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2020-10-31

コロナ渦中生活で迎えた、33回目の結婚記念日の朝に想う。

 早起きは三文の徳、夜は皆目ダメな私だが朝はなんとも言えず好きである。良く休んで疲れが消えた体は、ニュウートラルな状態とでもいうしかない、さわやかな感覚をいまだ私にもたらしてくれる。だからなのだろう、何かにすがるかのように拙文を綴りたくなる。

平均すれば、週に一回程度になりつつあるわが五十鈴川だよりだが、よたよたとと水量が少なくなっても、生きているなあという感覚がある間は、つづりたくなる、いわばわが業の肯定のように、日々の整理浄化のように一段とつづりたくなってきつつある。

さて、今日は結婚記念日である、33回目の。妻のことをいけしゃあしゃあと書くのは、いまだはばかられるから、もう少し歳を重ねたら書けるかもしれないという気はしているが、今はまだ書かない(書けない)。

ただこの女性との出会いがもしかなわなかったら、と考えると、このような安寧に満ちた今の生活は、またの夢であったであろうとの正直なおもいが私の中で去来する。 

昨日の夜の十三夜の月、先ほど外に出たら西の空にほぼ満月の美しい残月が浮かんでいた。しばし古人に還ったかのように長め入った。月を愛でる目が私にはある。

コロナ渦中での結婚記念日である。もう特段なことはお互い何もしないが、ささやかに何かしようとの思いはある。お互いのごく普通の今ある生活をただ感謝するだけである。月に祈り花でも活けて。

さて、いつものように忽然と話は変わるが、コロナ渦中生活も七カ月が過ぎようとしている。本格的な冬を前に、にわかにまたも世界的に発症が増えている報道を知ると、自分自身もいつ感染しても、おかしくはない。

家族や身近な方には感染者がいないが、先々のことはわからない。ただ自分で考えて行動をしながら、我が身を守るしか今のところ私には方法がない。(感染したら運命に従う)現役バリバリで働いている世代、医療従事者、介護施設他、どうしても人混みの中での労働や、移動、動かなければならない仕事の方々の、心労は想像に余りある。

新聞くらいしか読んでいないが、こころがぎすぎすし余裕がなくなり、それがより弱いものへと向かう心根の貧しさには言葉に窮する。いじめなども急増している、(らしい)。自分がそのような立場に置かれたら、というくらいの最低の想像力さえもが、現代社会では失われてきているとすれば、ゆゆしき時代というほかはない。私の常識的な感覚と世間の常識的な感覚とのずれは広がる一方である(だからといって私は絶望はしない)。

こういう時こそ、じっと月を眺め、花を眺め、穏やかに只今ある我が身の在り難さを噛みしめる、いっときの余裕が必要である。この七カ月、極めて平々凡々と生活できていられる我が身の在り難さを想う。会いたい家族にも度々は会えないとか、コロナ以前とは考えられない生活を強いられてはいるが、私などよりははるかに厳しい環境を生きざるを得ない人々が、無数におられる。そのことを想像する。

話を戻す。この七カ月、こんなにも妻と限りなく二人きりの暮らしを続けているのは(いられるのは)33年共に暮らして初めてである。コロナ渦中の二人時間を大切にしたいと私は考える。新たな初老夫婦自主的自粛生活をいかにして新鮮に楽しめるか否か、私は模索している。

2020-10-25

秋日和、田舎道を走り、日本の山里の景観を満喫し、そして想う。

わが二階の部屋に、日々深まる秋の朝の陽光がさんさんと降り注ぎ、初老凡夫には言うに言われぬ在り難き気持ちよさである。世の中がコロナブルーに染まって久しいが、そのようなことをこの晩秋の陽光はしばし忘れさせてくれる。

昨日ちょっと個人的な用事で、ひとり津山まで車で運転したのだが、久しぶり車の少ない中山間地域を走ったのだが、日本の秋を満喫した。そこかしこにいろんな種類の柿がたわわに実り稲刈りがまだ行われていたりして(それとコスモス)、景観が刻一刻と変化し、情緒的な昭和男子としては、きわめて個人的な物思いに身をゆだねながらの運転を十分に楽しめた。

行きの途中美作では、市営の安い露天風呂にしばし浸かったのだが、まだ午前中であったせいなのか、湯船につかっていたのは私一人であった。目の前の川、色づく里の秋を眺めながらの湯あみは、これぞまさに至福のひとときというほかはなかった。

ゴートゥートラベルなどは私には無縁である。 小さい秋見つけた、ではないのだが、今の年齢の私にとっては小さき身の丈に合った、さやけき暮らしを、日々の中に見つけることこそが、生きがいとまではいわぬにせよ、大事なのである。

大事なことは、つましき中に今現在のおのれにとっての小事をゆるがせにしないような生き方ができないものかと、カッコつければ思案している初老生活なのである。

沢木耕太郎さんの本のタイトルではないが、貧乏だけど贅沢な暮らしのようなものを、私は還暦を過ぎてからは目指しているし、あれからもうすでに8年が過ぎようとしているが、その思いは、いよいよ晩秋の木の葉の色づきのように深まってきつつある。

やがては時の摂理、その木の葉ははらりと落ちるのではあろうけれど、それまでは命の輝きのようなものを、わが内なる体に見つけられたらと、詮無い望みを抱くのである。

それにしても身体が動き、運転ができるというのは有難い。後期高齢者までは何とか安全に運転ができることを望む私にとって、交通量の少ない田舎道をのんびりと走るのは、これからの今しばらくの楽しみである。

津山での用事を済ませ、帰りは吉備中央町を抜け総社へと。日没がまぶしかった。着いたのが午後5時過ぎ。 7時過ぎまで居合わせた仲間と弓の稽古をした。かなり冷えたなか空には白く光る半月が浮かんでいた。月のエネルギーをいただきながら、しばしままならぬ体で弓を射った。贅沢な時間がおのれの躰を流れた。

 

 

2020-10-16

ようやく奥深き弓の世界の入口に立てたような感覚が、初老凡夫の体を満たす秋、そして想う。

 今日から来週月曜日まで上京する。約7なカ月ぶりの上京、この間初孫の望晃君に直接会っていない。スマホ画面ではよく会ってはいるが、直接触れ合えるのとではまるで異なる。私はまったくアナログ、昭和男を自認している。時代についていけない男であることも自認している。

だが、くれぐれも誤解しないように一言書いておきたいのだがデジタル時代の到来を否定しているのではまったくないことを。この五十鈴川だよりだってデジタル時代の おかげでつづれる。

娘たちや、ノア君はこのデジタル時代の大海渦中を、まるで空気のように吸って日々を生きているのだから、デジタル時代家族の行く末を、昭和初老凡夫としては、遠巻きに何かしら役に立つおじじであらねばと、想うくらいだけなのである。老いゆく我が身を未来の人たち家族と共に、気の合う仲間たちと共に。

きっと大昔から、年寄りの役割 のようなことが、各々の生れ落ちた地域の中であったに違いないのだが、この戦後の超高度デジタルテクノロジー革命で、雨散霧消してしまった感が小生にはする。だが私はあきらめたくはない。

このようなことを書き始めたら、切りがなく拙文を綴りたくなるのでやめ話を変える。さて前回、少し触れたが、このコロナ渦中の生活の中で、個人的に今の私の生活の心身を鍛え、いちだんとバランス感覚を養生してくれているのが、65歳から始めた弓の稽古である。

始めた動機はいろいろあるが、シェイクスピアを声に出して読むには深い呼吸がどうしてももっと必要だとの思いからである。それともう一つは、集中力の持続が老いと共にどうしても弱まってくる。【身体が】これをいかにしたら、との思いからである。

というわけで、はじめて3年半たつ。瓢箪から駒という言葉がある。長くなるので簡単に記すが、この数か月、総社に在る道場で、そこで巡り合えたすぐれた先生方の指導の下、平均すれば、週に数回稽古を持続しているのだが、去る11日総社氏主催のスポーツ大会弓の部に参加してみないかとのお誘いを、指導していただいている、T先生から有難いお言葉をいただいた。

小生無級、有段者がずらり揃う中に混じって弓をひいたこともなく、そもそも大会など出たこともなかったのだが、度胸試しくらいの軽い気持ちで、コロナ渦中の思い出に気分を変えたく参加した。

久しぶりに大いに緊張したが、何と3人一組の団体の中で(一度に4本、三回引き的中率を競う)結果的に優勝してしまったのである。私のチームは5段と2段の方と私。3人で24本を的中、私は4本しか当てていないのも関わらず。良きチームメンバーに恵まれた。

良くともに稽古をしていた顔見知りの方たちであったし、3回目次第ではひょっとしたら優勝の可能性が出てくるというプレッシャーの中、わずか一本の差でわれわれのチームが優勝してしまったのだ。4本的中の2本は最後の2本。

総社弓道クラブの先生が、誘ってくれなかったらもちろん競技に参加するなんてことは ありえなかっただろうから。まさに何事が出来するかわからない。私は4本しか矢が的中しなかったにもかかわらず、ほかの2名の方のお力で、優勝という栄誉を初参加で経験させていただいた事、いまだ信じられない。だが結果的に事実優勝したのには間違いはない。私には予期せぬ大きな出来事なのである。3人で支え合いながら、声を掛け合い、気で交流しながら矢を射る素晴らしさをはじめて知った。

苦節3年の果て、一日一日生活しながら弓をひく晩年時間がますます 貴重で大切に思える。I先生との出会い。I先生の創られた幸節館道場との出会い。総社の弓道クラブのすぐれた先生方との出会いが、コロナ渦中の私の生活を、豊にしてくれているという実感が深まる中での、思わぬ優勝の二文字は今の私に勇気を育む。

稽古の重み、持続の重み、仲間の重み、日々変化する身体の在り難さ 、弓は自問自答生活を永遠に迫る。

2020-10-04

10月最初の、曇り日の日曜日に午前中に思う。

 10月最初の日曜日である。M新聞の書評欄が日曜日から土曜日にかわった。執筆者も少し入れ替わっている。執筆者であられた山崎正和先生が、先ごろお亡くなりになり、それより少し前、これまた私が愛読していた執筆者のおひとり、池内紀氏もお亡くなりになったからでもある。

毎週毎週、M新聞の書評が読みたいがために、M新聞の購読を続けているといっても過言ではない。日々刊行される本を読んでいる時間はないし、読むのが遅い私には 信の置ける執筆者が取り上げる本の書評を読むことは、ささやかな20年来の楽しみの一つなのである。

というわけで、今朝も書評に目を通し、目に留まったもののみファイリングしたり、ノートに張り付けたりした後、妻が仕事に出掛けたのちの家に一人の五十鈴川だより時間。

最近以前にもましてテレビを見ない凡夫としては、ほとんどのニュース情報からは置き去りにされているような按配なのだが、今のところこれといって生活に支障がなく過ごせ、目も疲れず耳もつかれずまったく問題ない。静かな時間がこよなく年齢的にあってきたのである。

無関心というのではなく、ご隠居気分の私にはもう十分との思い。おおよその俯瞰的、新聞による情報や、信頼する方々からの主体的に学ぶ情報で、事足りているので、もう年齢的にインプットする情報は最低限にして、日々是好日的に、いかに過ごすのかに重きを置いている。(でも学術会議の委員を勝手に減らすなど、権力の横暴にはいからないとまずい)

歳を重ねるとあらゆる動きが、若いころのようには立ちいかなくなるのだという実感が、古希を目前にしてようやく深まってきている。当たり前の ことながらこれが老いてゆくという現実なのである。

でもだからといって、後ろ向きに考えることはまるでない。前向きに蟻のようにゆったり、ゆっくり進む勇気を育めばいいのだと、最近は得心している。だから時間は大切に、宝である。

さていきなり話は変わる。先のふるさと帰省で、3日間幸節館道場で弓の稽古、I先生に御指導を仰いだ。先生と出合って一年半、数か月に一度帰省の度の直接指導。身が引き締まる時間を過ごしている。

長くなるので端折るが、先生との出会いがなかったら、弓は挫折していたかもしれない。道場には【至誠一貫】の文字が大きな板に刻まれている。先の大相撲で大好きな熊本の力士正代が、大関に推挙された際に口にした言葉である。

至誠一貫、言うは易しである。亡き父もよく口にしていたが口先三寸なら何とでもいえる。要はいかに実践できるか、否かである。お恥ずかしき話だが、時代に浮かれて思春期を過ごした私は、世の中に出てもまれ少しは人並みの苦労も味わったのだが、この半年間のコロナ渦中の、主に戦前戦後の受難というしかない時代の先人たちの体験された御苦労の数々を知り、思うと何と恵まれているのかと、忸怩たる思い、反省しきりである。

一言でいえば、家族の生活の生業ができている。健康に存在している。そのことだけでありがたき幸せというほかはないのだ。まさに足るを知ると頭では分かっていても、人間は安きに流れすぐに忘れてゆく、悲しい器、そういう私なのである。

話を戻す。弓は人格が如実にである。I先生の指導は正道過たず、指摘は当たり前のことばかりである。岡山で弓をひく時間をもっと見つけなさい、と。そこで家からはちょっと遠いがコロナ渦中の前にしった、総社の道場に通う時間を増やすことにしたのである。(この道場との出会い集う方々のことはまたいずれ書きたい)

6月の帰省以降、平均すれば週二回は通っている。今夜もゆく予定だ。やはり積み重ねる稽古に勝るものはない。相撲と同じである。たゆまぬ努力をいかにしたら続けられるのか。私の行く末を、亡き父は案じて厳しくしつ、そのたびに逃げ回っていた私だが、コロナの渦中のこの半年、弓の先生はまるで亡き父の生まれ変わりのように、厳しくも暖かくいい歳をした私を見守り、指導してくださっている。

亡き父は、晩年亡くなる直前まで囲碁三昧で過ごしたが、晩年時間、音読、読み書きにもう一つ、弓の稽古時間が増えた。私のコロナ渦中生活は、肉体労働生活と共に、光陰矢のように日々が過ぎてゆく。


2020-10-01

お月見にハイボール、そして想う、ほろ酔い五十鈴川だより。

 10月(日本語は素晴らしいちゃんと月が入っています)になりました。月の満ち欠けにわが体は存在する。今夜は中秋の名月、先程買い物に行くとき少し寄り道をして、吉井川のほとりでしばし、姿を現したばかりのオレンジ色のまあるいお月様を、しっかりと眺めた。月を眺めることで私の体と心は、穏やかになる。

 ひとり月見酒をしたく、傍らにスーパーでかった一本のハイボール。今日も昭和生まれ、初老凡夫は一日身体を良く動かして、働いた。遊声塾をお休みして早半年が経つ。

この間私が ほとんど以前と変わらぬように生活できていることに、まずは感謝するほかはない。世間や世界は、このような能天気な状況にはない人々が、それこそ天文学的数字に及ぶほどに、おられるに違いない。私だっていつコロナウイルスにかかってもおかしくない。

 だが、68歳の私はコロナ以前とほとんど同じように日々の暮らしを、継続できていることに、何はともあれ天を仰いで感謝せずにはいられないのだ。人の心は魑魅魍魎に揺れ彷徨いたゆたうが、その人心のはかなさを、月の輝きは補って余りある。

健康でいられるわが体、かけがえにない家族の存在、大切な数少ない友人の存在 等々。老いてますます、自分にとってかけがえがない存在とは、、、。コロナウイルスが改めて私に知らしめた。

だから、明日コロナウイルスに感染してもたぶん私は、さほどうろたえないだろう。多少のうろたえは、ああやはり来たか、なんて思いはしても、重症化はしないのではないかとの、脳天気な自信のようなものを、感じている。

感じてはいても、自信と裏腹に重症化しても、それを受け入れるしか仕方あるまいというくらいの気構えを、何とかよたよたこの半年間養ってきたとの、ささやかな生活力的自負がある。

ヒトは弱く、卑怯千万匿名主にネットによる、コロナ感染者(他ならぬ医療従事者に対してまでも)に対してのバッシング他、弱者がより弱者を攻撃したりしたりしている、(らしい新聞によると)狭い島国の悪しき伝統的世間体を気にする心根には、江戸時代かと、小生など慙愧に堪えないが、事実はともあれ、五十鈴川だよりを綴るものとしては、時代錯誤も甚だしいとだけ述べておく。人類の行く末をこそ、万人の英知を結集しないといけないこの非常時に。

私はちょっと気が短い初老凡夫に過ぎないが、卑怯な人間が一番苦手である。この歳になると、もうあらかた人生時間の大部は過ぎたし、今後は好き勝手に自由につづる五十鈴川だよりますますなってゆくし、何より頑固ジジイ的にご隠居、韜晦しつつも、弱い者に対して居丈高になるような輩とは 、一線を画す。私は孫に対して顔向けできないような、ジジイにはなりたくない。

お月見のハイボール、たった一本でほろ酔いになるなんて、安上がりな初老凡夫わが現在の体である。