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2012-03-29

東北大震災後に訪れた意識の変化

何事にも拘束されない、つまり心に余裕の在る時間に、自然とわいてくる言葉を綴れるということが、この年になってこんなにも、ある意味で楽しみになるとは、ブログを始めるまで、思いもしなかった。

もうすぐ、囲炉裏通信は終わりますが、気まま日記は意識が健康である限り、人に読んでもらうのではなく、自分自身の日々の何気ない記録として、また自分自身に向かっての確認と励ましのために書きつづけようかと思います。

ブログは、なにがしか他者を意識して不特定の方に向けて書いている(また書くことになるように思います、今は少しお休みします)のですが、日記は極めて個人的な、思考確認の繰り返しになります。

おそらくこれからは、すでにお亡くなりになった私の尊敬する方々から、ほんの少しでもいいから、いくばくかを学びながらそちら側の方と共に、生きてゆきたく思います。現在を確認し生きるための糧として、死者の言葉に耳を傾けたいのです。

死者のことを考え、死者の言葉に耳を傾けるということは、還暦を過ぎ、これからの現在をしっかりと生きるためには私にはどうしいても必要なことです。やがてはそちら側に往くための準備を、可能ならやれるうちにと思うのです。その生活の中から、見えてくるものがあれば、企画の光が見えてくれば、望外の喜びです。そのためには学ぶしかありません。

私の本棚には、いつか読めるような時間が持てる暮らしが、訪れたら読みたいと思い買っておいた本が、随分並んでいます。それを読破するだけでも、かなりの時間を要するでしょう。

芸術は長く人生は短しとは、昔から言い古された言葉です。若いころには気づかなかったことを、50代に入ってから随分気づくようになりました。それによって、この10年間はかなり、非情な世の中の動きとは関係なく、個人的には落ち着いて過ごすことができたこと、幸運を噛みしめています。

ところで、今日は亡き母の命日です。母の写真を見ながら書いています。父は怖く、母は優しい、あの両親のもとに生まれてきたことを、今は心から感謝しています。

遠野BCの宿舎
明日は、東北の未曾有の震災から1年、命の不条理、経験していない空なる感覚。言葉がありません。

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