1月最後の日、昨日で今月の肉体労働は終えたので、今日はゆっくりと五十鈴川だよりが打てる。未だ爪痕生々しい、能登半島の大震災で年が明けてはや一月、色々なニュースや情報が、嫌でも飛び込んでくる、十分に老人の私は、日々無事に日常生活が送れていることの在りがたさを天に向かって感謝しつつ、五十鈴川だよりを打つ。
一気に読んだ。感動した。 |
ところで、久方珍しくも実名、沼野健司さんさんから嬉しいコメントを前回の五十鈴川だよりにいただいた。(この場を借りてお礼申し上げます)沼野さんとは1月21日、神戸であったマルセさんの【文忌】の会で出会ったばかりの方である。
この会でお会いした方々に名刺を何枚かただいたのだが、私は名刺を持ち合わせていなかったので、名刺がわりに短いお便りをいれて投函したのだが、反応素早く多分着くと同時くらいに、すぐにコメントをいただいたのである。(今後はますます手書きを楽しみ、デジタル併用自在でありたい)
老いゆくなかで見つけたことのひとつに、できるだけゆっくりと丁寧に生きてゆきたい、ということがある。薪割りも、何もかもゆっくりとしかできないが、そのゆっくりを面白可笑しく楽しくと、どこか念じつつ。そのような日々を送ってはや一月が経過した。
だが2週連続週末動き、27日土曜日大阪の山本能楽堂(素晴らしい)で行われた人間国宝奥村旭翆さんの筑前琵琶(たたずまい、か細い声になんとも言えない艶が、琵琶の響きに別世界に誘われた)を聴きに行った帰りに、神戸に立ち寄り20年以上文忌を主宰されているN氏と、2時間近く一献傾け歓談した。ゆっくりと足元日常生活を送りながら、この機会を逃すとなかなか会えないように思えるかたとは、意を決して会うように心かけているのである。
そういう意味では、平凡な生活の中に、なにかと充実した一月を(明日からは2月なので)個人的に送れているのは、動くときには動く体、がいまだあるという証左、ありがたやというしかない。
肉体労働と音読で、体調を整えながら新しい出会いが生まれる。また、これが一番大事なのだが、古いお付き合いの方たちとも、新しい現在を風通しよく交歓し合えるような関係性の持続が今後ますます私には重要大切になってくる。そのように生活したい。
ところで、意外な展開。昨日着信履歴が(私は一日に数回しかスマホを開かない。ほかの事をしている)あったので文忌主宰者N氏に電話をいれると、2月5日月曜日、広島の帰りに岡山に立ち寄るので、よかったら我が家に泊めてほしいとのこと。私は快諾した。一宿一飯の関係性が生まれた。
誰でも泊めるわけではない。文忌を主宰され続けておられる方が、我が家に泊まりにこられる。ゆっくりとお話ししたのは27日だけである。まさに一期一会の功徳というほかはない。手前みそではなく、たった一度の語らいで、うまが合い信用してくださったのだと、勝手に私はどこか内心快んでる。縁は生まれ、縁はやがて死とともに消える。
文忌に参加したことで、沼野さんから暖かいコメントをいただいたり、文忌の主宰者が我が家にやって来る。それもこれもマルセ太郎さんを思い付きで企画しえたご縁による。あれから20年、マルセさんは生きている、というに留まらず、いよいよもって現世での存在感をあまねく降り注ぎ続けるように感じている。【マルセを生きる】という本のおかげで何やら今年は、私個人は限りなく静かに、限りなく慎ましく、時に熱く、ご縁のあったかたたちと面白可笑しく交歓しつつ、平凡に生活したいと、念う。