青春18切符の車中で初めて五十鈴川だよりを打っている。3拍4日のふるさと帰省旅旅を終えて岡山に向かっている。現在地は山口県の富波というところで停車している。
なぜ急に五十鈴川だよりを打ちはじめたかというと、一人の18才の高校生で同じく青春18で旅をしている青年とであったからである。旅は道連れ世は情けというが、このような人との出会いが、極めて少なくなった時代、まれなことである。
写真が大好きな好青年との、急なにわか徒然旅を老いつつある私は意外や意外楽しめているのはこの青年のあまりなまでの、爽やかな風のような対応ぶりにすっかり参ってしまったからである。
青年はあっという間に、スマホにさわり、五十鈴川だよりが打てるようにしてくれたのである。台がないので打ちにくいのだが、ほんのちょっと記録記念に打ちたいのである。樹(いつき)というのだが、いい名前である。
大分の中津くらいから共に汽車を乗り継いできたのだが、どういう風な訳か、彼の方から声をかけてきてくれたその事が、じつに意外で嬉しかった。
このようなことは滅多に起こらないので、わずかであれ。一行でも、この夏の終わりの思い出に打たずにはいられない私なのである。
たぶんこのようなことは、きっと偶さかにしかおこらないであろうから、この先この青年がどのような人生を歩むにせよ、私としては交遊を続けたい気になっている。その事がたぶんわたしに五十鈴川だよりを打たせるのである。
彼さえよければ、世代を越えて君子の交遊を続けたいのである。彼がこの夏の旅で撮った写真をわずかだが見せてもらったのだが、素晴らしい。彼がお声かけしてくれたので思わぬ、五十鈴川だよりタイムとなったが、縁はいなものあじなものという他はない。
即興老春五十鈴川だより。妙な一文であれ、打たずにいられない私がいる。情熱の欠片が未だあるという証だと、想う。ともあれ世代を越えた関係性が始まる。
PHOTO: 竹村 樹