブログでは、とても伝えきれるものではないが、私は年齢を忘れしばし時折感動した。それは、あまりに赤裸々に自分のこれまでの人生をも、知り合ったばかりといってもいいわたしに吐露されたからである。
ああ、だから、A専務は農をやりたいのだという想いが、ストレートに私の胸に響いてきたのである。今朝はそのことだけでも五十鈴川だよりに書いておきたいのである。
そんな熱き思いを私ごときに吐露されても、いささか正直面食らう面がなきにしもあらずだが、ありがたきことと私は受け止めている。私が限りなく信頼できるのは、独学で科学的に土壌のことから、農に関することを、わずか数年で今もなお、しっかりと謙虚に学び続けて、実践していることである。
私にやれることは限られているが、なんとかその想いを実現するためには何をしたらいいのかを、自分の動く体に相談しながら、今日もまた畑にゆこうと思う。
【写真は、妻が丹精したポーチュラカという、なんとも可憐な花、今最も美しく私の眼を喜ばす】
2014-08-12
職場の相棒N氏から、釣り上げたばかりのチヌを頂く。
昨日畑で共に働く、あい棒N氏から、牛窓で釣り上げたばかりの、チヌをあげるとの電話を頂いたのは、私がカルチャープラザのレッスンを終えて家に帰り、ちょっと遅めの昼食を済ませたばかりだった。
N氏は、大きいチヌをつったら、あげるけえ、と職場で再三私に行ってくださっていたのだが、ようやくにしてそれが実現の運びとなったのだ。
この間も電話をくれたのだが、その時私は岡山不在だったりして、間が悪かったのだが、今回は実にまがよかった。
N氏はチヌを釣るのが、生きがいのような人なのである。魚の話をするときは、眼の輝きが違う。まさに童心に還っている。人間生きがいがあるということは、大切なことだと思う。
それさえあれば、かなりのことには耐えて頑張れるし、まして釣った魚をおしみなくヒトに与えて喜べるというのは、やはり人柄だと思う。
サンナンで、ほぼ同期に働き始めたN氏は、私がこれまで生きてきた世界では、ほとんど会うことがなかったタイプの人である。まったく異なった世界を歩み、いろんな言葉にならない経験をしてきたことが、何とはなしに感じられる。
感じるだけなのであるが、それでいいのだ。お互い異なるからなのだろう、仕事をしていても相棒としては、申し分なし。だからなのだと思う、お互い畑時間が楽しく過ごせる。私もN氏も農に取り組む姿勢が、このところ自然に深まってきつつあるのを感じる。
私にとっては面白い人である。苦労をすると、それが裏目に出るタイプがいるが、氏の場合は本質的に、人柄がいいからなのだろう。結果現在は、愛があり、お穏やかに生活できている、幸せほのぼの感が、言葉の端端に感じられる。
人間は、ようするに、今がもっとも大切なのだと思う。ところで頂いたチヌ、母がきれいにお刺身にし、あらは私がたいて、それだけで十二分の我が家の豪華な夕飯となった。
つたなき我がブログ、この場を借りてN氏に心からの謝意を伝えます。さあ、今日もN氏とともに畑に行こう。
N氏は、大きいチヌをつったら、あげるけえ、と職場で再三私に行ってくださっていたのだが、ようやくにしてそれが実現の運びとなったのだ。
この間も電話をくれたのだが、その時私は岡山不在だったりして、間が悪かったのだが、今回は実にまがよかった。
N氏はチヌを釣るのが、生きがいのような人なのである。魚の話をするときは、眼の輝きが違う。まさに童心に還っている。人間生きがいがあるということは、大切なことだと思う。
それさえあれば、かなりのことには耐えて頑張れるし、まして釣った魚をおしみなくヒトに与えて喜べるというのは、やはり人柄だと思う。
サンナンで、ほぼ同期に働き始めたN氏は、私がこれまで生きてきた世界では、ほとんど会うことがなかったタイプの人である。まったく異なった世界を歩み、いろんな言葉にならない経験をしてきたことが、何とはなしに感じられる。
感じるだけなのであるが、それでいいのだ。お互い異なるからなのだろう、仕事をしていても相棒としては、申し分なし。だからなのだと思う、お互い畑時間が楽しく過ごせる。私もN氏も農に取り組む姿勢が、このところ自然に深まってきつつあるのを感じる。
私にとっては面白い人である。苦労をすると、それが裏目に出るタイプがいるが、氏の場合は本質的に、人柄がいいからなのだろう。結果現在は、愛があり、お穏やかに生活できている、幸せほのぼの感が、言葉の端端に感じられる。
人間は、ようするに、今がもっとも大切なのだと思う。ところで頂いたチヌ、母がきれいにお刺身にし、あらは私がたいて、それだけで十二分の我が家の豪華な夕飯となった。
つたなき我がブログ、この場を借りてN氏に心からの謝意を伝えます。さあ、今日もN氏とともに畑に行こう。
2014-08-11
台風の余波雨のお休み、斎藤明美著【高峰秀子の言葉】を読みました。
私がいきなりこのような書きだしで書いても、読み続けてくださっておられる方は、又かと思うくらいで、まあ、読んでくださるのでしょうが、もしはじめて読まれる方がいたら、どう思うのだろうか、なんてことも、たまには思ったりする私です。
ともあれ、台風一過、なんともはや穏やかな、西大寺(昨日は変換ミスですみません)の我が家です。家人はまだ、休んでいます。妻はお盆のお休みに入り、普段落ち着いてやれないことをあれやこれやと、やっておりまして、夫婦ともどもお互いのことには深入りせず、共存しています。
基本的に、今のところ私は、日曜と月曜日が農の仕事がお休み、月曜の午前中と、水曜日の夜が、シェイクスピアのレッスンです。昨年の10月1日から、ずっとこのペースで生活していますからもう間もなく、一年になります。
自分で書くのもなんですが、あっという間に時が流れたようにも思いますが、忙しきなかにも、これまでの人生の中で、最も幸福感に包まれた日々を送っているような気がしています。何をさして幸福と呼ぶのかは、各人千差万別でしょうが、私の場合はそうなのです。
夢が原で情熱を傾けた企画の仕事は、やはり40代、50代だから充実してやれたのだと思います。今思い返すと、かえすがえすもやっておいてよかったと、心底思います。過去形でいいのです。
過去がるからこそ、今があるのは、人生のゆるぎない真理のように思えます。今も明日は過去になる。だからこそ、今を可能な限り、悔いなく生きてゆくことを、それなりに積み重ねてゆく以外、私の場合、他に方法がない、見当たらないといったところなのです。
ある種の限界を、ヒトは生きる、その限界の中で、いかほどに自由感を保てるか、保てないのかが、私の場合重要なのではないかという気がしています。
なんというのでしょうか、ようやくにして、あらゆるリセットが進みつつある最近の私の暮らしです。交友関係も含め、すべてを新しく、深く反省しながら見直したいという気持ちになっているのです。
農の仕事を始めてから、特にそのような思いが強くなってきたのは何故なのか、そのことは、今後これからの日々の中で、ブログを書きながら、今もそうなのですが、揺らぐ自分自身を見つめてゆければとかんがえています。
唐突ですが、私の尊敬する、そして畏怖する、数年前お亡くなりになった高峰秀子さんの養女である、斎藤明美さんが、お書きになった、高峰秀子の言葉、という本を昨日一気に読みました。斎藤さんの書かれた、高峰秀子さんに関する本は、ほぼ全部読んでいると思います。重複している話も、何度も読んでいますが、何故かいつも新鮮に読めます。感動する自分がいます。私にとっての手放せない本として、死ぬまでそばに置いておきたい本です。
ヒトは、やはり出逢う人とは、出逢うのですね。お金ではかなわぬものに、出逢うためには、何をしたらいいのかを、つたない頭で、あきらめず日々を送りたいものです。
ともあれ、台風一過、なんともはや穏やかな、西大寺(昨日は変換ミスですみません)の我が家です。家人はまだ、休んでいます。妻はお盆のお休みに入り、普段落ち着いてやれないことをあれやこれやと、やっておりまして、夫婦ともどもお互いのことには深入りせず、共存しています。
基本的に、今のところ私は、日曜と月曜日が農の仕事がお休み、月曜の午前中と、水曜日の夜が、シェイクスピアのレッスンです。昨年の10月1日から、ずっとこのペースで生活していますからもう間もなく、一年になります。
自分で書くのもなんですが、あっという間に時が流れたようにも思いますが、忙しきなかにも、これまでの人生の中で、最も幸福感に包まれた日々を送っているような気がしています。何をさして幸福と呼ぶのかは、各人千差万別でしょうが、私の場合はそうなのです。
夢が原で情熱を傾けた企画の仕事は、やはり40代、50代だから充実してやれたのだと思います。今思い返すと、かえすがえすもやっておいてよかったと、心底思います。過去形でいいのです。
過去がるからこそ、今があるのは、人生のゆるぎない真理のように思えます。今も明日は過去になる。だからこそ、今を可能な限り、悔いなく生きてゆくことを、それなりに積み重ねてゆく以外、私の場合、他に方法がない、見当たらないといったところなのです。
ある種の限界を、ヒトは生きる、その限界の中で、いかほどに自由感を保てるか、保てないのかが、私の場合重要なのではないかという気がしています。
なんというのでしょうか、ようやくにして、あらゆるリセットが進みつつある最近の私の暮らしです。交友関係も含め、すべてを新しく、深く反省しながら見直したいという気持ちになっているのです。
農の仕事を始めてから、特にそのような思いが強くなってきたのは何故なのか、そのことは、今後これからの日々の中で、ブログを書きながら、今もそうなのですが、揺らぐ自分自身を見つめてゆければとかんがえています。
唐突ですが、私の尊敬する、そして畏怖する、数年前お亡くなりになった高峰秀子さんの養女である、斎藤明美さんが、お書きになった、高峰秀子の言葉、という本を昨日一気に読みました。斎藤さんの書かれた、高峰秀子さんに関する本は、ほぼ全部読んでいると思います。重複している話も、何度も読んでいますが、何故かいつも新鮮に読めます。感動する自分がいます。私にとっての手放せない本として、死ぬまでそばに置いておきたい本です。
ヒトは、やはり出逢う人とは、出逢うのですね。お金ではかなわぬものに、出逢うためには、何をしたらいいのかを、つたない頭で、あきらめず日々を送りたいものです。
2014-08-10
台風の通り過ぎるのを待ちながら、静かに過ごす休日の朝。
昨日から台風の影響が、私の住む歳代時でも断続的に続き、今朝も雨がかなり激しい朝です。四国をはじめ、我が故郷の宮崎、他県の被害は、言葉がありません。
今のところ、住民の避難勧告も発令されていない、我が家の周りは、ただじっと台風が過ぎ去るのを静かに待つしかないといった様子です。
私は18歳まで、宮崎で過ごしましたから、いくばくかは台風の恐ろしさを知っていますが、災害の少ない岡山生まれの妻や娘には、深い実感がないのは、いたしかたないとは思いますが、ヒトはおそらく、長い一生には、何らかの骨身にしみる体験があった方が、他者の痛みを共有する、感覚が育つと思います。
がこればかりは、私も含め経験しないことには、わかりえぬ感覚なので、いざという時のために、普段からなるべく備えあればの例えを、忘れないようにするといった、対処くらいしかありません。
ところで、昨日も午前中かなり激しい雨だったのですが、いつも通り仕事に出ました。というのは、雨だと暑くないので、涼しさの中で、普段やれない倉庫の周りの草を刈りたいという思いが、私の中に在ったので、なにはともあれ畑の様子も気になるし、出かけたのです。
畑は川のそばではなく、35メートルくらいの高さにあるので、風さえなければ雨でも合羽を着て、草をかることはできます。結果午前中休み休み、3時間くらいかなりの草をかることができました。同じ時間、炎天下で草を刈ったら、まずダウン寸前になるでしょう。
危険なことをするのは愚かですが、仕事はどんな仕事であれ、ベストを尽くす中でなにがしかの妙味を見つるといった感覚が、私には在ります。特に亡き父が、ヒトがやりたがらないようなことを、進んでしなさいと言った言葉が歳を重ねるほどに蘇ってきて、弱い私の心を叱咤激励するのです。
とくに始めて一年にも満たない農の仕事、とくにA専務の目指す農の志は、痛く私の心をつき動かすのです。なんとか安全なネギを育て、その収入で生計の自立を目指す。言うは易きことなのですが、半端な情熱では実現するはずがありません。
そのためにはどうしたらいいのか、ない頭で考えます。考えついたことを、実行に移す。移すには健康な動く身体が必要です。動く体をなるべく持続するためにはどうしたらいいのか、又考えます。
そんなことから、最近私は食生活をかなり見直すようになってきました。思いついたら実行する。すこしずつですが、玄米を食べ始めました。それから野菜中心の献立、早い話日本人が昔から食べてきたような伝統食を食べるように心がけることにしました。
後は続けていって、自分の身体がどのような按配になってゆくのかを、感じてみようと思っています。できるだけ、精製したものをたべず、あるがままのモノをあるがままに頂けるような食生活にシフトしてゆきたいと考え始めたのです。
若いころから、身体のことはあまり考えず、好きなものを中心に採っていた自分の食生活を反省し
ているのです。とくに農の仕事を始めてから、トータルに命のもとである食べ物に関心がとみに移ってきました。
もう十分に若くなく、完全に下り坂の、これからの限りなく貴重な命を養う食材に、留意しようという思いが、俄然強まってきたのです。外に出かけての飲食も限りなく少なくなってきました。
とくに母や妻が育ててくれた、滋養野菜をこの数十年食べ続けていますが、おそらく私が今もってすごく健康なのは、そのおかげだと思っています。医食同源、身土不二といいますが、これは真理と思います。
身体は近くの土と、そこでできた野菜、食材とつながっているのです。おそらく日本人の体は、日本列島の土や気候風土とは、切り離せないのです。そんなことを、しきりに最近思います。
当たり前に、健康に、穏やかに、日々命をつなげられることのなんというありがたき幸福感。そのことにさえ、思いが至れるようになれば、あとは蛇足というものでしょう。
衣、食、足りて礼節を知ると言います。ちょっと書くのが恥ずかしいのですが、これに各人各様の愛のある暮らしを、見つけることができたなら、、。これ以上書くのは、野暮というものでしょう。
【本日は、小泉武夫先生の、いのちと心のごはん学、NHK出版、という本の写真をアップしようかと試みたのですが、できないので、又にします】
今のところ、住民の避難勧告も発令されていない、我が家の周りは、ただじっと台風が過ぎ去るのを静かに待つしかないといった様子です。
私は18歳まで、宮崎で過ごしましたから、いくばくかは台風の恐ろしさを知っていますが、災害の少ない岡山生まれの妻や娘には、深い実感がないのは、いたしかたないとは思いますが、ヒトはおそらく、長い一生には、何らかの骨身にしみる体験があった方が、他者の痛みを共有する、感覚が育つと思います。
がこればかりは、私も含め経験しないことには、わかりえぬ感覚なので、いざという時のために、普段からなるべく備えあればの例えを、忘れないようにするといった、対処くらいしかありません。
ところで、昨日も午前中かなり激しい雨だったのですが、いつも通り仕事に出ました。というのは、雨だと暑くないので、涼しさの中で、普段やれない倉庫の周りの草を刈りたいという思いが、私の中に在ったので、なにはともあれ畑の様子も気になるし、出かけたのです。
畑は川のそばではなく、35メートルくらいの高さにあるので、風さえなければ雨でも合羽を着て、草をかることはできます。結果午前中休み休み、3時間くらいかなりの草をかることができました。同じ時間、炎天下で草を刈ったら、まずダウン寸前になるでしょう。
危険なことをするのは愚かですが、仕事はどんな仕事であれ、ベストを尽くす中でなにがしかの妙味を見つるといった感覚が、私には在ります。特に亡き父が、ヒトがやりたがらないようなことを、進んでしなさいと言った言葉が歳を重ねるほどに蘇ってきて、弱い私の心を叱咤激励するのです。
とくに始めて一年にも満たない農の仕事、とくにA専務の目指す農の志は、痛く私の心をつき動かすのです。なんとか安全なネギを育て、その収入で生計の自立を目指す。言うは易きことなのですが、半端な情熱では実現するはずがありません。
そのためにはどうしたらいいのか、ない頭で考えます。考えついたことを、実行に移す。移すには健康な動く身体が必要です。動く体をなるべく持続するためにはどうしたらいいのか、又考えます。
そんなことから、最近私は食生活をかなり見直すようになってきました。思いついたら実行する。すこしずつですが、玄米を食べ始めました。それから野菜中心の献立、早い話日本人が昔から食べてきたような伝統食を食べるように心がけることにしました。
後は続けていって、自分の身体がどのような按配になってゆくのかを、感じてみようと思っています。できるだけ、精製したものをたべず、あるがままのモノをあるがままに頂けるような食生活にシフトしてゆきたいと考え始めたのです。
若いころから、身体のことはあまり考えず、好きなものを中心に採っていた自分の食生活を反省し
ているのです。とくに農の仕事を始めてから、トータルに命のもとである食べ物に関心がとみに移ってきました。
もう十分に若くなく、完全に下り坂の、これからの限りなく貴重な命を養う食材に、留意しようという思いが、俄然強まってきたのです。外に出かけての飲食も限りなく少なくなってきました。
とくに母や妻が育ててくれた、滋養野菜をこの数十年食べ続けていますが、おそらく私が今もってすごく健康なのは、そのおかげだと思っています。医食同源、身土不二といいますが、これは真理と思います。
身体は近くの土と、そこでできた野菜、食材とつながっているのです。おそらく日本人の体は、日本列島の土や気候風土とは、切り離せないのです。そんなことを、しきりに最近思います。
当たり前に、健康に、穏やかに、日々命をつなげられることのなんというありがたき幸福感。そのことにさえ、思いが至れるようになれば、あとは蛇足というものでしょう。
衣、食、足りて礼節を知ると言います。ちょっと書くのが恥ずかしいのですが、これに各人各様の愛のある暮らしを、見つけることができたなら、、。これ以上書くのは、野暮というものでしょう。
【本日は、小泉武夫先生の、いのちと心のごはん学、NHK出版、という本の写真をアップしようかと試みたのですが、できないので、又にします】
2014-08-04
動ける身体を意識して気持ちよく動かし、今を楽しむ。
この数日雨のために近くの運動公園にゆけない日が続いているが、図書館もあるし、夢が原退職後は、平均すると週に3日くらいは行っている。
特にサンナンで働くようになってからは、身体のコンディションを整えるために、目的を持って通うようになってきている。
夏は暑いので、夕方6時すぎから行って、3~40分位を過ごしている。だいたいやることは決まっているが、その日の気分で、4パターンくらい、身体を動かす。欠かさないのは、片足でやる座っては立つ繰り返しと、鉄棒にぶら下がることと、その日の体調で最低3回の懸垂を、3セット繰り返す、くらいである。
後、裸足で3週くらいグランドをかるく速歩することが、最近加わった。まあこれも、遊び感覚でやっている。何事ももうこの歳になると、遊び心、という感じで余裕を持って、やれる自分がいる。
それはやはり、親としての最低のつとめを果たした後の、ご褒美のようなもの、ではないかと考えている。
話を戻す。私は腰痛持ちで、何度もぎっくり腰を若いころから繰り返してきたが、40歳代の終わりのころ、かなりの腰痛に見舞われてから、私は腹筋を鍛えることを続けている。最初は全然できなかった。
膝を曲げ、丹田を意識してかるく上半身を上げる程度のきわめて、負荷のかからない腹筋体操である。以来この歳になるまで、ほとんど毎日これだけは、病気の時以外欠かしたことがない。
いらい、私はぎっくり腰になったことがない。骨は筋肉が支えているから、ある程度の筋肉がないと身体が、まず思うように動かなくなってくる。特に私の場合は、若いころに身体をいたわってこなかったので、そのことに対する気づきが遅かったのだが、かろうじてギリギリのところで今のところ間にあったのではないかと思っている。
何事も3日坊主、小さいころから根気が続かず、そのくせ夢見がちなことの多い、いわばちゃらんぽらんな性格をなんとかしたいという、今の言葉で言えば、トラウマを抱えた人生を、送ってきた。(過去形なのは、少しは改善されたという自覚があるからである)
思春期から世の中に出て、このままではいけないと、自分自身を叱咤激励してきたかのような、個人的我がお恥ずかしき人生のいまだまだ途中である。
私のようなとりたててぬきんでた能力のない輩は、人並に努力することくらいにしか、生き延びる方法が、今も私にはないのである。唯一の宝である我が体を、なんとかして活かして耕す中で、何かが育ってくる実感を、持てたからこそ、生き延びることができたのではないかと思うのだ。
つらい努力も若いころはして、やはり自信をつけるしかないのではないかと、私は思う。またつらくとも若いからこそできるのではないかと、今となっては思う。もうこの歳になると、したいとも思わないし、第一そんなことはする必要もない、愉しい努力のできる、余裕の持てる今が嬉しい。
ところで、私が生まれて初めて懸垂に挑戦したのは、富良野時代だから31歳だ。卒塾していらい30年近くやっていなかったのだから、当初まったくできなかった。でも昔、やったことがあるという、身体の記憶は、かすかに残っていたのである。挑戦して出来た時は、天を仰いだ。
懸垂は、私の最も苦手な運動の一つだったのだが、回数ではなく、それができた時の喜びは、やればできる(やらなければできない)、いわば再び自信のような光が身体に差し込んだのである。
ヒトと比較するのではなく、自分を見つめてゆく中での、弱点のようなものを自覚し、遊び心で克服してゆくことにこそ、いわば生きてゆく面白さがあるのではないかと、最近は思うくらいだ。(人それぞれなのだから、無理してやるのは、愚かだと思う)
老いてゆく中で無理をするのではなく、下ってゆく中での楽しみの方法ようなものがあるのなら、一回こっきりの人生を深めてゆく味わいを、私は先人たちの歩みの中に見つけてゆきたいと思う。
ともあれ今日もまた、午前中Uさんと、シェイクスピアのオセロを二人きりで読める幸福な時間が持てる。意識が動く身体が存在していればこそである。
特にサンナンで働くようになってからは、身体のコンディションを整えるために、目的を持って通うようになってきている。
夏は暑いので、夕方6時すぎから行って、3~40分位を過ごしている。だいたいやることは決まっているが、その日の気分で、4パターンくらい、身体を動かす。欠かさないのは、片足でやる座っては立つ繰り返しと、鉄棒にぶら下がることと、その日の体調で最低3回の懸垂を、3セット繰り返す、くらいである。
後、裸足で3週くらいグランドをかるく速歩することが、最近加わった。まあこれも、遊び感覚でやっている。何事ももうこの歳になると、遊び心、という感じで余裕を持って、やれる自分がいる。
それはやはり、親としての最低のつとめを果たした後の、ご褒美のようなもの、ではないかと考えている。
話を戻す。私は腰痛持ちで、何度もぎっくり腰を若いころから繰り返してきたが、40歳代の終わりのころ、かなりの腰痛に見舞われてから、私は腹筋を鍛えることを続けている。最初は全然できなかった。
膝を曲げ、丹田を意識してかるく上半身を上げる程度のきわめて、負荷のかからない腹筋体操である。以来この歳になるまで、ほとんど毎日これだけは、病気の時以外欠かしたことがない。
いらい、私はぎっくり腰になったことがない。骨は筋肉が支えているから、ある程度の筋肉がないと身体が、まず思うように動かなくなってくる。特に私の場合は、若いころに身体をいたわってこなかったので、そのことに対する気づきが遅かったのだが、かろうじてギリギリのところで今のところ間にあったのではないかと思っている。
何事も3日坊主、小さいころから根気が続かず、そのくせ夢見がちなことの多い、いわばちゃらんぽらんな性格をなんとかしたいという、今の言葉で言えば、トラウマを抱えた人生を、送ってきた。(過去形なのは、少しは改善されたという自覚があるからである)
思春期から世の中に出て、このままではいけないと、自分自身を叱咤激励してきたかのような、個人的我がお恥ずかしき人生のいまだまだ途中である。
私のようなとりたててぬきんでた能力のない輩は、人並に努力することくらいにしか、生き延びる方法が、今も私にはないのである。唯一の宝である我が体を、なんとかして活かして耕す中で、何かが育ってくる実感を、持てたからこそ、生き延びることができたのではないかと思うのだ。
つらい努力も若いころはして、やはり自信をつけるしかないのではないかと、私は思う。またつらくとも若いからこそできるのではないかと、今となっては思う。もうこの歳になると、したいとも思わないし、第一そんなことはする必要もない、愉しい努力のできる、余裕の持てる今が嬉しい。
ところで、私が生まれて初めて懸垂に挑戦したのは、富良野時代だから31歳だ。卒塾していらい30年近くやっていなかったのだから、当初まったくできなかった。でも昔、やったことがあるという、身体の記憶は、かすかに残っていたのである。挑戦して出来た時は、天を仰いだ。
懸垂は、私の最も苦手な運動の一つだったのだが、回数ではなく、それができた時の喜びは、やればできる(やらなければできない)、いわば再び自信のような光が身体に差し込んだのである。
ヒトと比較するのではなく、自分を見つめてゆく中での、弱点のようなものを自覚し、遊び心で克服してゆくことにこそ、いわば生きてゆく面白さがあるのではないかと、最近は思うくらいだ。(人それぞれなのだから、無理してやるのは、愚かだと思う)
老いてゆく中で無理をするのではなく、下ってゆく中での楽しみの方法ようなものがあるのなら、一回こっきりの人生を深めてゆく味わいを、私は先人たちの歩みの中に見つけてゆきたいと思う。
ともあれ今日もまた、午前中Uさんと、シェイクスピアのオセロを二人きりで読める幸福な時間が持てる。意識が動く身体が存在していればこそである。
2014-08-03
雑草との対話の中で、自分自身の原風景がにわかに立ち上る畑時間。
雨音を聴きながら書いている。昨日も雨であったが午前中なんとか仕事ができたので畑に行った。器具の点検を始め、農の仕事は普段なかなか目が行き届かないことを確認実行するためにも、畑にとっても恵みの雨となった。
幸いN氏が機械をいじったリすることに強く、相棒としては誠に持って頼もしい。氏とは別に私は雨が激しくなる前まで、ネギの補植と雑草取りの仕事を繰り返した。
更地の1号地の葱畑にとっては、なんといっても手ごわいのは雑草である。ネギが伸びるに従って、それを追い越すように伸びてくる。しかもこの草は棘のある、一筋縄ではゆかない、私が出会った中の雑草で最も手ごわい草である。
おそらく、私がサンナンでん農の仕事を続ける限り、この草となんとかして、農薬を使用せず共存しなければならない。そのためにはどうしたらいいのか、このところない頭で考えている。
結論はとてもではないが、根まで取っている時間はないので、手がつけられなくなる前になんとか、あらゆる道具を使って削り取る、根気のいる作業を自分に課すしかないということに落ち着いた。
時間を見つけて、とにもかくにも雑草をやれる限り削り取る作業を、繰り返すしかない。こういう風に書くと、なにやら悲壮感が漂うが、書いている本人はなるべく楽しんで雑草と格闘している。
身体が動くからこそ、雑草と格闘することがきるわけで、雑草の前で降参ではなく、格闘する気力体力が、一日でも長く持続するようにはどうしたらいいのかを、歳とともに以前にもまして考えるようになってきた。
以前から何度も書いているように、私は雑草取りを心身のトレーニングのために、つとめて楽しんでやれるように心懸けている。草が伸びる、それを刈る。又伸びる、それの繰り返しなのだが、一時ではあれ、手入れが行き届ききれいになった畑は、見ていて実に気持ちがいい。
部屋の掃除や洗濯、おさんどんも同じである。時の流れの中で、ヒトは日々の暮らしの中でのほとんどの事を、繰り返す。
その繰り返す行為を、いかほどに意識し楽しめるか、楽しめないかで、オーバーではなくその人の人生は、大きく変わってくるに違いない。
自分で書くのもなんだが、私はいま畑で働くのがじつに気持ちがよく楽しい。なぜなのか、自分ではなんとはなしに理解できるような気がしている。それは限りなく、畑では自分に正直に生きられるからである。
まっとうに生きる、自分に嘘や言い訳をしないで、無心に生きる、遊ぶということは、実に気持ちがいい。複雑な思考が苦手な単細胞の私には、まさに小さいころの泥んこ遊びをほうふつとさせる畑時間なのである。
いい歳をしばし忘れさせ、こんなことを書くのはいささか恥ずかしき感無きにしも非ずだが、幼き黄金時代にタイムスリップしたかのような心持になり、久方記憶のかなたに置き忘れていた、心象風景や原風景が蘇ってくる。
蒼穹のもと、鍬を振りかざし、草と格闘しながら汗を流し、私は動ける自分自身と遊べる幸福感に包まれる。
【N氏が持っているのが、私を鍛える草、既にとげがあり人間の背丈くらいになる。その生命力はたとえようもない。せめて10センチくらいで削り取らないと、たいへんなことになる】
幸いN氏が機械をいじったリすることに強く、相棒としては誠に持って頼もしい。氏とは別に私は雨が激しくなる前まで、ネギの補植と雑草取りの仕事を繰り返した。
更地の1号地の葱畑にとっては、なんといっても手ごわいのは雑草である。ネギが伸びるに従って、それを追い越すように伸びてくる。しかもこの草は棘のある、一筋縄ではゆかない、私が出会った中の雑草で最も手ごわい草である。
おそらく、私がサンナンでん農の仕事を続ける限り、この草となんとかして、農薬を使用せず共存しなければならない。そのためにはどうしたらいいのか、このところない頭で考えている。
結論はとてもではないが、根まで取っている時間はないので、手がつけられなくなる前になんとか、あらゆる道具を使って削り取る、根気のいる作業を自分に課すしかないということに落ち着いた。
時間を見つけて、とにもかくにも雑草をやれる限り削り取る作業を、繰り返すしかない。こういう風に書くと、なにやら悲壮感が漂うが、書いている本人はなるべく楽しんで雑草と格闘している。
身体が動くからこそ、雑草と格闘することがきるわけで、雑草の前で降参ではなく、格闘する気力体力が、一日でも長く持続するようにはどうしたらいいのかを、歳とともに以前にもまして考えるようになってきた。
以前から何度も書いているように、私は雑草取りを心身のトレーニングのために、つとめて楽しんでやれるように心懸けている。草が伸びる、それを刈る。又伸びる、それの繰り返しなのだが、一時ではあれ、手入れが行き届ききれいになった畑は、見ていて実に気持ちがいい。
部屋の掃除や洗濯、おさんどんも同じである。時の流れの中で、ヒトは日々の暮らしの中でのほとんどの事を、繰り返す。
その繰り返す行為を、いかほどに意識し楽しめるか、楽しめないかで、オーバーではなくその人の人生は、大きく変わってくるに違いない。
自分で書くのもなんだが、私はいま畑で働くのがじつに気持ちがよく楽しい。なぜなのか、自分ではなんとはなしに理解できるような気がしている。それは限りなく、畑では自分に正直に生きられるからである。
まっとうに生きる、自分に嘘や言い訳をしないで、無心に生きる、遊ぶということは、実に気持ちがいい。複雑な思考が苦手な単細胞の私には、まさに小さいころの泥んこ遊びをほうふつとさせる畑時間なのである。
いい歳をしばし忘れさせ、こんなことを書くのはいささか恥ずかしき感無きにしも非ずだが、幼き黄金時代にタイムスリップしたかのような心持になり、久方記憶のかなたに置き忘れていた、心象風景や原風景が蘇ってくる。
蒼穹のもと、鍬を振りかざし、草と格闘しながら汗を流し、私は動ける自分自身と遊べる幸福感に包まれる。
【N氏が持っているのが、私を鍛える草、既にとげがあり人間の背丈くらいになる。その生命力はたとえようもない。せめて10センチくらいで削り取らないと、たいへんなことになる】
2014-08-01
ささやかに畑で幸福感について思う。
網戸からようやく涼しい風が流れてくるのが感じられる。それでもおそらく熱帯夜だ、夏独特のまとわりつくような暑さは、日付が変わっても続いている。夕食後、ぶっ倒れるように、横になって休んでいたのだが眼が覚めたので、いつものように本を読むのではなく、ブログタイムとなった。
とりたてて書きたいこともないのだが、やはり書きたいという絶対矛盾の私だ。この一月間のサンナンの農業システムは、A専務主導となり、もっぱら私とN氏は、その主導のもと一号地の畑で働いている。
A専務自らトラクターをかけ、率先垂範動いてくださり、のうに賭ける情熱がじかに伝わってくるので、猛暑ではあるが、私自身はそれをしばし忘れるくらい、楽しく働かせて頂いている。まったく無知蒙昧で飛び込んだ農の世界だが、ようやく入り口に立ったかのような、実感が私を襲っている。
いま、更地になった一号地にネギを新たに植え始めているのだが、A専務の指導のもとでの、初めてのネギ栽培は、気分一新すべて新鮮に取り組めている。N氏と私の二人にかなり任されているので、一段と責任を持って取り組む姿勢が自分の中に生まれてきているのである。
とくに植えたネギが、大地にきちんと根付くまでは水やりが重要なので、このところ夕方再び、散歩がてら水やりにゆきたくなる自分がいる。生き物を育てるのには、人間であれ何であれ、愛情が最も大切であるというこは、論を待たないという気が、私はする。
話は変わる、ゆうべ夕食時に見ていたNHKで、働き盛りの日本人男性の7割以上が幸福感を持てないまま、日々を働いているという特集をやっていたが、(女性は6割5分)私はそのデータにしばし、唖然とした。
どこかそうだろうとは思いもしたが、こうまで高い数字には正直あきれ果てた。幸福感を持てないまま、何故人はかくも働くのか、今一度であれ、何度であれ、ヒトはなぜ働くのかという根本を、問い詰めて考えないと、消費文明で働く男女は幸福感を持てぬまま、廃人かしてゆくのではないかという危惧を持ってしまった。
幸福感を持てない夫婦のもとに、生まれた子供はどうなるのか、教育の再生とかまことしやかな議論飛び交うが、その実態はなんともはや嘘寒いというしかない。薄気味の悪い事件も、この数十年あとを絶たないが、すべては人間の心を、お金の論理が支配してしまったからのような気が、個人的にはしてならない。(お金は、幸福追求にこそつかうべきではないか)
だからどうしたらいいのか、ということを、ない頭でこの数十年子育てをしながら考えてきたが、考えなかったら、どうなっていたか、想うだにゾッとする。このブログでも何度も書いているが、人間は考える葦である。どんなにささやかではあれ、人間は考えないとそこで止まってしまう。
枯れながらも持続する。持続する志の中にこそ、時折なんかが降りてくる気が私はする。
本を読んだり、ヒトと話したり、旅をしたり、芸術や、あらゆる美や音、まあとにかくいろんな人間の素晴らしさに触れる時間を何とか見つけ、自分自身を磨く意識を持続しないと、気が付いたら何が何だかわからない世界に放り込まれてしまうのではないかという危機感が私にはかろうじてある。
そのかろうじて感じる感覚に、なんとかしがみついて、よたよたと今も日々を生きているというのが正直なところである。この歳になると加速度的に、自分の体に正直に生きたいという気持ちを私の場合抑えることができない。
話は畑に戻る。畑にいると、なにもない、なにもいらない幸福感に包まれる。大地の恵みを頂き、家族が幸福感を持って生きられれば、それで十分ではないかと、夏の雲を眺めながら五十鈴川だよりは考える。
【左がA専務、右がN氏、3人畑時間は限りなく愉快に時が流れます】
とりたてて書きたいこともないのだが、やはり書きたいという絶対矛盾の私だ。この一月間のサンナンの農業システムは、A専務主導となり、もっぱら私とN氏は、その主導のもと一号地の畑で働いている。
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A専務自らトラクターをかけ、率先垂範動いてくださり、のうに賭ける情熱がじかに伝わってくるので、猛暑ではあるが、私自身はそれをしばし忘れるくらい、楽しく働かせて頂いている。まったく無知蒙昧で飛び込んだ農の世界だが、ようやく入り口に立ったかのような、実感が私を襲っている。
いま、更地になった一号地にネギを新たに植え始めているのだが、A専務の指導のもとでの、初めてのネギ栽培は、気分一新すべて新鮮に取り組めている。N氏と私の二人にかなり任されているので、一段と責任を持って取り組む姿勢が自分の中に生まれてきているのである。
とくに植えたネギが、大地にきちんと根付くまでは水やりが重要なので、このところ夕方再び、散歩がてら水やりにゆきたくなる自分がいる。生き物を育てるのには、人間であれ何であれ、愛情が最も大切であるというこは、論を待たないという気が、私はする。
話は変わる、ゆうべ夕食時に見ていたNHKで、働き盛りの日本人男性の7割以上が幸福感を持てないまま、日々を働いているという特集をやっていたが、(女性は6割5分)私はそのデータにしばし、唖然とした。
どこかそうだろうとは思いもしたが、こうまで高い数字には正直あきれ果てた。幸福感を持てないまま、何故人はかくも働くのか、今一度であれ、何度であれ、ヒトはなぜ働くのかという根本を、問い詰めて考えないと、消費文明で働く男女は幸福感を持てぬまま、廃人かしてゆくのではないかという危惧を持ってしまった。
幸福感を持てない夫婦のもとに、生まれた子供はどうなるのか、教育の再生とかまことしやかな議論飛び交うが、その実態はなんともはや嘘寒いというしかない。薄気味の悪い事件も、この数十年あとを絶たないが、すべては人間の心を、お金の論理が支配してしまったからのような気が、個人的にはしてならない。(お金は、幸福追求にこそつかうべきではないか)
だからどうしたらいいのか、ということを、ない頭でこの数十年子育てをしながら考えてきたが、考えなかったら、どうなっていたか、想うだにゾッとする。このブログでも何度も書いているが、人間は考える葦である。どんなにささやかではあれ、人間は考えないとそこで止まってしまう。
枯れながらも持続する。持続する志の中にこそ、時折なんかが降りてくる気が私はする。
本を読んだり、ヒトと話したり、旅をしたり、芸術や、あらゆる美や音、まあとにかくいろんな人間の素晴らしさに触れる時間を何とか見つけ、自分自身を磨く意識を持続しないと、気が付いたら何が何だかわからない世界に放り込まれてしまうのではないかという危機感が私にはかろうじてある。
そのかろうじて感じる感覚に、なんとかしがみついて、よたよたと今も日々を生きているというのが正直なところである。この歳になると加速度的に、自分の体に正直に生きたいという気持ちを私の場合抑えることができない。
話は畑に戻る。畑にいると、なにもない、なにもいらない幸福感に包まれる。大地の恵みを頂き、家族が幸福感を持って生きられれば、それで十分ではないかと、夏の雲を眺めながら五十鈴川だよりは考える。
【左がA専務、右がN氏、3人畑時間は限りなく愉快に時が流れます】
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