昨日で肉体労働アルバイト仕事を終えた。このアルバイトを始めたのは66才の時の夏のことであったので、もう丸4年以上が過ぎたことになる。晩年時間のこの4年間、この肉体労働アルバイトができていることに対する、日々天を仰げる環境で体を動かせ、今年も無事に終えたことに対する、個人的言い知れぬ充実感は、私のみが知る喜びである。
特に人生で初めての、大きな手術を69才にして以後の、一年9ヶ月リハビリをかねて再び肉体労働に復帰できたこの日月は、例えようもないくらい健康に過ごせていることにたいしてのありがたさは、年を重ねるごとにしみてくる。
T氏が撮ってくださった多嘉良カナさんの写真 |
健康でなければ、なにをやっていても喜びという感情がわいてこないのは、道理であり、摂理でもある。手術を無事に乗り越え、古稀を迎えてからの私は、どこかがやはり言葉では言い表せぬ微妙な老いゆく感覚の深まりを感じている。
今年もあとわずかとなって来たが、何はともあれ、年末まで無事に生きていて、外は寒気のなか、部屋で冬の日差しを浴びながらこうやって五十鈴川だよりを打てる平凡さを、ただありがたく噛み締める私である。
明日は長女家族が帰省する。ごく平凡なおじいさんの私としては、4才9ヶ月の孫に会えるのが楽しみである。平凡な極みのこの喜びは、おじいさんにならなければ決して味わえぬなにかである。世の中にはお孫さんに恵まれぬかたもおられる。だが、私は長生きし恵まれた。ただ感謝である。
話は変わる。昨日朝前回の五十鈴川だよりで触れた、10年ぶりに再会の奇縁に恵まれたN氏から、まだ一週間もたっていないのに、来年の企画のチラシの叩き台のラフがラインで送られてきた。想像以上に素晴らしい。びっくりし、じわじわと嬉しさが今も続いている。予定よりも早くできそうである。
再び話は変わる。原発の再稼働、次世代の新しい原発の開発、とてつもない軍事予算の増加、ウクライナの見えない収束、どす黒い思惑が渦巻くロシアと西側諸国、アラブや中国との軋轢、経済格差のあまりのー広がり、ウイグル他、目をおおいたくなるほどの、人権無視、権力の恐ろしさ。気候危機の問題。理解不可能な無力感に教われる。が、凡ぷではあるにせよ無関心ではいられない問題意識が、辛うじて私のなかにはいまだある。
孫の未来は、この惑星に生まれた子供たちの未来である。どんなにささやかではあれ、穏やかな生活時間が広がってゆくような未来であってほしい。取り返しのつかない多国のむこの民が巻き込まれるおぞましい戦争だけはノーである。ただそれだけである。気の遠くなるほどの値段の戦闘機や迎撃ミサイルの値段。凡人の想像力を越えた、なにか得たいの知れない悪魔のような産業が私たちの知らないところで、跳梁跋扈活性化している。(気がする)とりとめのない五十鈴川だよりになったが、とりとめない世の中なので、これも又致し方ない。
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