師走になって、とほぼ同時に寒さが冬らしくなって、一気に町中のイルミネーションがまし、人の心はうつろいゆく。かくゆう私もその一人である。2000年、我が家は家を立て替えたときに、薪ストーブにしたので冬の薪の調達は主に私の仕事である。家の近所に建設用の柱他に刻んだ端材が出る木工所があるので、そこからいただけるので本当にありがたい。先日もいただきに行き往復二回の端材を段ボール箱18杯につめ持ち帰った。
チェーホフの白鳥の歌、書写。 |
老夫婦二人して、これからの冬の夜長を数ヵ月過ごすのに、なにはなくとも薪ストーブの暖があれば、もう他に私の場合はなにも要らない。そのような年齢なのである。ヒトはそれぞれの年齢での過ごし方があるのだと、この年齢にして思い知る。そういう意味ではゆっくりとゆっくりと年齢を閉じる、今風の好きではない言葉を用いれば終活生活に入っているののだと、私は深く、どこかで自覚している。
終活生活を自覚しながら、でも老いゆくなかで、肉体労働をやりながら、音読しながら、たまに企画をしs、わずかな野菜を育てたりしながら、共に一番長い時間を過ごすパートナーとのこれからの時間を、一番大事にしたいのである。というわけでこのところ、薪ストーブ時間がことのほか嬉しいのだ。
外は寒くてもストーブのある部屋に入れば、そこはもうなんとも言えない暖かさがあるので、風の冷たい冬、時おり辛く感じる野外肉体労働も、薪ストーブの暖かさがあればわたしは耐えられるのである。(ウクライナ他、暖もとれない人々のことをかすかにわたしは想像するアウトドア冬仕事をしながら)
と、ここでいつものように話が変わるが、11月からシェイクスピアの音読を松岡和子先生の翻訳で本格的に始めたことは、すでに書いている。これに加えて、最近本格的に始めたことに、シェイクスピア作品の好きな台詞を書き写すことを始めたのである。
心機一転、先ず音読第一回に選んだハムレットから、10行以上の長い台詞の書写を始めたのである。ハムレットだけではなく、それ以外の登場人物の長い台詞も、すべてではないが書写している。
まだコロナ以前、遊声塾をやっていた頃、特にリア王の長い台詞を書写したことはあったのだが、本格的に古稀を契機にして、書写する時間を大切にしたいと考えるようになってきたのである。おお行なことではなく、五十鈴川だよりを打つような気持ちで、素直に松岡和子訳の言葉を、我が体に流し込むような感じで、書写したいのである。
好きなことを自由自在にやりたい、ただそれだけなのである。先のことなど考えず、ただ今を、好きな作品の言葉を書写する。そして時おり毛筆で書写できれば、とやりたいことが増えてきたのである。とりあえず、一番好きなというか、音読していて飽きない作品のひとつであるハムレットから始めたのだが、すでに三幕一場の名台詞の場面を書写し終えたところである。
口でぶつぶつ音読しながら書写するだけ、意味はない。腕が動かないと、当たり前だが文字は書けない。パソコンで、デジタルで打つのも最近は全く問題はないのだが、やはり文字を手で書くのとではまったく、風合い情趣といったものが違うのである。私のように現代からまるで置き去りにされてゆくかのような感覚を持っている、輩の楽しみとしては、またとないお金に頼らなくてもできる、またとない楽しみを、またもやシェイクスピアは私に与えてくれたのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿