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2012-03-29

春を感じる朝

一雨降るごとに、何かしら春めいた感じが、そこはかとなく感じられる。仕事に出かけるときは真っ暗だったのに、ほのかに明るくなってきた。人間にとって明るいということは、やはりなにがしかの、救いであると感じる。

闇を突き抜けて、朝日が昇ってくると、何やら還暦を過ぎたこの身体にも、エネルギーが満ちてきて、いかに自分の身体が天と繋がっているのかということが分かる。

我が家のわずかな庭に、一本の梅の木があるのだが、いま白い花が見ごろである。それとチンチョウゲの花、水仙の花も健気に咲いている。やはりいい意味で年なのだと思う。若いころよりも落ち着いて、じっくりと眺めている、自分がいる。

全てはあるがままの、季節の移ろいの中に今年の春を感じられる、いくばくかの余裕を持てている、自分の幸福というものを、しみじみと感じてしまう自分がいる。世の中に、まっさらの状態で飛び出してから42年、気がつくと随分沢山の思い出の品に取り囲まれている。

数年前から、もうモノには執着しない、出来るだけものを減らす生き方を心がけるようにしている。どうしても、手放せないもの、これまでの自分の生活を支えてきてくれたものに、今後は囲まれて生活したいという思いは、年々深まっている。

年々、時代の行く末は混沌の度合いを増すばかりのように思えますが、どういうものか私自身の生活は、全く変わり映えのしない、たんたんとした静かな日々を送っています。囲炉裏通信を書きはじめてから、またたく間に2年と5カ月が過ぎましたが、この書いていた時間の密度の充実は、続けて書いた自分が一番わかっていますから、安心して囲炉裏通信に終止符が打てるような心境です。(でもまた、何か始まる予感がします)

こういった心境になるとは、書きはじめた当初は思いもしませんでした。時代も、状況も、そして自分自身も、おそらく変わってゆくのだというしかありません。

話は変わり、藤原新也さんの昨日のトークに、氏が高校生のころ40日間アルバイトをして買ったという、中国の磁器の写真がアップされています。今も氏と共に一輪の花が活けてある磁器、本当に気に入ったものと共に暮らせる、慎ましくも、かくも豊かな暮らし。

何とはなしに、自分がこれから目指す生活の、お手本はそんな暮らしです。あわてず、騒がず、ゆっくり、本当に大切な人や手放せない品物と共に、枯れてゆきたく思うのです。

我が家のナンテン
枯れゆく先まで、命を見つめ続けたく思うのです。

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