夜間中学でのレッスンは、コロナの蔓延拡大で、レッスンは様子見とあいなり昨夜のレッスンはなかった、次回は28日時点での推移を見て、判断しようとN氏と相談の上決めた。
だが、何はともあれ第一回のレッスンが行えたことで、何やら言うにいえない老いの花と自分で言うのは、気恥ずかしくもあるが、もう古稀を過ぎようとしているのだから打たせていただく。1月8日、前回の五十鈴川だよりに嬉しくもありがたいコメントをいただいてるM氏がおっしゃっていたが、教えることは学ぶことであると。
40年ぶりに読んでます。 |
まさにしかり、今また再び松岡和子訳で新鮮な気持ちで、長い台詞の日本語を筆写しているので、五十鈴川だよりを打つ時間がとれなくなっている。筆写していると、時間が瞬く間に過ぎてゆくので、結果このような次第で、たぶん今年は週に一回くらいしか五十鈴川だよりを打てないかもしれない。もうこの年齢になると、あれもこれもはできないのだということが、しっかと認識できる。
だから一日一日、特に休日は、何をやりたいのかと自分に問い、優先順位でやれることをやっている(のだ)。3日から始めた筆写だが、昨日は筆写をしなかった。筆写に当てていた時間、お年賀をいただいた方々に、筆と万年筆すべて手書きで、30枚ほど御礼状のお葉書を書いて過ごしたのである。
五十鈴川だよりで、もうお年賀状は卒業した旨、お伝えしているのだが、それでもありがたいことにお返事を書かねばとの思いがわいてくる賀状が10日までに届いていたので、墨を刷って一気に一筆したため、あとは万年筆で余白を埋めた。相手によって内容が変わるのは、当たり前のことである。私は機械ではない。肉があり血が流れている生き物だから。
時代について行けない、ついてゆく気もないこと度々記しているが、ますます私の老化は進みそうである。あらぬことを打つと誤解を招きかねないが、もういいのである。正直に老いてゆく、私の願いはたがそれだけなのである。働き、読み書き、企画、散歩、旅、音読、打つ、これで今の基本的は足りる、(そして、老いと死を見つめ、乏しい頭で考えるのだ)
それらの反復、積み重ねのなかで、なにかがひらめいたりすることが、面白いのである。特別な信仰心は持ち合わせていない私だが、日の出を眺め、夕日を眺め、月を眺め、浮かぶ雲の流れをただ眺め、年と共に死者たちにおもいを馳せ、祈るとはなしに祈るような感覚が深まってきた。
当たり前である、人生の晩秋を生きているのだから。まあ、そんなこんな、11年目に入っている五十鈴川だよりに、今年も永遠の繰り返しのような、だが新しい日々を打つ。久しくとどまり足るためしなし。いつやんごとなき試練が訪れやも知れぬ。そのときはそのとき、一日一日未知を積み重ねるしか、ない。
(PS 松田龍太郎様、あなたからの今年始めてのコメント。嬉しくありがたかったです。私はデジタルも全くもってアナログ気分で打ってます。表と裏、裏表が逆になったりします。両面あわせ持ってこの世を往来しています。さて、いきなりですがあなたは分厚い眼鏡をかけています。いまも、想います。この方は私などとは違って、勉学を積んでこられてきた方なのだと、一方的に想像しています。そのようなあなたから、いつもいつも過分なお言葉、物心両面からの応援、支援がマイノリティの私の活動に届きます。雪が溶けたら拝顔したく、意味もなくお茶でもと思わずにはいられません。【友からの・コメントを読み・寒が行く】お達者で。奉文拝。
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