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2022-12-17

松岡和子先生の翻訳によるシェイクスピア作品の筆写に冬の自由師走時間を過ごす。

 ほぼ2週間ぶりに五十鈴川だよりを打つ。この間、一人自由時間なにをしていたかというと、シェイクスピア作品の音読と、筆写(10行以上の長い台詞の)をしていたのである。

11月29日、ハムレットから始め、今朝オセローの筆写を終えたところである。20日間で2作品を終えたことになる。特に深い理由があって始めたわけではない。しずかに師走時間を過ごすために始めたのである。この一人時間の過ごし方に熱中していたがために、五十鈴川だよりに向かう時間がなかったのである。五十鈴川だよりを打たなくても、よき時間が過ごせていたのである。

筆写して静かに過ごす師走かな

それと11月から一人、遊声塾時代から3年以上熱心にシェイクスピアの音読をされていたYさんが、我が家で月に2回の個人レッスンに来られていて、そのかたとのレッスンのためにも、優先してやることが増えたために、五十鈴川だよりを打つ余裕がなくなったのである。

Yさんとのレッスンはハムレットで始まり、ハムレットの音読を終え、先日からシェイクスピア作品の中でもっとも長い、ヘンリー6世3部作の第一部の音読を始めたところである。レッスンにこられるかたがいなかったら、なかなか読むことが少ない作品である。ほぼ40年ぶりに松岡和子先生の翻訳で音読している。私はシェイクスピアシアターにいたときに、1984年日本初演、上演時間9時間にも及ぶ舞台に端役で出演したことがある。なんといっていいかわからないくらいこの年齢になると、思い出深い作品なのである。

初期の、最初の作品とも言われている。人間の救いようのない業の深さ、権力への執着、家柄への執着、愚かさを、100年にもわたる英国の歴史薔薇戦争を軸に大河ドラマ娯楽作品に仕立てている。後年次々に傑作作品を書いてゆくのを予感させるに十分な作品である。意味もなく音読している。時間の流れ、展開の早さ、スピーディーな筆の運びはやはり天才と唸ってしまう。面白い。

筆写は古稀の手習い。松岡和子先生の翻訳による音読。60代の頃とは異なり、又どこか新鮮に音読できるような気がするのは、確実に老いて行きつつあるという自覚がの深まりがあるからなのかもしれない。今やらねばとの思い。

ともあれ、労働する、読み書く、打つという基本的な生活ルーティンは変わらないが、五十鈴川だよりを打つ時間は、今後さほど増えないだろう、一日の時間は有限、なにかに集中していたら他のことはできないからである。とまあ、この様なわけで久しぶりに打つ五十鈴川だよりなのだが、どこか嬉しいのである。特にぶつぶつ言いながら筆写を始めて、落ち着いて静かに過ごせるのはいい意味で、年寄りの過ごし方としては、宝のような時間の過ごし方であることを、わずか20日間であるとはいえ実践してみて感じている。一行一行書き進めてゆく喜びは行ってみて、体得の喜びのような感覚が古稀の体に沁みるのである。

何事も思い付いたら実践する。へたうまな文字であれ私の文字である。上手下手は古稀を過ぎるとそのようなことはどうでもいいのである。まして好きなシェイクスピア作品の素敵な言葉、台詞を筆写できることの喜びは例えようもない。充実した時が流れ、松岡和子先生のシェイクスピアの翻訳にかける情熱のほとばしり、作品への愛情の半端ではないこだわりが随所に感じられ、襟をただして私は謙虚に筆写するのである。松岡和子先生による翻訳は、今をいきる初老の私に新たな喜びをもたらしている。


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