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2023-08-29

ふるさとから岡山に向かう、在来線の車中で、爽やかな青年と出会い。車中で五十鈴川だよりを打つ。

 青春18切符の車中で初めて五十鈴川だよりを打っている。3拍4日のふるさと帰省旅旅を終えて岡山に向かっている。現在地は山口県の富波というところで停車している。

なぜ急に五十鈴川だよりを打ちはじめたかというと、一人の18才の高校生で同じく青春18で旅をしている青年とであったからである。旅は道連れ世は情けというが、このような人との出会いが、極めて少なくなった時代、まれなことである。

写真が大好きな好青年との、急なにわか徒然旅を老いつつある私は意外や意外楽しめているのはこの青年のあまりなまでの、爽やかな風のような対応ぶりにすっかり参ってしまったからである。

青年はあっという間に、スマホにさわり、五十鈴川だよりが打てるようにしてくれたのである。台がないので打ちにくいのだが、ほんのちょっと記録記念に打ちたいのである。樹(いつき)というのだが、いい名前である。

大分の中津くらいから共に汽車を乗り継いできたのだが、どういう風な訳か、彼の方から声をかけてきてくれたその事が、じつに意外で嬉しかった。

このようなことは滅多に起こらないので、わずかであれ。一行でも、この夏の終わりの思い出に打たずにはいられない私なのである。

たぶんこのようなことは、きっと偶さかにしかおこらないであろうから、この先この青年がどのような人生を歩むにせよ、私としては交遊を続けたい気になっている。その事がたぶんわたしに五十鈴川だよりを打たせるのである。

彼さえよければ、世代を越えて君子の交遊を続けたいのである。彼がこの夏の旅で撮った写真をわずかだが見せてもらったのだが、素晴らしい。彼がお声かけしてくれたので思わぬ、五十鈴川だよりタイムとなったが、縁はいなものあじなものという他はない。

即興老春五十鈴川だより。妙な一文であれ、打たずにいられない私がいる。情熱の欠片が未だあるという証だと、想う。ともあれ世代を越えた関係性が始まる。


 


                 

PHOTO: 竹村 樹



2023-08-20

猛暑の夏、ギリシャ悲劇、ソフォクレス作、オイディップス王を演出した石丸さち子さんと40年ぶりに再会、そして想う。

 お盆を過ぎても相変わらずの猛暑が続いている。私なりに猛暑のやり過ごし方を考えてはいるにしても、正直もううんざりしている。が、生きねばならない。そのような日々のなか、思わぬことが起こる夏である。

昨日午後2時半から兵庫芸術文化センターで行われた【石丸さち子演出のギリシャ悲劇の最高傑作といわれるオイディップス王】を見てきた。なぜわざわざ観に出掛けたのか。石丸さち子という名前を新聞紙上で見つけたときに、ひょっとしたら、シェイクスピアシアターの同期生で共に芝居をしたことがある、あの石丸さち子さんであるかもしれない、と思ったからである。結果はやはりあの当時の記憶しかない石丸さち子さんであった。

何せ40年近くお会いしたことがないのに、会ってくれるかどうかもわからないのに、いきなり劇場に訪ねても失礼にあたるかもしれないという気もしたのだが、この機を逃したら、という気持ちのほうが勝って、開演前、楽屋口から私の名前を出してお会いしたい旨を伝えると、腰の柔らかい有能な女性のマネージャーのかたが出てきてくれて、わざわざ遠方から来てくださり、とお礼を言われ、リハーサルを終えたら石丸が会うと言っております、と告げられた。

その瞬間、来てよかったと心から思った。その上チケットは完売であったのだが、たまたまキャンセルが一枚出たその席を私のためにあてがってくださったのである。開演前客席に座っていると、日高さんと、私を呼ぶ声が通路から聞こえてきた。40年ぶりのさち子さんであった。ロビーで寸暇立ち話(当時まだ彼女は早稲田大学の学生ではなかったか)演出家として見事に大成された、石丸さち子さんとの再会が叶った。紆余曲折、お互い苦楽の果ての再会は、同時代を熱く生きたものだけが味わえる喜びである。

遠いところよく来てくださったとお声かけしていただき、恐縮しつつも嬉しさが込み上げてきた。大人の女性になられていた。再会の握手をした。私のほうがずいぶん年上だったので、当時ずいぶん生意気な口を利いたかもしれないのに、柔らかく暖かく対応してくださった。東京公演以外は兵庫芸術文化センターだけ、千秋楽でてんやわんやの最中、寸暇わざわざ会いに来てくれたことが本当に嬉しかった。電話とメールのアドレスのメモをいただき、東京での再会を約束した。

開演前の舞台

私はギリシャ悲劇として名高い、ソフォクレス作、オイディップス王を石丸さち子演出で初めて観劇した。昔ともに芝居をしたことのある仲間が、大輪の華を咲かせたとでもいうしかないほどに演劇人として立派に成長したお仕事をされていることに感銘を押さえることができなかった。

正攻法の演出で戯曲を読み込み、奇をてらったところがなく、私の知らない三浦涼介という俳優さんが主役のオイディップスを演じたのだが、徐々に彼の演技に引き込まれた。演技人のチームワーク、アンサンブルがとてもよく、演出家が自然に俳優の良さを、力を粘り強く引き出しているのが、私には伝わってきた。

現代の俳優がオイディップス王のおかれた苦悩を全身で表現し、現代劇としてよみがえり、それを私は観ることが叶った喜びを、五十鈴川だよりにうたずにはいられない。これからの彼女の演出家としての仕事が楽しみである。今後、石丸さち子さんのお仕事は可能な限り、見届けたく想う。

2023-08-15

出口治明先生に学ぶ猛暑の夏。(独学は老いを豊かにする、居ながらにして学べる)

 台風が近づいている。従って今日は労働仕事はおやすみである。こういう日はただ静かに生活し、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。

話は変わる。このコロナ禍の3年以上で、私自身の生活のなかで以前とはちょっと異なる変化のひとつは、本を読む種類がいくぶん変わったことがあげられる。人生の残りの持ち時間を、どうしても意識するので、これまであまり手にしなかった分野の本も読むようになってきた。それはこの十数年かなりの時間手にしてきた佐藤優さんの本の影響が大きい。本は次の本を呼ぶ。

というわけで、出口治明先生(私にとっては先生と呼ぶにふさわしい)の仕事に効く教養としての【世界史】という本を読み終えたばかりである。昔だったら、仕事はとうにリタイヤしているから手に取らなかったと思うが、教養という言葉に引かれて手にした。正解、教養という言葉を凌駕してあまりあるほどのあまりの博覧博識に一驚した。読み進めながら何度も感嘆した。

この本は2014年に出版されている。出口治明先生がお話したことを優秀な編集者がまとめた本なので実に読みやすく、読み出したら一気に引きずり込まれ、時間を見つけて3日ほどで読み終えた。

目から鱗、蒙が開かれるとはまさにこの事である。そのいちいちは割愛するが、第6章のドイツ・フランス・イングランド、3国は一緒に考えるとよくわかるというところを読むと、シェイクスピア作品にヘンリー6世三部作があるのだが、じつによくわかるのである。この作品は英国とフランスとの100年にわたる、俗に薔薇戦争を題材に描いた長大な作品であるが、その時代の地理的、政治的時代背景がわかれば数倍楽しめる。(異国の私にも人間ドラマとしても十分に楽しめ、現代にも十分に通用する普遍的な作品)

出口先生が理路整然と表にして図形かして説明してくださると、がぜん分かりやすく、なるほどなるほどとと府に落ちるのである。そして時おり関西弁でユーモアを交え、日本の歴史に置き換えて説明してくださるので分かりやすいのである。

先生は学者ではない、長く大企業の第一線で体をはって仕事をされてきた方である。企業で働く傍ら、独学で人類5000年史を独自の視点で学んでこられ、読書と旅が趣味の、私に言わせれば達人的な生き方をされている方である。このような先生に、無知がバネの私は一度でいいから学んでみたい。

シェイクスピア作品には、イタリアやギリシャ他、シェイクスピアが実際に生きた時代よりももっと昔を描いた異国の作品が多く、多くの国々の地理地名が出てくる。ひとつ例をあげるといわゆるルネッサンス以前の大航海時代が、どういう時代であったのか、私のような無知な輩にもすとんと落ちるのである。

そのアウトラインを知って【ベニスの商】を読むと、シャイロックのおかれていた苦悩が一段と理解できる。(気がするのだ)宗教の成り立ちや、ユダヤ教、イスラム教、そしてキリスト教の変遷の歴史についても、簡潔に述べられていて、私のような輩には本当に、世界史の入門書として最適の本に出会った、喜びに満たされる。この歳になって、今更ながらの無知の洗礼を浴びている私である。

出口先生に学ぶ猛暑の夏

だが、遅いということはない、と自分に言い聞かせている。またひとつ私のなかでの世界史の扉が開かれた喜びが私の体を浸している。この感覚があれば、まだまだ学べるという喜びがわいてくる。要は自分の人生は自分で学んでゆくことが、面白いのである。

長くなるのではしょるが、先生はライフネット生命を創られた方である。そして現在はとある大学の学長をなさっている。このような方がおられ、独自の視点で世界史を学びなさいと、説いておられる。紆余曲折、万事塞翁が馬、いきる叡知の入門書として複眼的に学べる、まれな本に猛暑のなか出合えた幸運を五十鈴川だよりに打っておく。

2023-08-13

次女の子供葉くんとつかの間の夏休みを、海とプールですごせたことに感謝する五十鈴川だより。

10日午後やってきた次女夫婦と2歳になった孫の葉君が、昨日午後5時過ぎの飛行機で帰京した。

我々老夫婦は、この間密に葉くんとのつかのまの2日間を過ごした。一昨日は玉野の入り江に設けられた海水浴場で(娘は幼馴染みと再会交遊)旦那さんの周さんと我々4人で、午前中お昼近くまで、葉くんと遊んだ。初めての葉くんとの海水浴、もちろん葉くんにとっては自分の足で胸まで海水に浸かりながら歩くという体験は初めてである。
葉くんの・命を浴びる・老いの夏


その場におじじとして立ち会うことが叶って、私としてはつかの間の幸福感に酔った。私は娘二人しか育てた経験がないので、男の子の扱いはまるでわからないが、そこは男同士私なりのやり方で、自然体でいつも葉くん望晃君と遊んでいる。

妻はもっぱら写真と動画で記録係、私と周さんとで葉くんのお相手をした。そのいちいちを私の文章力では到底表せない。一言爺バカ承知で打っておきたい。葉くんは好奇心がいっぱいで、最初は恐る恐るであったが数十分もしないうちに自分の足で歩くようになった。未知との遭遇、好奇心が人間を育てる、と私は確信する。

そして昨日午前中、朝一番お墓参りを済ませ、再び(むすめは家で昼食の準備、天ぷらをあげ素麺をゆでてくれていた。午後イチ大学の友人宅にゆく予定があり別行動)我々4人で長船にあるプールへ。9時過ぎについたらなんと我々氏かおらず、約一時間以上ほとんど貸しきりで、幼児用プールで葉くんのお相手をしながら、時おり大人用のプールで泳ぎ、妻もともにプールに入り、葉くんと遊んだ。

葉くんはプールがすっかりお気に入り、時間が来たのでプールから上がろうとすると、泣いて周さんを困らせた。夢中になって遊んでいるのを中断させられたのであるから、泣いて抗議するのは当たり前である。が仕方がないのである。こうやって葉くんは成長してゆくのである。

午後3時、岡山の友人宅で娘をピックアップして空港まで行き、次女家族を妻と見送った。この慌ただしくも楽しいひとときは瞬く間に流れてゆき、葉くんの笑顔泣き顔しぐさのいちいちが今も脳裡をめぐる。その帰りきぬ2才の輝きの一瞬を、わずかでも五十鈴川だよりに打たずにはいられない、お爺である。

数年前には存在していなかった命。そして今2才の命を眩しく浴びる老いゆく私。その摂理、命の循環の有り様を、私は蝉時雨を聴きつつ静かに受け止めている。そして想う、一年でも長く孫と遊べるお爺であるべく、老いをいかに生きるか自分に問うのである。

PS 父親である周さんが(長女の旦那さんも)実に豆に葉くんのお相手をしていることに、私は感動を覚えた。

2023-08-11

次女夫婦が昨日帰省しました。老母にわかに活性化、そして想う8月11日の朝。

 ひさしぶりに余裕をもって五十鈴川だよりが打てる、夏の静かな朝である。昨日午後次女夫婦と先月24日で2歳になったばかりの葉君がやって来た。というわけで一気に我が家は葉君中心に賑やかになり、91才になる義理の母が、ことのほかの喜びようで活性化、夕刻葉くんのお相手をくたびれるであろうに、しっかりと楽しんでやっていたことに、驚かされた。

2歳になったばかりの葉君の後ろ姿

その事は老いてゆくなかで、ある種の喜びをいかにキープして行くことができるのか、個人差があるとは思うのだが、我が母の振るまいには心が動かされ、葉くんの存在がいかに老いてゆく人間に与える大きさを、感じないではいられなかったことを、打っておきたい。

さて話題を変える。梅雨が明けてからのこの猛暑、(これからも続くだろうが)を今のところ、肉体労働を続けながら、自分のやりたいこともやりながら、充実した夏を過ごせている。

報道では熱中症という言葉を聞かないことがないくらいであるが、私はあくまで自分の体の声を聞くように心かけ、とにかくよく食べ、よく休むようにしている。以前も打った記憶があるのだが、ことさらな暑さ対策はしていない。特に私は肉体労働者であるので、家族はとても心配してくれる。

その事はとても有り難く受け止めているが、私はこの年齢で、動けて働ける場があることに、言い知れぬ喜びを日々感じながら働いている。もしこの場がなかったら、きっと私はオーバーではなく生き甲斐のひとつが失せてしまうほどの打撃を受けるに違いない。

だが、特にコロナ禍に入ってからの3年間以上、天空の下今も働いていられることのありがたさは、言葉では言い表せない。遠い将来きっと肉体労働者であることは諦めなくてはならないだろうが、そのときはそのとき、きっぱり諦められるように、今をしっかと生きて働くのである。

五十鈴川だよりを打ち始めて12年目に入っている。12年前、娘たちはまだ学生であったし、当たり前孫も私にはいなかった。(今私は3人の孫に恵まれている)これから私にどれ程の人生時間が与えられているのかは神のみぞしるであるが、私はもうほとんど先の人生に思いを馳せることはなくなってきている。一年一年をいかに生きるのか、生きないのかという念いしかない。

もっと打てば、一日一日、与えられた命を気持ちよく大事に生きたいということのほかに、もうなにもないのである。限りあるエネルギーを大切に、孫や家族、友人、私にとって大切な人たちとの時間を最優先に、生きたい。

と、まあ今朝はこのような五十鈴川だよりになってしまったのは、きっと91才の母の振るまいを見て、いつの日にか自分もあのように振る舞いたいと思ったからである。

2023-08-07

飯田から帰ってきたばかり、だが、徒然わずかであれ五十鈴川だよりを打つ。

 昨日8月5日、飯田人形フェスティバルに参加している、桑江純子、良健夫妻が主宰するかじまやの【チョンダラー】の公演が午前10時半、午後2時半2回飯田市内から車で約10分位のところにある、鼎文化センターで行われた。

来年春企画することにした

私はスタッフとして9時半に入り、2回の公演を見届け、午後4時過ぎ無事に、滞りなく公演が終わった。終了後、裏方として舞台のばらしを手伝った。舞台上の片付けを終えたら午後6時を回っていた。

(桑江ご夫妻と安田さんは20年も、最小のスタッフでチョンダラーの公演を続けて来たのである。ほんのちょっと裏方を体験してその事に脱帽せずにはいられなかった)

公演した鼎文化センターから移動、近くにある、桑江良健さんのパリ時代の友人Kさん(なんと45年ぶりの奇跡的再会をした方)の息子さんがたまたま飯田でやっている素敵なイタリアンレストランで、身内だけの打ち上げが行われた。

それにしても、停滞する台風の最中、夫妻を乗せた飛行機が飛び、中部国際空港から電車で名古屋に出て、そこからバスで飯田へ。奇跡的という他はない偶然の神のお導きで飯田での公演が実現したこと、そしてその事にたまたまご縁があって、立ち会うことができ、見届けることができた幸運、なんと形容したらいいのかわからない。

桑江ご夫妻と安田さん(出演者でもある)Kさん、そして私の5名での打ち上げは、オーバーではなく奇跡的なお導きで実現したとでもいう他には、言葉がなく、桑江さん御夫妻の、まさに感無量の歓喜の表情は決して忘れることができない。

上記の一文は、昨日朝宿泊していたシルクホテルの部屋で早朝打ったものである。ここからは家に戻ってきて打っている。昨日はその後桑江ご夫妻と来年春岡山でチョンダラーを企画したくなったことを直接伝え、2時間以上話し合いをした。(このことに関してはまた後日打ちたい)午前中は川本喜八郎人形美術館(初めて知った)にいったり、昼食を共にしたりした。午後はさすがに疲れが出てホテルの部屋でお昼寝をした。

午後6時、昨日と同じKさんの息子さんがやっているイタリアンレストランで、桑江純子さんが親しく信頼している飯田人形劇センターのG氏、照明担当のS氏との夕食会に私も誘われて参加し、実に有意義で楽しい時間が過ごせたことを五十鈴川だよりに記しておきたい。

今日はホテルで朝食を済ませ、7時半の飯田発のバスで名古屋に出て、そこからは青春18きっぷで西大寺に帰ってきた。正直まだ飯田ボケの状態なのではあるが、3泊4日の飯田人形劇フェスティバルに参加した、かじまやのチョンダラーの公演に裏方として参加し、桑江ご夫妻とすごしたこの夏の強烈な体験は、生涯の晩年の宝の思いでとして決して忘れることはない。


2023-08-05

8月4日、奇跡的に沖縄から飛行機が飛び、昨夜桑江ご夫妻飯田にはいる。

昨日早朝岡山を発って、新幹線で名古屋に。そこから名鉄バスで長野の飯田に向かいお昼に着き、駅前のホテルが一室空いていチェックインした。


飯田に来たのは、知り合って30年近くなる、桑江良健、純子さんが主宰する人形劇団かじまやあが、飯田人形劇フェスティバルに参加するので、それを見るためである。

予定より一日早く来たのは、台風で参加することができるかできないのかが、危ぶまれるなかでなにかお役にたてることがあればとの思いで飯田に来たのだが、結果、昨夜中部国際空港から桑江夫妻が無事に飯田に着いて、チョンダラーの舞台の仕込みを終えたのが午後11時だったとのことである。(公演会場に着いたのが、午後八時過ぎ、すぐそれからリハーサルをされた。

(私はちらっと御夫妻の無事の到着を見届け、じぶんが泊まるホテルに引き上げた)

さて、今私は五十鈴川だよりを飯田のシルクホテルのロビーで、朝食後(良健さんと、スタッフの安田さんと一緒に朝食ができた)つかのま記録の意味もかねて打っている。いきなり飯田に入り慌ただしく一日をすごし、いよいよ今日は午前と午後2回チョンダラーの公演があるのを見届け、舞台のばらしを手伝うつもりである。

何はともあれ、奇跡的にあの台風のなか飛行機が飛び、桑江夫妻が飯田にこれ、公演が実現する。その事に立ち会え、これからの飯田で過ごせる時間の、まさにドラマチックな展開が、いうに言えないワクワク感をもたらしている。

普段の日々とはちょっと異なる非日常時間を、どこか旅人感覚でわがままに楽しみたいと私は思っている。飯田、初めて来た。人口10万人、まだ一日しかたっていないが、岡山の私がすんでいるところとは、まったくといっていいほど風景が異なる。桑江夫妻がフェスティバルに参加することがなければ、来ることもなかったかもしれない。広い盆地のなだらかな傾斜が広がる町である。もちろん回りはかなりの標高の山々が連なる。空気がおいしい。

3泊4日の小さな旅、ってな感じで非日常時間を、言わば自由をからだいっぱいに鋭気を取り込みたい。さあ今日はどんな一日になるのか楽しみである。