ページ

2024-02-17

久しぶり来週孫たちに会いにゆく、穏やかに春の陽射しを感じる朝に想う。

 来週から5泊6日、ずいぶん会っていない3人の孫に会いにゆく。妻は私が孫を猫っ可愛がりをするのが、ちょっと意外らしい。かくいう私も自分が孫に会えることに、老いてこその喜び、そのことが格別である事を打たずにはいられない。

この世、魔界を自在に生きる

自分の子供ではないのだから、無責任に喜べる。そしてやはりたまに会うからこその、喜びというものだとも想う。こればかりは理屈ではない。恐らく今の私の元気のもと、労働にしろ、音読にしろ、日常生活のあらゆる根元的な老いの活性化は、やはり孫の存在が大きい、と思う。循環の喜び。

最初の孫、長女に授かった望晃(ノア)は3月で6歳今年から小学校にはいる。次女の息子葉は今年7月で3歳、長女の第2子未彩(みあ)は女の子、5月で1歳を迎える。ちょっと会っていないと驚きの大変化、人生で一番変態してゆくかけがえのない時間を体感せず見逃してしまう。だから私はせめて一年に最低4回は直接孫たちとふれあう時間を持ちたいのである。

ということで、今週もよく働き、あっという間に土曜日がやって来た。土曜日曜は、おやすみとは言うものの、平日やれないことをあれやこれややっているので、本当に私は退屈することがない今を生きている。自分で言うのもなんだが、(あくまで今のところ)なんだか老いてきてゆっくりとではあるが、好奇心の方はいまだ衰え知らずであるのが、嬉しい。

ところで13日、72歳になり妻を始め、娘たち家族からお祝いをしていただいた。割愛するが、二十歳までお誕生日を祝ってもらったことがない人生(だからと言ってまったくと言っていいほどに私はほかの人を羨んだことがない)ではあったのだが、人並みにやはり嬉しい。

ほかの人はいざ知らず、家族友人含め大事な人たちが、存在していれば、私には十分である。若いときには、人並みに世間的に認められたい上昇思考のようなものが、何がしかの存在でありたいという欲、煩悩のようなものがあったように思うが、かれてきたのとはまた違うのだがが、何が自分らしいのかは置いといて、限りなく下降思考というか、静かに存在したいとでもいうしかないような感覚が、手術後のこの3年、育ってきているのを感じている。静かに何かを願い祈り歩き、草と戯れることは限りなくするけれども、芸術や文化は最小限追いかけることが、さほどなくなりつつある。(本当に心が動くものだけ出掛ける)

小さく深く、しっかりと根をはって、自分に限りなく欠けていた他者を慮る生活を、殊勝にも古希を過ぎてからいよいよ大切にしたい、と思うようになってきたのである。まずは家族にとってありがたがれる、役に立つ存在でありたいのである。その延長で友人知人ともよき関係性の根を無理なく自然に育みたいのである。

そのためには自分なりの生活のなかでの余裕のようなものを、働きながらわずかであれ蓄えながら、ささやかな夢のある企画、還暦以後やっていたような音読ではなく、老いらしさの薫る音読のような事が、やれればといま夢見ている。

そのヒントは【間違いの喜劇】の幕開きのイジーオンのなが台詞を繰り返し音読していたときに、ふとひらめいたのである。上昇思考ではなく、下降思考から思わぬヒントが生まれてきたりすることもまた、老いらしさという風に考えれば、思わぬ楽しい出来事が待っているやも知れないではないか。ともあれ、冬の日差しのなかで春の陽射しを感じながら、今日をいかに過ごすのかに思いを馳せる私である。

0 件のコメント:

コメントを投稿