前回のワールドカップでもたまたま、南アフリカに勝った試合を見てラグビーの素晴らしさに目覚めたにわかラグビーファンであることを、正直に告白しておく。
何しろ67歳の初老男なのであるし、脆弱な肉体で何とかこの年齢まで、どちらかといえば文武両道が理想であるとすれば、文のほうに傾いたバランスの悪い生き方をしてきたのだという認識がある私にとっては、ラグビーという肉体と魂(精神)が不即不離でぶつかり合うアウトドアスポーツ文化に遅まきながら、まさに目覚めたのである。
大方の予想を覆しての、見事というしかない大接戦の末の逆転の大勝利。日本代表は多国籍のまさに野武士軍団であった。狭義の愛国とか、ナショナリズムを超えての、しかも言葉で伝えるのは無理だが、日本的な和、まさに一つに結びつき合った意志の連携の美しいというしかない、各選手の人間力に私は理屈抜きに首を垂れ感動打たれた。
勝負はともかく、あのアイルランドからワントライでいいからあげてほしいという思いで、私は画面を凝視し続けた。後半の戦い方、つまびらかなルールがわからなくても、日本チームの意志の統一、エネルギーの持続力、勝つというまさに自分自身を信じている動きが、私にも伝わってきた。
気が付けば、67歳にして雄たけびを上げる自分がいた。いい歳ながら、雄たけびを上げる自分がいたのに、我ながら自分でも驚いた。
最後のパスの連携の的確な速さ、福岡選手の執念の動き見事なトライを初老男の眼底に焼き付けた。この一戦は、初老男に限りない今後を生きる勇気を与える。他者にどう思われようと唯一無二の自分自身を信じ、仲間を信じることの崇高さである。そこにはこざかしい言葉や理屈を超えた何かが存在する。
グレタさんの国連演説の要旨 |
もうすでにチケットは売り切れているにしても、スタンドでいつの日にか観戦したいという夢が湧いてきた。夏の甲子園でも体感したが、まさに現場で観戦できるという幸運に勝るものはないが、そうはできない現実をほとんどの人間が生きている。
人間に神様から与えられている最大の宝は、理屈や性差や国籍や貧富やありとあらゆるバリアーの壁を超えて感動する器であるということを、あらためて原点感覚を思い知らされた。
今朝の新聞、キャプテンのリーチ・マイケル選手の言葉が素晴らしい。30分喜んだら次の試合の準備にに向かうという、今後の日本代表の試合から目が離せなくなってきた、私である。