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2024-01-31

【文忌】で出会えた沼野健司さんのコメント、そして文忌の主宰者N氏が来週我が家にやって来る、そして想う。

 1月最後の日、昨日で今月の肉体労働は終えたので、今日はゆっくりと五十鈴川だよりが打てる。未だ爪痕生々しい、能登半島の大震災で年が明けてはや一月、色々なニュースや情報が、嫌でも飛び込んでくる、十分に老人の私は、日々無事に日常生活が送れていることの在りがたさを天に向かって感謝しつつ、五十鈴川だよりを打つ。

一気に読んだ。感動した。

ところで、久方珍しくも実名、沼野健司さんさんから嬉しいコメントを前回の五十鈴川だよりにいただいた。(この場を借りてお礼申し上げます)沼野さんとは1月21日、神戸であったマルセさんの【文忌】の会で出会ったばかりの方である。

この会でお会いした方々に名刺を何枚かただいたのだが、私は名刺を持ち合わせていなかったので、名刺がわりに短いお便りをいれて投函したのだが、反応素早く多分着くと同時くらいに、すぐにコメントをいただいたのである。(今後はますます手書きを楽しみ、デジタル併用自在でありたい)

老いゆくなかで見つけたことのひとつに、できるだけゆっくりと丁寧に生きてゆきたい、ということがある。薪割りも、何もかもゆっくりとしかできないが、そのゆっくりを面白可笑しく楽しくと、どこか念じつつ。そのような日々を送ってはや一月が経過した。

だが2週連続週末動き、27日土曜日大阪の山本能楽堂(素晴らしい)で行われた人間国宝奥村旭翆さんの筑前琵琶(たたずまい、か細い声になんとも言えない艶が、琵琶の響きに別世界に誘われた)を聴きに行った帰りに、神戸に立ち寄り20年以上文忌を主宰されているN氏と、2時間近く一献傾け歓談した。ゆっくりと足元日常生活を送りながら、この機会を逃すとなかなか会えないように思えるかたとは、意を決して会うように心かけているのである。

そういう意味では、平凡な生活の中に、なにかと充実した一月を(明日からは2月なので)個人的に送れているのは、動くときには動く体、がいまだあるという証左、ありがたやというしかない。

肉体労働と音読で、体調を整えながら新しい出会いが生まれる。また、これが一番大事なのだが、古いお付き合いの方たちとも、新しい現在を風通しよく交歓し合えるような関係性の持続が今後ますます私には重要大切になってくる。そのように生活したい。

ところで、意外な展開。昨日着信履歴が(私は一日に数回しかスマホを開かない。ほかの事をしている)あったので文忌主宰者N氏に電話をいれると、2月5日月曜日、広島の帰りに岡山に立ち寄るので、よかったら我が家に泊めてほしいとのこと。私は快諾した。一宿一飯の関係性が生まれた。

誰でも泊めるわけではない。文忌を主宰され続けておられる方が、我が家に泊まりにこられる。ゆっくりとお話ししたのは27日だけである。まさに一期一会の功徳というほかはない。手前みそではなく、たった一度の語らいで、うまが合い信用してくださったのだと、勝手に私はどこか内心快んでる。縁は生まれ、縁はやがて死とともに消える。

文忌に参加したことで、沼野さんから暖かいコメントをいただいたり、文忌の主宰者が我が家にやって来る。それもこれもマルセ太郎さんを思い付きで企画しえたご縁による。あれから20年、マルセさんは生きている、というに留まらず、いよいよもって現世での存在感をあまねく降り注ぎ続けるように感じている。【マルセを生きる】という本のおかげで何やら今年は、私個人は限りなく静かに、限りなく慎ましく、時に熱く、ご縁のあったかたたちと面白可笑しく交歓しつつ、平凡に生活したいと、念う。


2024-01-26

1月21日【文忌】という、故マルセ太郎さんを偲ぶ会に参加して来ました。そして思う。

 熱はないがちょっと体が重く、鼻水が出るので大事をとって、今日は肉体労働はお休みして布団のなかで猫になっていたのだが、新鮮な内に、忘れない内に21日の事を打っておきたい。

マルセ太郎という知るヒトぞ知るボードビリアン、芸人をご存じのかたがおられるだろうか。マルセさんは2001年1月22日、岡山のK病院で逝去された。

マルセさんと再び再会した。

長くなるので、五十鈴川だよりでは、要点のみ簡単に記す。私は40歳で中世夢が原で、企画者として人生再出発をした。18才で宮崎の田舎から上京して40才まで東京で基本的に生活をした。(一年半のロンドン自費留学、富良野での足掛け3年を除いて)

その22年間に体験した、主に演劇、映画や音楽、の感動体験の蓄積をバネに、失われた時間を取り戻すかのように、ガンガン企画をしていた。

中世夢が原という、遊びをせんとや生まれけん、企画者心を無限に刺激する場と空間を与えられた私は、自分でも信じられないくらいの、エネルギーが沸いて動いていた。(気がする)感動の蓄積(インプット)がアウトプットを支えていた。

私が20代の終わり、4年近く在籍していたシェイクスピアシアターという小さな劇団(日本で初めてシェイクスピア全作品の完全上演を成し遂げた)は客席数120席のジャンジャンという渋谷の山の手教会の地下にある小劇場を本拠地にしていた。

綺羅星のようにスゴい多ジャンルのアーティストが日替わり、もしくは数日間で出演する小さな半地下の劇場。今はない。そこで私は雪村いずみさんの歌や、浅川マキさん、中村伸郎、ほかそうそうたる面々のステージに、まさに出会った。

振り返るとジャンジャンで私が体験し学んだことは、いまとなっては、帰り来ぬ青春、宝である。そこでたまたま一度観たのが、マルセ太郎さんという一口では形容できない異色の芸人であった。 

まだ誰もなしたことがない映画をまるごと一人で語る、映画再現芸、スクリーンのない映画館というピン芸を創造されたころであったと思う。私が富良野での修行生活を終え、再び東京ライフを始め、さあいよいよこれから後半の人生をいかに生きて行くべきか、大きな岐路にたたされていた頃であった。

はしょる。当時妻と巡りあったばかりの頃で娘もおらず、よもやまさか岡山に移住し、企画者になるなんて思いもしなかったころである。だが事実は小説より奇なり。企画者となった私は、その後中世夢が原で小栗康平監督の【泥の川】、西大寺の五福座で黒沢明監督の【生きる】を企画することになる。

再びはしょる。一昨年の暮れ、突然マルセさんのお嬢さんからお手紙をいただき、たち消えになりかけていた、マルセさんがお亡くなりになってまもなく、50名の方々が当時書いた文章を、やはり本という形にしたいという熱い思いを、岡山でお嬢さんの梨花さんから直接聞いた。

あれから20年の歳月が流れた、だが梨花さんのなかで片時も離れずマルセ太郎という存在が、ますます大きな存在となって発酵し続けていたのである。本という形にしたいという念いが実り、昨年11月上梓され手元に届いたのである。(まるでマルセさんが奇跡的によみがえったとしか言えないような、閉塞感極まるこの時代に明るい快挙というほかはない)

話は飛ぶ。マルセ太郎さんがお亡くなりになってから、神戸にて【文忌】というマルセ太郎という無比の存在を偲ぶ会を21年の長きにわたって継続してこられたNさんという方がおられる。(まさにマルセ太郎に魅いられた方である)

梨花さんとお会いしてから、その文忌に昨年、今年と二年連続して参加、2回目が21日だったのである。上梓されたばかりの本を10冊買い求め、初めてNさん梨花さん、弁護士の弟Rさん、そして梨花さんのお嬢さんとの語らいに最後まで参加し、楽しい時間をすごし、結果赤穂線の終電で帰ったのだ。

明日、熱がなければ大阪に筑前琵琶を聴きに行く予定なのだが、その帰りに神戸のN氏に夕刻会うべくアポをいれた。会える人には会えるときに会っておきたい。

2024-01-20

【間違いの喜劇】の音読リーディングに老いゆく体が反応する。大寒の朝に想う。

 なにか打ちたい。メルと散歩に出ると水溜まり、今は落ちていない。予報は雨である。今日は妻もお休みなので、穏やかな一日が過ごせればと思うが、被災地の私のような高齢者や、受験生他の置かれた方々の千差万別の困難は想像を絶する。

2年前の先生との再会が全ての始まり

水が出て、お風呂には入れ、暖がとれ、食べるものがあるということのありがたさは、永久に体験したもののみが関知する他はないほどに、想像を絶する。そのようななか、今朝も能天気に五十鈴川だよりを打てる、打つおのれの生活の在りがたさを噛み締めている。

さて、老人生活を堅持しながら、N氏のフライヤーの素晴らしさ(いたく想像力をかきたてる)に背中を押され、日々肉体労働をしながら、一歩一歩3月に向けて、なにがしかの私なりの実践を送っている。

コロナ禍のこの4年間、何はともあれ日々を、自分なりに有意義に生活を営めてきた、おかげで、きっとこのような素晴らしいフライヤーに巡り会えたのだと、勝手に思っている。幸運は積み重ねた上にしか咲いてはくれない。

どこか諦念感覚を持ちながらも、しぶとく一寸あきらめない絶対矛盾を、未だ微かに持ち合わせている情熱の残り火、のようなものにしがみついて、あちらこちらの数は少ないが熱い友人知人に、お手紙やメール、電話等で私の念いを伝えている。

一月も今日で二十日、大寒であるが、老人の私のハート、体はどこかしら熱い。そのような感覚がないと、とてもではないが、間違いの喜劇の音読リーディングはまず無理である。フライヤーができてから、ほぼ毎日、間違いの喜劇の個人レッスンを続けている。平均すれば毎日ゆっくりゆっくり2時間続けている。(正味一時間半)

間違いの喜劇を音読するのは、2016年以来だから7年ぶりである。小田島雄志訳ではなく、松岡和子訳でのリーディング。微妙に随所に翻訳が異なる。小田島雄志訳で馴染んでいた体に染み込んでいた言葉を洗い落とすように、まずはリーディングしている。今現在の自分の年齢体でのリーディング、これが自分でも新鮮なのに、ちょっと驚いている。

30才で読んでも、65才で読んでも、今読んでもやはりシェイクスピアの言葉は(日本語に翻訳されても)私の体の奥深く、琴線を刺激する。その言葉を面白く感じる想像力、キャッチする感覚があれば、である。

吉備路文学館でのフライヤーのキャッチコピーには、私の思いが籠められている。このような今をいきる一人の老人生活者の思いに反応してくれる、未知の自分を発見したいという勇気を持ったヒトに、私は出会いたい。ただそれだけである。

久しぶりに丁寧にリーディングしてみて、7年前とは明らかに異なる現在の体が言葉に反応する。30才でイジーオンを読んだときには、まったく関知し得なかった感覚が、老人の我が体が喜んでいる感覚を、今私は間違いの喜劇に発見している。最後、家族との再会の場面では、思わず涙腺に込み上げるものがあった。喜怒哀楽快不快、心から開放し伸びやかにリーディングする。あくまでも自然に木の葉が落ちてゆくように、自分の摂理に従うリーディング。

生きている喜びとは、体の赴くまま自分の摂理を生きる喜びの発見だと、今また私は発見しているのだ。喜びの発見、人生の喜びはヒトそれぞれ千差万別である。たまたま私はシェイクスピアの作品の言葉に出会い、救われ続けているだけなのである。幕開きのイジーオンの長い台詞を、諳じる事にまず41年ぶり挑戦している。



2024-01-14

薪作り・冬の日溜まり・読み稽古。

 今朝はかなり冷えたが、休日の朝のルーティンを終え、冬の日差しが差し込む我が部屋にいると、オキシトシンがわいてくるのかなにか打ちたくなる。昨日夕刻、刷りたての間違いの喜劇のフライヤーを、N氏がわざわざ自宅まで届けてくださり、またまた恐縮、ありがたく、見事なフライヤーの仕上がりの余韻にひたっている、私である。

とは言うものの、そのフライヤーに負けないように今日も時間を見つけて、私自身のリーディングレッスンをする。一行一行集中、いつの間にか、一幕が終わる。昨日はお休みだったので、時おりお休みしながら、間違いの喜劇全幕を、午後2時から一人で全登場人物の台詞をリーディングした。

シェイクスピアの作品の中で一番短い作品なので、とりあえず久しぶりにまるごとリーディングしてみたのである。口の筋肉がいかように動くのかを、ゆっくり意識しながら、現在の自分自身の集中力と口力を確認しながらリーディングを無事に終えることができた。その事で吉備路文学館での音読リーディングレッスンに向かう打ちなる覚悟がまずは決まった。

これから2月いっぱい、生活仕事の合間合間に、各登場人物の抜き稽古声だしを持続的に続け、週に一回全幕全登場人物を通しリーディングすることで、気づいたことをノートに書けば、自分がどのようなレッスンをやりたいのかが、おのずと見えて来るように思える。

何事かに気づく、何事かが思い付くのは、無心に集中して完全にリラックスしているときにしか、私の場合アイデアはわいてこない。意識を集中し打ち込んで気持ちがいいときにしか、なにかは訪れないのである。キモチがのらないときにやっても効果は薄い。しかし、キモチがのらないときにでも、ゆっくりゆっくり体と相談しながら、音読を続けていると、徐々に集中力が増してきて、意外にも長い時間音読できたりもするから、体というものは実にいい加減不思議な器なのである。

薪作りと音読はセットである

ともあれ、3月から始まる、吉備路文学館での音読リーディングに向けて、どのようなレッスンがやれるのか、間違いの喜劇の各登場人物のリーディングを、まずは自分自身がやってみることで見つけてゆくつもりである。

間違いの喜劇の劇中、アンティフォラスと召し使いドローミオとの、時問答があって、意味もなくおかしいのだが、時、時間というものといかにうまく付き合ってゆくのかが、私にとってはこれからもっとも大事で大切なことなのである。

まずは念頭、間違いの喜劇のリーディングをやりながら、一日の時の過ごし方を充実して送らねばと、冬の日差しを浴びながら、もの想うのである。

2024-01-13

N氏のおかげで、吉備路文学館で3月から行う間違いの喜劇のフライヤーができました、そして想う。

 N氏から間違いの喜劇の完成フライヤーがメールで送られてきたのは一昨日の夕方である。昨年末、氏から突然メールがあり、年明け早々一度会って打ち合わせをし、その後はメールのやり取りだけで、本当にあっという間に出来上がった。(氏はずっと私の事を心に留め発酵させていたのである)なんという事の展開、早さでの仕上がりに、驚きを禁じ得ない。

夕刻N氏から直接届いたフライヤー

個人的な話で恐縮だが、よもやまさか吉備路文学館でW・シェイクスピアの音読・リーディングレッスンがやれるとは思いもしなかったので、喜びは格別なのである。

私はせっかちを自認しているが、事好きなことに関しては、年と共に忍耐強くなってきた気がしている。61才、2013年から天神山文化プラザでシェイクスピア遊声塾を立ち上げ、コロナで閉塾を余儀なくされる2019年末まで、ひたすらシェイクスピア作品の音読リーディングにかなりの情熱を割いていた。(31才から30年間まったく音読はやっていなかった)

閉塾後の一昨年、昨年と企画者としての情熱が再燃、アクションを起こしたが、再びシェイクスピアの音読がやれるかどうかは自分のなかでもわからなかった。年齢的にもう十分にやった、やれたという思いもあったし、かなりの覚悟で集中して声を出すレッスンはもうやれないのでは、との思いがよぎったのも確かである。

そのようなときにN氏に出会い(正確には再会)、会話を重ね、中世夢が原での経験体験や40歳で岡山に移住するまでの、右往左往話をするなかで、私のシェイクスピア作品の音読リーディングに対する情熱が再び再燃したのだ。

遊声塾の時とは異なる、多世代老若男女での、あまりにも豊かな言葉の魔術師W・シェイクスピア作品のいくつかを、私がこれまで音読テキストにしていた小田島雄志訳ではなく、女性で初めてシェイクスピア全作品の翻訳という偉業を成し遂げた、松岡和子先生の翻訳で声だしリーディングをやりたくなったのである。

長くなるので(五十鈴川だよりに書いている)はしょるが、2年前の夏の終わり、東京下北沢の本多劇場で、私は松岡和子先生に偶然ロビーでお会いしたのである。縁の不思議さに背中を押され、俄になぜだか、ものすごく先生の翻訳でシェイクスピア作品のリーディングを一からやりたくなったのだ。その昔、先生がまだ大学で教鞭をとられていて、私がシェイクスピア・シアターに在籍していた頃、何度もロビーや客席にいらした若き日の先生のお姿を私は記憶している。

あれから40年以上の歳月が流れたが、一方的に何かの啓示的お告げのような感覚にとらわれたのである。年齢を忘れ、声が出るうちにマッさらな気持ちで、新しい先生の翻訳でのリーディングに挑戦したくなったのである。その思いを私はN氏につたえた。氏は冷静に受け止め、氏が福武文化振興財団の助成を受けている事業の一環として取り組んでくださり、場所も願ってもない吉備路文学館を押さえてくださったのである。

私のような来歴の、一人のシェイクスピア好きが、岡山の吉備路文学館の空間で、【間違いの喜劇】のリーディングがやれるとは、初夢にしても身をつまされる思いである。

この数日時間を決め、2016年以来、久しぶりに松岡和子先生の訳で間違いの喜劇の音読リーディングを3月に向けて私自身のレッスンを始めている。老いゆくからだが喜んでいる。今年の5月までは間違いの喜劇の音読を中心に時が流れてゆくようになるだろう。どのような老若男女に出会えるのか、レッスンは顔ぶれ次第だが、その前にやるべき事、やっておかねばならないことを、2月末まで十分に準備しなければならない。(のだ)

集ってくださったかたたちの、幸福オキシトシンが溢れるようなレッスンをやりたい。そのためには私自身が入念に準備しておかねばならない。リア王が娘末コーディーリアに語りかける、何もないところになにも出てきはせぬという言葉が響く。こればかりは言霊が顕れるように老いを暫し忘れ反復音読するしかない。【愛こそ、そして今こそがすべてである】

間違いの喜劇は、松岡和子先生が37本のシェイクスピア作品の中で、一番最初に翻訳された作品である。私の一番好き作品であり、シェイクスピア・シアターで初めての大役イジーオンを演じた思いで深い作品である。


2024-01-08

2024年、1月8日月曜日、成人の日今年最初の五十鈴川だより。

 私の部屋に差し込む、陽光の力を浴びて、今年初めての五十鈴川だよりを打ちたい。

北陸をエリア襲った、今も続く大震災でお正月気分が吹っ飛んでしまい、ただひたすら静かに今日まで生活している。昨年暮れの五十鈴川だよりでも触れたが、老夫婦静かな年明け生活である。(あらゆる困難生活を余儀なくされているかたのことを勘案すると言葉がない、いつ自分にも天変地異が襲いかかっても不思議ではない。悲しいかな我が身で体感しない限りの、限界感覚を私は生きている)

逆さまですみません

だが、久しく年賀状を出さない生活を続けていたのだが、というより年賀状は数年前卒業したのだが、今年は55通もの手書き賀状をすでに投函した。55人ものかたに一文を添えて投函できる事の幸福、手で文字を書くことの、書けることの喜びを感じつつ、私なりのつましくも充実したお正月を過ごしている。ひとつ年を重ねる、老いゆく時間を積み重ねるごとに、感謝の念のは深まる。

体動かし老いバイトも、4日5日と勤め、今更ながら冬の日差しを浴びながら動ける喜び感覚、働ける感覚を噛み締めつつ、一年を全うする養生健康が願いである。

体にオキシトシンが分泌されるような生活を続けられたら、もう年よりの私はほかに多くはなにも望まない。何よりも家族や近しいかたたちが平凡にすごせ、世界の秩序安寧を祈るのみである。

ところで詳細は長くなるので省くが、一昨年出会ってひょんな事から多嘉良カナさんのポスター、フライやーをつくってくださったNさんが、福武文化振興財団の助成を受けて取り組んでおられる事業のひとつで、参加者がいれば3月から吉備路文学館でシェイクスピアの音読レッスンをやる事になり、フライやーを仕上げるために、N氏が今必死に年明けから取り組んでくださっている。一月中には出来上がる。

福武文化振興財団の郵便物のなかにフライヤーが同封されるとの事(その数2000通以上)、幾ばくかの反応があるや、なしや、楽しみである。そのフライヤーを私自身もあちらこちらに配布し、私がレッスン出来る間は、シェイクスピアの作品、現代日本語の翻訳によるシェイクスピアの素晴らしさが、一人でも多くの岡山に(岡山以外でも)住むかたに伝わるようにと、希望は膨らむ。テキストはシェイクスピア作品の【間違いの喜劇】松岡和子訳、筑摩文庫である。

出会って45年になる神奈川に住む親友(真友)からタイミングがあえば、参加したいというメールを昨日もらった。世界は広いのだ。どのようなヒトが生活し生きておられるのか、未知である。未知の存在に出会うべく、どのような音読レッスンがやりたいのかを、N氏に箇条書きにして、送ったのできっと素晴らしいフライヤーが出来ると確信している。(チラシが仕上がったらすぐにまずは五十鈴川だよりにアップします)

コロナで遊声塾をあきらめ、あれから4年、この間個人的に二人の新しい命、孫が授かり、その輝きは年よりの私を新たな世界へと誘う。60代でやっていたようなレッスンはもう出来ないし、あえてそのようなレッスンはやりたくはない。参加者からオキシトシンが溢れ、幸せ感に満ちるようなレッスンがやりたく、今日もこれから無になって間違いの喜劇を再読音読自分のためのレッスンをする。

世界は日々移ろうが、五十鈴川だより打ち続けたおかげで、自問自答時間を過ごせ、家族を含めた新たな出会いや再会が私を変化させる。【ゆくかわの流れは絶えずして・淀みに浮かぶうたかたは・消えかつ結びて・久しくとどまり足るためしなし】といった案配である。