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2024-03-09

友人のスペイン・サンチャゴ巡礼路800キロ、ご夫婦の写真展&トークイベントに出掛ける前の五十鈴川だより。

 今日はこれから高松市内のホールで行われる、私の友人ご夫婦が、スペイン聖地巡礼の旅800キロを歩かれた写真展とトークが行われるイベントに参加する日の朝である。

昆虫館、蝶ルームで手を合わせるノア

先週の土曜日は、大阪まで筑前琵琶を聴きに行き(故マルセ太郎さんのお嬢さんの梨花さんとと共に)大阪は心斎橋で初めて個人的にマルセさんのお嬢さん梨花さんとゆっくりとお話ができた。その事はまた時を改めて五十鈴川だよりに記すこともあるかもしれない。ただ3月3日おひな祭りの日に梨花さんと会い、お話ができたことは、一行でも五十鈴川だよりに打っておきたい。

さて話を戻し、今日高松まで出掛ける友人と出会ったのは1996年である。当時もちろん私は中世夢が原で働いていて、自主企画のアフリカンマエストロ、3人によるコンサート実現のためにスポンサーを探して駆けずり回っていた。困り果てていたときに、当時アサヒビール岡山支店で働いていたI氏が救いの手を差しのべてくださった方である。

氏の無償の行為のお陰でアフリカンマエストロを実現することができたのである。当時のお金で50万円。いまでも大金である。当時の私には土壇場9回裏満塁ホームランを打ったかのような、忘れられない記憶、出来事である。(以来今日まで、おおよそ28年間利害関係のない君子の交わりが切れず続いている。先日の上京でお会いしたM子さんとも35年、私には長きにわたって交遊が続いている大切なめったには会えないのだが、友人が存在している)

以来この歳になってもかえすがえす思うことは、ギリギリ限界まで諦めてはならないということと、きっぱりと諦めることのいい加減の匙具合である。運というものは微笑むときも、微笑まないときもあるという厳然たる事実、真実があるという認識がいまの私にはある。

人間世界の器を越えた条理が、いわば他力の風が吹かない限り、私ごときの企画であれ何であれ、実現は誠にもって難儀至極である。ではどうやって他力の風が自分の方に吹いてくるように願うのかは自分でも全くもっていまでもわからない。あえて打てば、なんとしてでも実現したい、企画したいという、恋人に会いにゆく、例えは悪いが一途なおもいのようなものがないと、私の場合は情熱が湧いてこないのである。

もうほとんど企画者としてはリタイアしてしている。たまたまこの数年企画することになっただけで、自分の中ではほとんど企画者としての自覚は私にはないというのが、正直なところである。ただ、最近利他的に、自分のためというよりは誰かのために、身近な大切な人のために小さな企画をやりたい。老人(らしい、なりの)の私が純粋にやりたいことに、悩む力がある間はやりたいのである。

それと平行して、あるいはシンクロしてこれまでの人生で出会えた、かけがえのない友人たちに会いにゆくいわば小さな巡礼の旅、のようなことの実現に私は時間を大切に生きたいのである。オーバーに言えばその事が私にはとても大切なイベント(祝祭)なのである。だから今日は久しぶりの友人行脚小さな旅ということになる。

出会えて28年の果てに、ますます素敵なご夫婦になられ、ご夫婦で800キロも歩かれ写真展をされる。小さなことの積み重ねの上に、ある日突然美しい花が咲く。このような友人と巡り会えたことの幸福感を五十鈴川だよりに打たずにはいられない。明日は母の命日である。



1 件のコメント:

  1. 日高さん!今日はありがとうございました。そして、この28年間もかけがえのないお付き合いをさせていただき、ありがとうございます。今後とも引き続きどうぞよろしくお願いいたします😊

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