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2024-03-30

明日、第二回目のシェイクスピアリーディング音読会の前の日の五十鈴川だより。

 昨日はじめて薪ストーブを焚かなかった。一昨日長女と孫二人が帰京し普段通りの生活に昨日から戻った。昨日は午前中いつも通り肉体労働に従事し、今日明日はお休みである。この一週間目まぐるしく時間が過ぎたので、落ち着いてニュース報道に触れていない。

倉敷昆虫館でのノアは

私が個人的なことに時間を割いている間にも、ロシアのテロ、大谷さんの問題等、相も変わらぬ(失礼)報道が飛び交っている様相だが、もうほとんど五十鈴川だよりでは触れる気にはならない。だが無関心というわけではもちろんない。あくまで五十鈴川だよりでは打つきが起きないというだけのことである。

いまはただ、おのれの今を見つめる、老いゆく今を活性化させるようなワクワクすることや、今もっとも打ちたいことを、打てるときに打っておきたいというだけである。と、ここまで打ったところでNさんから電話がかかってきた。

Nさんからシェイクスピアのリーディング音読に関して、非常に前向きな提案を朝いちばんのお電話でいただいた。音読チームでライン繋がりにまずなるという。それはすでに実現し、早速女性で参加されているTさんと私がご挨拶を交わしあいました。老いの体にワクワク感がわいてくる。

Nさんは多岐にわたっていろんなことをされておられている、実にユニークな方なのであるということを徐々に私も認識し始めているのだが、そのかたが私の日本語のシェイクスピアリーディング音読にかくもご尽力していただける幸運には言葉がない。私がやれないことをNさんは全面補足し、その上新しいアイデアを順次打ち出して、面白い展開に導いてくださるのだから。シンプルでパーマネントな随時参加者を募るようなフライヤーも作ることになった。

春、大地から一斉に新しい芽が吹き出してくるかのようなこの季節に、第一回の間違いの喜劇のリーディング音読が無事すみ、明日あっという間に第二回目のリーディング音読ができるとは、これほどスムースに事が展開するとは思いもしなかった。体はくたびれているがここちよい疲れである。今日充分に休んで明日のレッスンに備えたい。

手術後のこの3年間、いつか再びリーディング音読することを諦めなかったことが、かえすがえすもよかったと今は春風が体を吹き抜けてゆくかのようである。私は過信はしていない。老いの身体を充分に勘案しながら今現在やれるレッスン、いい意味で世阿弥がいっているような(よくは理解していないかも知れないが)枯れた花のようなレッスンを私は夢見る。参加者の情熱に老いゆく私が水を注ぐようなレッスンがやりたいと、やれる手応えのようなものを、私は初回のレッスンから感じたのである。参加者の情熱が私に乗り移るのである。

春は出会いと別れの季節である。諦めなかったお陰で世代を越えて、というかいちばん若い参加者の男性は20代である。私の友人以外は皆さんずっと世代が若い、私の娘たちと同じくらいのかたもいる。初見で物怖じせず堂々と音読する。飛び込まない限り泳ぎは上手にはならない。泳ぎたければ水にはいる。シェイクスピアの長い台詞を息をたっぷりすって音読するのは修行がいる。だが、自力で泳げたら楽しいのだ。

数々の珠玉の作品の登場人物の言葉を、唯一の自分の体で格闘し音読する、できる喜びを参加者には是非見つけてほしい。そのためのリーディング音読のコーチに私は情熱を注ぐ覚悟である。

2024-03-27

【間違いの喜劇】第2回目のリーディング音読、岡山市庭瀬の吉備公民館に決まる、そして想う。

 春の嵐を思わせる天候がこの4日間続いていたが、今日はどうやら晴れそうである。一昨日夕方から長女と二人の孫が帰省しており、我が穏やかな老夫婦生活は一足先にまるで桜が一気に咲いたかのような賑やかさに家中が包まれている。

我が家のはっさく松岡和子先生にも送った

5月2日生まれの未彩(みあ)はまもなく一歳、望晃(のあ)は今月13日6歳になったばかりである。家には犬のメルと猫の花がいて、ミアは最初怖がっていたが、昨日はすっかり馴れてメルの耳をつかんんだりしてふれあっていた。ノアは昨日雨のなか朝いちばん、私と倉敷の昆虫館に行ったり、夕方図書館や、私のバイト先に行って農工車に乗って遊んだりと、お爺の私は忙しい。今日もまた長女たちと老夫婦は何かと忙しくなりそうだが、その前につかの間の五十鈴川だよりタイムである。

ところで、第一回の間違いの喜劇のリーディング音読が無事にすんだことは、前回の五十鈴川だよりに打ったが、思った以上に参加者の反応がよく、それも初めてシェイクスピア作品を音読した、30年の面識交遊がある71才になるS氏、私のいちばん長い交遊のK氏(この二人は翌日我が家で有料の個人レッスンをした)をはじめ、ほぼ全員が次のレッスンを望んでいるらしい。

講師をつとめた私は思わぬ手応えがとても嬉しく、私は全5回のレッスンでは発表会にこぎ着けるのは難しいので、せめてその倍くらいのレッスンと、日時の都合で参加できない方のために、任意での個人レッスンを平日午後我が家でやりたい旨を主催者のN氏に伝えたところ、N氏が素早く動いてくださり、第二回目のリーディング音読レッスンは岡山市庭瀬の吉備公民館で3月31日日曜日、午後1時から5時までやることいなった。

N氏がレッスン会場をすぐに決めてくださった行動力に感謝したい。おそらくこのペースで4月、5月と進めば6月末か、夏休み7月頭までには発表会にたどり着けるところまで行けるように、私としては熱く冷静にレッスンをやり続けたい。3回目のレッスンは4月7日、4回目は4月14日いずれも午後が、場所は未定だがすでに決定した。

思わぬというか、意外な展開の広がりに私の心はにわかに沸き起こる暴風雨のような様相と言ったら、言い過ぎかもしれないが、何か新しいことをやるのであれば、これまでやっていたことをあくまでも踏まえながら、新しい人たちと(年齢は関係ない)出会う冒険、場を設定しなければ、何事も産みだし得ないと考える。

ぬるま湯に浸かっていることすら自覚ができないような、ふやけたレッスンだけはやりたくないのだ。シェイクスピアに申し訳ない。かといって厳しさ一辺倒のレッスンも私はやりたくはない。一言で言えば参加者の情熱が私に乗り移り、相乗効果をいやが上にもスパイラル状に舞い上がってゆくかのような、つたなくとも意外な生きている表現が生まれてゆくようなレッスンを私はやりたいのである。

最初のレッスンで高齢の見学者の方が二人おられただけで、意外なほど参加者のみのレッスンとは異なる効果が生まれたのを私は感じた。今後も制限をもうけながら随時、見学したい人がいれば受け入れようと思う。

いずれにせよ、うまくは言えないがわたしのレッスンは、その場に居合わせたヒトの情熱が渾然一体となって一期一会のレッスンが毎回行われ、参加者が間違いの喜劇の登場人物の台詞と格闘し、リーディングすることで、自ずとそのかたの唯一の個性が輝くようなレッスンを私はやりたいのである。

遊声塾をコロナで閉じて4年後、今またこのような形で新しいリーディング音読仲間、それもわたしの同年代の友人プラス、まったく見知らぬずっとずっと若い方々と共に、間違いの喜劇をまっさらな心持ちでリーディング再開できるとは、夏の夜の夢ではなく春の夜の夢ではあるまいか。だが、夢ではなく事実である。日本語によるシェイクスピア作品のリーディング音読の愉しさを新しい仲間と見つけたい。


2024-03-24

3月23日、吉備路文学館での、第一回間違いの喜劇リーディング音読を無事終えた翌朝に想う。

 昨日3月23日は3年前初めての大きな手術をして退院した日で、奇しくも丸4年以上公的な場でのシェイクスピア作品のリーディング音読と同じ日であった。手術をした頃はコロナの真っ只中であったし、よもやまさか昨日のような場での、リーディング音読が実現するとは、当たり前だが実現するなどとは、想像だにできなかった。私のような性格の輩には感慨もひとしおであった。オーバーではなく私は復活できたのである。

かくありたいと想う、憧れる

N氏による企画に私がリーディング音読の講師として招かれるという形で実現したのだが、企画を持ちかけたのは私である。私の思いを汲んでフライヤーの作成から、多岐に及ぶあらゆる煩雑な裏方を努めてくださったからこそ実現したのである。ことあるごとに折々五十鈴川だよりには打っているので重複は避けたいのだが、氏との奇縁とも言うべき再会がなければ、と思うとき、ヒトはきちんと誰にたいしても接しておかなければならないという哲理を改めて噛み締める。この場を借りてN氏に感謝を伝える。

かなり体は疲れている、が、素直に第一会のリーディング音読が無事にすんだことを五十鈴川だよりにきちんと打っておく。午後一時から開始、参加者は女性が2名、男性が4名、見学者男性1名女性1名、N氏はマネージメント。講師の私含め計10名、吉備路文学館の2回のお部屋が理想的な感じで埋まり、それぞれほとんどが初対面、または私の友人3人(一人は82才の見学者)ともリーディング音読という形での新たな再会の時ということになり、午後4時25分ギリギリまでわずかな休憩をはさんで、充実したレッスンがやれたことを打っておく。

2時にはほぼ全員が、3時過ぎに最後の参加者がこられた。当日N氏の尽力で演劇をやられている女性が見学にこられたのだが、途中からリーディングに参加されたことも講師の私としては意外な展開、Yさんの急な参加が他の面々にも刺激をもたらした。3時過ぎこれまた演劇をやられているというEさんが加わり全員でのレッスンが実現、講師の私としてはうまい下手とかではなく、なんとも形容しがたい和みの初回リーディング音読を終えることができた。

5幕の最後の方で時間がなくなり、最後まではリーディングできなかったが、私としては、年齢もまちまちバランスのよいリーディングができたと自負している。何よりも参加者が必死で(私もまた)音読する姿に、改めて初心忘るるべからずという言葉を噛み締めた。

シェイクスピア作品【間違いの喜劇】の日本語によるリーディングすることの難しさ、楽しさを改めて痛感することになった。が、参加者に希望、手応えを私は持った。昨日のリーディングでシェイクスピア作品の豊穣さを改めて思い知った。発見、気付きがある間は音読レッスンがやれる。老若男女が登場するこの短い作品はシェイクスピアを初めてリーディングする参加者たちにとって、最適なテキストであることがよくわかった。

私が間違いの喜劇のイジーオンを演じたのが29才、あれから43年の歳月が流れたが、このような形で再び一期一会の形でリーディング音読ができるとは。有為転変、61才から再びシェイクスピア作品の数々をリーディングしてきたからこそのお導きというしかない。参加者の方々にはシェイクスピア作品のリーディング音読が苦しくとも楽しいのだということを、私が見つけたように見つけてほしい。

今日は午後神奈川から参加している、出会って46年になるK氏との個人レッスンが控えている。この事実にはオーバーではなく、戦慄的とも言える幸福感が私を包む。このような奇特というしかない友情が我が人生に持て、しかも現役バリバリで子供にかえったかのように遊べるなんて、夢のような出来事が実現したのである。

ヒトはなぜ生きるのか、シェイクスピアの珠玉の作品の数々には答えがない。その事が素晴らしいのだと私はこの年齢で思い知る。いかに生きたらいいのか、日々選択しながらヒトはいきる。道無き道をヒトは必死でいきる、しかない。その厳然たる真実を、この世で出会えた偶さかの命、間違いの喜劇の音読を通して本質的に出会いたい。


2024-03-20

春分の日、マルセ太郎さんの娘、梨花さんを中世夢が原に案内する朝に想う。

 今日は寒の戻り、春分の日の朝であるが雨模様で風も強く温度も上がらない、山沿いでは雪も降るとの予報が出ている。予報が気になるのは、今日は故マルセ太郎のお嬢さん梨花さんと午前10時に新倉敷駅で待ち合わせ、中世夢が原にゆくからである。

雨は致し方なしとしても、雪だけは降らないでほしいというのが今の私の願いである。40代半ば中世夢が原の神楽民俗伝承館で、マルセ太郎さんの一人語りスクリーンのない映画館、泥の河を企画したことがある。

マルセ太郎さんは2001年1月22日に逝去され、あれから23年の歳月が流れたが、昨年11月【マルセを生きる】という本が上梓された。長くなるので簡潔に記す。梨花さんの父であるマルセ太郎という不世出の芸人の成し遂げた事実としての仕事と人生がつまった本である。縁あった方々が22年前に寄せた50名のかたの文章も入っている。(私の拙

妻が丹精込めた春の花
文も)

私が打たれ感動したのは、梨花さんの中に今も脈々と生きる亡き父の存在の大きさと、マルセ太郎という芸人がかっていたことを、今を生きる人たちに知ってほしいという念いの深さである。上梓されるまで22年の年月がかかったとはいえ、立派に梨花さんの情熱の炎が燃え続けた結果この本が私の手元にあるのである。

この本には私の知らないマルセさんがわんさかつまっている。私の一文ではこの本の魅力は到底五十鈴川だよりでは伝えられない。この本が上梓されたことで再び私はマルセさんと出会ったようにさえ感じている。この本の魅力を伝えるために私にできることは、ささやかに企画をすることだけである。企画することでより深くマルセさんの世界を追体験できるようにおもえるのだ。

理屈ではない。40才で企画者として再出発してから、今に至るも打たれ、感動する事を唯一の根拠として企画してきた自負がある。72才、夢見る頃は遥かにすぎたが、感動するバネがかろうじて残っているので、マルセを生きるという本のタイトルに倣って、ささやかであれ梨花さんをメインにして、何かを企画したいのである。

そのために春の嵐のようなお天気の春分の日なのであるが、中世夢が原を案内し、かってマルセさんが語った神楽民俗伝承館を案内し、可能なら父娘2代同じ場所での、もの語りが実現できたらと夢見る。ともあれマルセを生きる出版を祝う、今を生きる小さな企画をやりたい。

2024-03-17

来週土曜日、3月23日午後一時から吉備路文学館で開かれるシェイクスピアの【間違いの喜劇】の音読会を前に想う。

 来週土曜日にいよいよ吉備路文学館での音読会が始まる。1月13日に主催者であるN氏による素晴らしいフライヤーができて、あっというまに月日が流れた。シェイクスピア遊声塾をコロナによって閉じて以来、参加者を募り公の場でシェイクスピアの音読をするのは4年ぶりである。

中世夢が原から移植した水仙が根付いた

このような機会が再び与えられるとは、当人である私にも思いも及ばなかったというのが、正直な気持ちである。他力の風が吹いたのである。ただ自分の中では生きる日々の糧であるかのように、個人的な音読をわずかな時間ではあれ継続、持続していたお陰で、いつでも音読レッスンがやれる。(状態にはある)

長くなるので割愛するが、N氏との再会の出会いがなければ吉備路文学館でのリーディング音読はなかったであろう。61才を期して青春時代の学び直し、再び日本語によるシェイクスピア作品の音読に挑戦し、丸6年以上シェイクスピア遊声塾での経験があればこそ、今回の企画も生まれたのだと思う。

今私は72才を迎えたばかりである。高齢者になり明らかに肉体的には下り坂を自覚しているが、ありがたいことに情熱のほうはほとんど変わらず、経験したことのないコロナ渦のこの4年間の過ごし方で鍛えられ、新たな経験値、気付きの深まりがある。だからこそ、新しい気持ちでのリーディング音読に挑みたい自分がいるのだと思える。

過度なPRもせずに、知られていないシェイクスピア作品のリーディング音読に、参加者がいるのかはなはだもって不安ではあったのだが、Nさんのご尽力のお陰で未知の参加者が4名、私の友人が2名、計6名の参加者がエントリーされている。思った以上の参加者に正直驚いている。新聞記事にも取り上げられていないのに、遊声塾を立ち上げたときよりも参加者が多い、意外な嬉しい驚きである。3人も集まれば上出来くらいの気持ちでいたのだから。

心・技・体という言葉がある。技と体に関しては普通を自覚している。心は一応10年以上、日本語によるシェイクスピアの作品リーディング音読を持続してきたので充実の今を生きている自覚がある。またその事に対する自信のような厚顔無恥さ加減がなければ、とてもではないがこのような大胆なことは、気の小さい私にはやれないし、情熱が湧いてこない。

湧いてくるからこそやりたいのであり、わいてこなくなったら、あっさりと諦め他のことに情熱の矛先をむけると思う。だからといって過信しているわけではもうとうない。参加者がゼロであれば、きっと他の事をやって(音読は個人的に続けることに終始していると思う)いる。

初回は都合で参加できない方がいるのだが、現時点で6名の参加者があり、私の友人の一人は神奈川から参加する。(この事がいちばん私を驚かせ感動させる)晩年、心からやりたいことに情熱をそそげる生き方が出来ている方は幸せである、と思う。この丸3年、大きな手術以後、お金にはほとんど頼らず、ほぼやりたいことだけに情熱を注いで生きていられる今の生活を楽しんでいる自覚が私にはある。

そのような自覚がないと、とてもではないが臆面もなくこのようなことは五十鈴川だよりに打てない。清貧という言葉は苦手である。清濁を私は受け止めて生きたい。AI人工知能という言葉を聞かない日がないくらいだが、厳粛にこれからの有限なる時間をシェイクスピア作品を音読しながら、老いとはなにか、家族とはなにか、贅沢とはなにか、幸福とはなにか、命とはなにか、戦争とはなにか、豊かな人生とはなにか、つまるところ自分の人生とはなにかを、考え続けたい。(答えは不要である)

慎ましく、足るを知る高貴な心持ちを大切にとの教えは、いやというほど亡き父親から叩き込まれたものである。その教えは柔な私を折につけ、いわば逆境で奮い立たせるのである。このコロナの4年間、そして今も呪文のように忍耐という言葉を私は折りに呟く。

記憶に間違いがなければ、好奇心とは高貴心であるとはシェイクスピアの言葉である。リア王は全てをなくし、王から転落、無一文になり気づく。そして叫ぶ、神よ、忍耐を与えたまへと。

今回のリーディング音読、テキストはすべて筑摩文庫で翻訳者は松岡和子先生による。女性で全訳という偉業を初めて成し遂げたかたの翻訳日本語を、私もまっさらな気持ちで出会えた面々と学び、音読したい。

2024-03-10

母の命日、あの運命の夫婦の子供として、5人(姉、長兄、次兄、私、弟)の子供一人として授かった有り難さを想う。

今日は母の命日である。ようやっと最近父の面影と母の面影が同じくらいの感じで、両親への感謝の気持ちが、年々増してきている。あらゆることに気付きが遅い私である。

二人の子供をなんとか育て、古希を迎えることができ、いま3人の孫に恵まれ、あの両親の子供としてこの世に生誕したことのありがたさをつくづく思いしる。父がなくなった2月5日と今日3月10日は、私にとって特別の日である。

深くなっとく絶妙対談、人柄がにじむ。

自分がいつまで健康に五十鈴川だよりを打てるのか、いつまで音読できるのか、いつまで企画できるのか、いつ寿命、お迎えが来るのかはもちろん神のみぞ知る。がはっきりしていることは確実に父や母が亡くなった年齢に自分が近づいているのを深く意識しながら、一年でも長くあらゆることに前向きに生きる覚悟である。。

69才での大手術以後、生まれ変わったかのように節制し、家族はもちろんいろんな方のお陰で元気に生活できている。今はただひたすら足元を見つめ生きることのみを自分に課し、限られたこれからの人生時間を、きちんと大切に生きなければならないと、両親の面影(遺影を前にして)に誓い祈る私である。

年年歳歳、いまとなっては宝石のようなかけがえのない思い出が、辛い苦しい思いでも、楽しい思いでも、嬉しい思いでもまるごと全部が私の中で発酵して自分に都合のいいように甦り、思い出せるのはかくもありがたく嬉しいことである。4月から孫の望晃(のあ)が小学生になる。私の入学式、母は当時30代半ば私はキリリとした美しき姿を思い出す。

人間の脳は都合の悪いことは忘れ、よいことのみを思い出すと本で読んだ記憶があるのだが、当たり前だと思う。嫌なことばかりを記憶していたらとてもではないが、病にでも倒れ、人生途方にくれるしかない。この歳まで何はともあれ元気にこの茨の路を歩んでこれたのは、恐らくあの両親のもとに生を受けられたからこその、賜物である。鬼の父親、菩薩の母親。すれすれの絶妙バランス。つくづくその事だけは、きちんと五十鈴川だよりに繰り返し打っておかねばと思う。

さて、話は変わる。昨日五十鈴川だよりに打ったように、出会って28年I氏ご夫婦のスペインサンチャゴ巡礼旅の写真展とおおよそ1時間のトーク報告会に参加してきた。素晴らしい夫婦愛が香りたつかのようなお二人の人柄がにじみ出るトーク報告会だった。悩む力をバネに積み上げられたからこそ成し得た世界。彼らが撮った切り取った写真に彼らのお人柄が自ずと現れていた。参加してよかった。学べた。(その事をわずかであるが五十鈴川だよりに打っておく)

ほっこりという言葉を最近よく耳にするが、まさにほっこり感が会場に漂っていたのを私は随所で感じた。ほどよい参加人数。手のとどくさりげないおもてなし。カモミールティが冷えたからだにしみた。見知らぬ人から声をかけられたり答えたり。

彼らの一歩一歩がスペインサンチャゴの天と大地(雨の日があるからあれほどの天空の蒼さが際立つ)の風景の中にご夫婦が溶け込んで見つけた写真が素晴らしかった。ギリギリから逃げないヒトにのみ女神は舞い降りるのである。ヒトは何かを失い、何かを見つける生き物であるとの側をこそ私は生きたい。人間は間違い続け、学び続けるのである。

(ほとんどコメントのない五十鈴川だよりにI氏からの彼らしいコメントをいただいた)

五十鈴川だよりは、一行を打てば自然と水がしみてわいてくるように、流れ出すので自分でもどのような一文になるのかは全くわからない。キザではなく自分が書いているのではなく他力の風のお陰でなんとか丸12年も折々五十鈴川だよりが続いているのだ。今は亡き両親が、あの3日坊主の私のいまの姿をみたらなんというであろうか。両親の教え鍛練無くして、いまの私は存在しない。遅蒔きにしてようやく実感している。

(最後にいまアマゾンプライムで見つけた、いつでも君を待っている、という台湾の連続テレビドラマにはまっている。私の幼少期の源風景をいたく刺激する。その事もまた五十鈴川だよりに打ちたい)

2024-03-09

友人のスペイン・サンチャゴ巡礼路800キロ、ご夫婦の写真展&トークイベントに出掛ける前の五十鈴川だより。

 今日はこれから高松市内のホールで行われる、私の友人ご夫婦が、スペイン聖地巡礼の旅800キロを歩かれた写真展とトークが行われるイベントに参加する日の朝である。

昆虫館、蝶ルームで手を合わせるノア

先週の土曜日は、大阪まで筑前琵琶を聴きに行き(故マルセ太郎さんのお嬢さんの梨花さんとと共に)大阪は心斎橋で初めて個人的にマルセさんのお嬢さん梨花さんとゆっくりとお話ができた。その事はまた時を改めて五十鈴川だよりに記すこともあるかもしれない。ただ3月3日おひな祭りの日に梨花さんと会い、お話ができたことは、一行でも五十鈴川だよりに打っておきたい。

さて話を戻し、今日高松まで出掛ける友人と出会ったのは1996年である。当時もちろん私は中世夢が原で働いていて、自主企画のアフリカンマエストロ、3人によるコンサート実現のためにスポンサーを探して駆けずり回っていた。困り果てていたときに、当時アサヒビール岡山支店で働いていたI氏が救いの手を差しのべてくださった方である。

氏の無償の行為のお陰でアフリカンマエストロを実現することができたのである。当時のお金で50万円。いまでも大金である。当時の私には土壇場9回裏満塁ホームランを打ったかのような、忘れられない記憶、出来事である。(以来今日まで、おおよそ28年間利害関係のない君子の交わりが切れず続いている。先日の上京でお会いしたM子さんとも35年、私には長きにわたって交遊が続いている大切なめったには会えないのだが、友人が存在している)

以来この歳になってもかえすがえす思うことは、ギリギリ限界まで諦めてはならないということと、きっぱりと諦めることのいい加減の匙具合である。運というものは微笑むときも、微笑まないときもあるという厳然たる事実、真実があるという認識がいまの私にはある。

人間世界の器を越えた条理が、いわば他力の風が吹かない限り、私ごときの企画であれ何であれ、実現は誠にもって難儀至極である。ではどうやって他力の風が自分の方に吹いてくるように願うのかは自分でも全くもっていまでもわからない。あえて打てば、なんとしてでも実現したい、企画したいという、恋人に会いにゆく、例えは悪いが一途なおもいのようなものがないと、私の場合は情熱が湧いてこないのである。

もうほとんど企画者としてはリタイアしてしている。たまたまこの数年企画することになっただけで、自分の中ではほとんど企画者としての自覚は私にはないというのが、正直なところである。ただ、最近利他的に、自分のためというよりは誰かのために、身近な大切な人のために小さな企画をやりたい。老人(らしい、なりの)の私が純粋にやりたいことに、悩む力がある間はやりたいのである。

それと平行して、あるいはシンクロしてこれまでの人生で出会えた、かけがえのない友人たちに会いにゆくいわば小さな巡礼の旅、のようなことの実現に私は時間を大切に生きたいのである。オーバーに言えばその事が私にはとても大切なイベント(祝祭)なのである。だから今日は久しぶりの友人行脚小さな旅ということになる。

出会えて28年の果てに、ますます素敵なご夫婦になられ、ご夫婦で800キロも歩かれ写真展をされる。小さなことの積み重ねの上に、ある日突然美しい花が咲く。このような友人と巡り会えたことの幸福感を五十鈴川だよりに打たずにはいられない。明日は母の命日である。



2024-03-02

春の陽光、3月最初の五十鈴川だより。

 東京から戻り、3日ほど働いて月は変わり、今月始めての五十鈴川だよりである。妻は仕事で私一人である。私の部屋、寝室兼遊び部屋を約一時間以上かけて本の整理や雑巾がけをして、気持ちを新たにして打っている。春を思わせる陽光が私の背中に当たっている。穏やかそのもの、平和そのものである。(でも平和ボケはまずい)

これからも度々この本はアップします

最小限の報道にしか接していないので、世の中の動きにはとんと頓着しない、時代遅れ極楽とんぼ老人生活を謳歌している私なので、特段に打つことはないのだが、一週間に一度はなにかを綴り打ちたくなるのは何故なのか、自分でもよくはわからない。が、打っていると何やら文章のようなものが、画面を埋めてしまうのがやはりどこか楽しいというか、心のうちが何とはなしに整理整頓ができたかのような感じで、スッキリするのが、自分でもいいのだと思う。

18才から世の中に出て、嫌なことや、ややもすると若い頃は特に、絶望的な気分になり勝ちな私ではあったのだが、富良野塾を卒塾した34歳あたりからひたすら自分の中に希望の種を撒くというか、自分のダメさをほんの少しでも改善するがための努力を、ヒトと比較しないで、超薄い皮をめくり脱皮を繰り返すように心かけ、弱い自分の心と体に、時に自己嫌悪になりながらも、いかんいかんと反省し、古希を過ぎたいまもそのように生活している自分がいる。(自分には絶望したくないのだ)

油断大敵ではあるが、先日の上京で孫と遊んでいるときに、これはまさか夢ではあるまいなと、白昼夢におそわれそうになった(のではあるが)事実としてのつましくも穏やかな暮らしが実現し、五十鈴川だよりを能天気に打てることへの感謝は、例えようもない。

一歩一歩ゆっくりと歩いたものだけが遠くまでゆくとの言葉を、折りに噛み締めるのだが、40才まで散々な寄り道、そのお陰で否応なく試行錯誤を繰り返し、弱い自分から逃げなかったお陰でいまがあるのだと(運を引き寄せられた)自分では肯定的に受け止めている。

変に斜に構えず、真っ向勝負を自分に課したから女神が微笑んでくれたのだと、自分に都合よく考えられたからこその今なのだと。無学無知蒙昧コンプレックスはきっと終生変わることはないだろうが、ようやっと最近方の力が抜けるのと同時に、【マルセを生きる】という本との廻り合いで、マルセさんのお嬢さんの梨花さんとも本格的に出会うことになり、いまの私の年齢だからこそやりたくなる、やれる企画が生まれてきそうな気配の春なのである。

何事も積み重ねなくして企画は生まれず、花も咲かない。三日坊主の私がよろよろよたよたしながら歩んできて半世紀以上、いろんな偶然の女神の微笑みのお陰で、現在があるとしたら、これからも(これ以上は恥ずかしくて打てないが)自分でも意外な企画が企画が生まれてくる予感がしている。そのためには謙虚に学び、新しいヒトと出会わないと何も生まれない。