9月の肉体労働仕事は昨日で終わったので、今日から4日間お休みである。いまだ日中は暑いけれど、それでも朝夕はしのぎやすくなったので、私としては言い様のない嬉しさが体全体に満ちている。
未知の荒野をゆく著者に脱帽 |
さて、幾ばくか涼しくなったお陰で、落ち着いて本を読んだり、静かに誰かにお便りを書いたりしたくなってきた。今日からの4日間を大事に過ごしたいと考えている。言うは易く実践はかたし、ではあるが緩やかにしか動かない老いの身を限りなく大事に、本日も老い楽ライフを面白がれるように過ごしたい。
今朝も朝一番、運動公園に行って早朝裸足散歩を、わずか20分程度やってきたのだが、足の裏がジンジンして気持ちがいい。この裸足散歩は手術後、真夏と真冬は避けているのだが、主に夕刻わずかな時間であれ、継続している。以前も打ったことがあるが、私なりに大地を直に踏みしめ、気分転換を図る、のだ。この数日、月が徐々にまあるくなってゆくのを眺めながらの歩行は、なんとも言えない。我一人・大地踏みしめ・秋をいく。
このところの、シンプル唯我独尊的安寧生活の深まりは、自分で言うのもなんだが、極楽ライフにかなり近くなっているのでは、と言う気がするほどに、足るを知ると言う感じである。植物の根が暗中模索水分を求めて延びてゆくように、私も老いゆくからだに、日々ささやかに潤いを注ぐかのように、自分の体が喜ぶことを日々見つけてゆきたいと、いわばその事だけを考えて生きているのである。
以前は執着していた(大切なことに関してのみの執着と好奇心は絶対的に必要不可欠である)事柄をこのところつぎつぎにあっさりと手放し、どうしても手放せない事柄にのみ、エネルギーを傾けるように生きる時間が集約されてきた。
新聞の切り抜きも、この夏でもってやめることにし、新聞の購読もちょっと考えている。新聞を読む時間を(デジタルでも読めるし)もっと本を読む時間に当てたくなってきたのである)。もっと読まねばならない本があるのだと言う自覚が一段と深まるのだ。
一日をいかに面白おかしく(誤解をまねいてもいいのだが、面白半分こそがこれからを生きる要諦である)正直に自律してゆくことができるか、と言うゾーンに入ってきた自覚がある。これは恐らく18才から働きながら、なんとか生活し、しのいで生きてこられた末に、今想える感覚なのである。
自由、自らに由って立つ、とでも言うしかないような感覚が、ようやっと生まれてきたのである。色々なヒトや本から影響を受け(現在もだが)、尽きせぬ感謝をうちに秘めつつ、一区切り、多事を卒業し、可能なら再び自由にこれからの未知の時間を生きてゆきたいのである。言うは易く実践はかたし。手放し、限りなく身軽になり大切な人や、手放せない本、生きているうちに読みたい本、生きているうちに観ておきたいもの、などなど、移り変わる自分と対話しながら、と夢見る今朝の私である。
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