さて、今年はどのような年になるのかを、昨日も書いたが、五十鈴川だよりを書きながら自問自答を繰り返しながら、一日一日を可能な限り大切に過ごしてゆきたいと願うばかりである。
ささやかに、今年の目標を立てたが、実現するかしないかは、いかようにも自分の心かけ次第である、少しでも精進したいと思っている。
さて昨年の暮れ、富良野塾時代、取材に来られたのが奇縁で、以来30年以上、兄貴のように心の片隅で、慕っていた札幌在住のKさんが、お亡くなりになっていたとのお知らせと、お手紙を奥様からいただいた。
私自身子供たちが手を離れ、これからいよいよ晩年時間を語り合いたい、数少ない年上の友人として大切に交友関係を持続したいと思っていた方だったので、いまも氏があっけなくゆかれたことが、心残り、残念無無念
死について考えたり、生きてゆくことについて、いくばくか 自覚的に日々のかけがえのなさを、感じることがなければ、とてもではないが五十鈴川だよりを書き続けることは、私には不可能である。
K氏の不在について考える。多くを語らない、氏の優しいほほえみと声が私の中に今もはっきりと残っている。いまはこの世では不在だが、父も母も義父も、私の頭の中では繰り返し今も存在している。
私が消滅したら、おそらく私が出会った死者たちも、消滅するのかもしれないが、K氏は今も私の中では生き続けている。
お正月早々だが、生と死、五十鈴がだよりを書くものとして自覚的であり
初めてレイ君のおかげでスマホからアップできました |
巡り合った大切な身近な死者たちと共に、これからの限られた人生をもっと大切に歩みたいと年頭に当たり祈念する。
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