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2023-02-04

古稀を迎えてからの、第2弾企画、4月23日の多嘉良カナさんのチラシの打ち合わせをする、そして想う。

 2月に入って最初の五十鈴川だよりである。昨年のウクライナの音楽会に続いての古稀を迎えて第二回目の、今年4月23日の沖縄が生んだ音楽家、多嘉良カナさんの公演チラシデザインの打ち合わせを、N氏と夕方我が家で持った。

急遽デザインをボランティアでしてくださるというN氏のことは、昨年暮れ五十鈴川だよりに打っているので重複は避けるが、一言で言えば、これまで私がささやかに行ってきたことの、積み重ねの上に、ある日突然熟成して発酵してきたかのような再会で、結果このような展開になったのである。

偶然とはなんと、粋な計らいをもたらしてくれることかと、つくづく最近想い知る。そして改めて我が身の運命的とも思えるお導きに何かにたいして、天に向かって手を合わせたくなる、私なのである。年齢的に下り坂の企画なのであることは本人が一番自覚している。

だが、自分で言うのもなんだが、枯れ木も山の賑わい、と卑下するのではなく、自然にやりたいことが今だ沸き起こってくる。だから、そのうちなる自然の、うちなるなにかに、ただ私は従っているだけなのである。そういう内的発露がなくなったら、企画をすることはきっとできない。あっさり他のことをやる。いまはまだやれる、だから全力で立ち向かって行きたいと、ただそれだけである。

筆写に疲れたら読書、よき本に恵まれている

デザインのN氏に、チラシに込めてほしい、アイテムのあれやこれやを、言葉でもって伝えたのだが、(文字でも渡した)N氏は私の想いに静かにうなずきながら、沈思黙考、独特の合いの手で私の言葉に耳を傾けてくださった。

そして、一言いいものを創りましょうと、おっしゃってくださった。私の言葉にならない想いをN氏は全身で受け止めようとなさってくださるのが、私に伝わってくる。

コラボしがいがある相手とのやり取りは、私に暫し老いという感覚を忘れさせ、次々にアイデアが浮かんでくる。すべては張り合いのある相手だからこそ浮かぶのである。面白い、楽しい、元気になる。これこそが生きている醍醐味なのである。その事を企画は改めて私に知らしめる。これは仕事ではない。語弊を恐れずに打てば、私にとって企画することは、私の全身を限りなく活性化させる。だが、疲れも消耗もする。だけれどもなしたときの喜びは、私にしか感知し得ないほどの、生きているからこその贅沢感なのである。


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