11月最後の日の五十鈴川だより。つづるつもりはなかったのだが、朝一番新聞を開いたらM新聞の悼むという欄に先月17日にお亡くなりになったトランペット奏者近藤等則のことが書かれていた。享年71歳。
書物2冊、【ラッパ一本玉手箱、我かく戦えり】がわがささやかな書棚にある。IMAバンド で直接演奏を聴いたこともある。土取利行さんと同じ年、あまりの早すぎる死には言葉を失なう。
私とはわずか3年の年齢の違いしかない この不世出の演奏家を、土取さんとの出会いでたまたま知り、直接演奏を聴く機会がもてたこと、今となっては一瞬にして思い出になってしまった。(1989年長女が生まれた年、天安門事件が起き、それに抗議する緊急ライブをいち早く実行したアクションに瞠目した)
あらためて人の命のはかなさを感じるのは、当たり前だが、若いころは遠かった感覚の死が老いと共に身近に感じられるからだろう。 何を書いたらいいのか、何が書けるのか。
ただ、近藤等則さんという、私にとって最高にカッコイイトランペット奏者と同時代に生きて巡り合い、その生き方の真摯さに撃たれたものとして、きちんとご冥福を祈りたい。
職業としてのトランペット奏者の概念をぶち破り、音楽家、人間としての純粋な矜持、魂を見失わない、息を吹ききった壮絶な希代の奏者というしかない。四国出身で同じ年、土取利行さんと若き日武者修行のように伝説の演奏を繰り広げたつわものの、コロナ渦中での死。
昨年末の中村哲先生、私が影響を受けた方々が次々と冥界に旅立たれる。 真の詩人や、哲学者、音楽家、あらゆる人間存在生活の多分野で真の勇気を持ち、死を超越した生き方、活動を現世でなした方は、この先を生きてゆくものの一隅の足元を照らす。
どちらに向かって歩めばいいのかは、中村哲先生の書物はじめ、わたしがこれまでの生きてきた時間の中で直接出遭え影響を受けた人間、また間接的に出会った魂を揺さぶる書物や音楽、絵画が導いてくれる。
私が生きている間は、中村哲先生も両親も有形無形、これまで私が影響を受けた方々は消えてはいるが私の中に生きている。私の中で繰り返し再生し勇気をくれる。このコロナ渦中生活で私の中にも変化が生じている。
無意識が意識化されてゆく。壮絶な死者のエネルギーを浴び、いただきながら、共に歩んでいきたい。