きょうから4日間ほど故郷に帰省する。朝早く出発するし、起きたばかりで何を書きたいのかも判然としないが。このコロナ騒ぎの渦中、6月に続いて二度目の帰省である。
そんな中での帰省なので、脳天気な私だがやはりちょっと格別なおもいの帰省である。そして今回は妻が久しぶりに同行してくれる、のがやはりうれしい。
妻のことはほとんど五十鈴川だよりには書いていない。本人が嫌がるからである。でもいずれ私がもっと老いたら、この女性と巡り合わせてくれた運命のお導きに感謝し、そのことを綴らずにはいられない、日がやってくるかもしれない。
いずれにせよ、様々な理由で一緒の帰省がかなわなかったので、お互いが元気なうちにお墓参りもかねての同行旅がかなうのは、これ以上書くのは昭和男子としては野暮である。
五十鈴川だより、五十鈴川が流れるわが小さな故郷は、日本各地のほかの辺境に在る土地と同じように、過疎化が止まない小さな港町である。そこに生を受けて68年、寄る年波と共に、この町に生を受けた幸運を、噛みしめている。いずこの町も同じように、戦後のわが町は激変した。
この町には幼少期を共にした姉と二人の兄が、近所に家を構え元気に暮らしている。私の原点である幼少期の思い出を語り合える大切な人間である。静かにつつましく暮らしているわが姉、兄たちと共に語り合える時間は少なくなるので、今この時をとのわが想いなのである。
今夜は妻も同行しての帰省なので、全員が集うことになっている。家族が集うことが少なくなっている昨今だが、昭和男子のわたしとしてはあの古き昭和の思い出があるからこそ、今を何とか生きていられるので、私としては五十鈴川のほとりで、今も静かに穏やかに暮らす兄たちや姉との年に数回の里帰り再会は、喜びという以外ないものである。
時間が無くなってきたので、もうこれ以上書けないが、生れ落ち、生を受けた土地というものの記憶というものが、私を故郷に回帰させ老いてもなお、いまだ私に元気と潤いを与えてくれるのである。ただ私は元気に故郷に帰れる現在、只今がただ嬉しく、ただいまと帰るのである。