私ごときのささやかな歩みの60年の人生の中にも、振り返れば何度も転機があったのだが、その都度なにがしかの決断をして、かろうじて歩を進め、今を生きているということの、在り難さをしみじみと感謝する自分がいる。
今日は休日なので、眼の前の我が家の庭に、かすかに訪れている60回目の春の気配を感じながら(万物の生命力を)穏やかにパソコンに向かっている。朝一番、すっかり私の休日の友となった、愛犬メルとの散歩をし、ついでにこれもすっかり日課になったのだが、ささやかに決めている運動をして、妻の用意してくれていた朝食を済ませ、これから歯医者さんにゆく前のいっときの、ブログ時間というわけである。
3月も早、8日。本当に月日の流れは早いのだが、可能な限り一日一日を、自分なりに悔いのないようにということを、意識的に課していることもあって、自分で言うのも気がひけますが、充実した日々を過しています。
話は変わりますが、先月東北の旅の帰り、私の人生に、今も大きな影響を与え続けている、岐阜県郡上八幡在住の、最近はたんなる音楽家という括りにはおさまらないほどに、だれも足を踏み入れたことがない音の世界の探究を続けている、土取利行さんを訪ね一晩氏の話に、耳を傾けました。
土取さんの多岐にわたる仕事に関しては、このブログを開いてくださる方は、是非氏ホームページを読んでみてください。そして氏のブログを読んでほしく思います。氏がパリから帰国後、本格的に始められた音楽略記は目からうろこと私には思えるほどに、その内容は素晴らしいものです。
この半世紀のうちにおおよそ失われしまった、取り返しのつかないように思えるほどの、最重要な日本の現在の文化状況に関する、氏の危機感の真情の吐露が多岐にわたって、深く綴られています。
私自身が、いかほど氏の世界を理解しているかはともかく、氏がせきを切ったかのように語り続ける、情熱の根拠を今回の郡上八幡の立光学舎(氏と、無くなられた夫人の桃山晴衣さんが設立した音楽堂)での一夜の語らいは、私に知らしめました。
今後も、氏の言葉に耳を傾け続けたく思う私です。
尊敬する土取さんの記事 |
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