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2012-03-29

遠野での旅のことなど

宮城石巻にて

宮城石巻にて


早、三月一日、木曜日休日の朝久方ぶりに、パソコンに向かっている。何から書いたものやらという思いが、たくさんありまして、きちんと整理して書きとめるには、いささか余裕がないのですが、ほんの少しでも書いておきたく思います。

213日早朝出発し、岩手、宮城、福島、東京、郡上八幡と移動し、220日に帰ってきました。かなりハードな旅でした。もどって10日も立つのですがようやく普段の生活に戻りつつあります。この久方ぶりの短い旅で私が感じたこと、また旅での非日常時間の中で経験したことは、今後を生きてゆく上で、実に大きい旅になったということだけでも、ここに記しておきたいという、今は心境です。

したがって、今回、厳冬期の旅を、定年を機に敢行できたことは、私にとってはささやかな冒険ではありましたが、やはり年齢には関係なく、出来るときに出来ることを、(悔いなくやれるうちに)やっておくということの決断をして良かったということを、いま書きながら実感しています。

さて、話は変わりますが初日、岡山から新幹線を乗り継ぎ、岩手は新花巻で乗り換え、釜石線に乗り換え、遠野に向かいました。このローカル線で21歳の美しい女性に出会いました。(私のブログにコメントを頂いています。ありがとうまさか、遠野のボランティアセンターに向かい共に労働することになるとはその時は思いもしませんでしたが)岡山を、朝5時半に立ち、遠野には4時半に着きました。

結論から書けば、被災地にゆくには足がないので、私は生まれて初めて、なにかボランティアをすることにしたのです。結局、遠野には3泊し、2日ほど瓦礫の撤去に従事しました。バスの中からいきなり、無人の被災地を見た時のことは、眼底から消えることはないと思います。

このいきなりの遠野での、初めてづくしの中で感じたことの数々は、折々書きたく思います。一言でいえば、何事も外側から見ていただけでは何も実感しないということです。わずか3泊だけでしたが、共に身体を動かし、ご飯を食べ、寝て、話をした中からしか生まれて来ない関係性ということの貴重さ。

わずかの時間を共有した中で、実に印象に残る人間らしい素敵な面々に出会うことができました。遠野の小野克己さんという方からもコメントを頂いていますが、古里の宮崎と同じように、往きたいところが郡上八幡のほかに、もうひとつ加わることになりました。

これからの人生の時間、どのように過せばいいのかのヒントが見つかる旅となりました。

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