東京から戻り、3日ほど働いて月は変わり、今月始めての五十鈴川だよりである。妻は仕事で私一人である。私の部屋、寝室兼遊び部屋を約一時間以上かけて本の整理や雑巾がけをして、気持ちを新たにして打っている。春を思わせる陽光が私の背中に当たっている。穏やかそのもの、平和そのものである。(でも平和ボケはまずい)
これからも度々この本はアップします |
最小限の報道にしか接していないので、世の中の動きにはとんと頓着しない、時代遅れ極楽とんぼ老人生活を謳歌している私なので、特段に打つことはないのだが、一週間に一度はなにかを綴り打ちたくなるのは何故なのか、自分でもよくはわからない。が、打っていると何やら文章のようなものが、画面を埋めてしまうのがやはりどこか楽しいというか、心のうちが何とはなしに整理整頓ができたかのような感じで、スッキリするのが、自分でもいいのだと思う。
18才から世の中に出て、嫌なことや、ややもすると若い頃は特に、絶望的な気分になり勝ちな私ではあったのだが、富良野塾を卒塾した34歳あたりからひたすら自分の中に希望の種を撒くというか、自分のダメさをほんの少しでも改善するがための努力を、ヒトと比較しないで、超薄い皮をめくり脱皮を繰り返すように心かけ、弱い自分の心と体に、時に自己嫌悪になりながらも、いかんいかんと反省し、古希を過ぎたいまもそのように生活している自分がいる。(自分には絶望したくないのだ)
油断大敵ではあるが、先日の上京で孫と遊んでいるときに、これはまさか夢ではあるまいなと、白昼夢におそわれそうになった(のではあるが)事実としてのつましくも穏やかな暮らしが実現し、五十鈴川だよりを能天気に打てることへの感謝は、例えようもない。
一歩一歩ゆっくりと歩いたものだけが遠くまでゆくとの言葉を、折りに噛み締めるのだが、40才まで散々な寄り道、そのお陰で否応なく試行錯誤を繰り返し、弱い自分から逃げなかったお陰でいまがあるのだと(運を引き寄せられた)自分では肯定的に受け止めている。
変に斜に構えず、真っ向勝負を自分に課したから女神が微笑んでくれたのだと、自分に都合よく考えられたからこその今なのだと。無学無知蒙昧コンプレックスはきっと終生変わることはないだろうが、ようやっと最近方の力が抜けるのと同時に、【マルセを生きる】という本との廻り合いで、マルセさんのお嬢さんの梨花さんとも本格的に出会うことになり、いまの私の年齢だからこそやりたくなる、やれる企画が生まれてきそうな気配の春なのである。
何事も積み重ねなくして企画は生まれず、花も咲かない。三日坊主の私がよろよろよたよたしながら歩んできて半世紀以上、いろんな偶然の女神の微笑みのお陰で、現在があるとしたら、これからも(これ以上は恥ずかしくて打てないが)自分でも意外な企画が企画が生まれてくる予感がしている。そのためには謙虚に学び、新しいヒトと出会わないと何も生まれない。
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