ページ

2017-07-26

真夏の昼の夢。

10日ぶり、真夏の日中にいすずがわだよりをかくことになろうとは自分でもおもわなかったが、とにかく何から書こうか、ちょっとあまりのうだるような暑さのせいで、いわゆる筆が進まないとはこういうことかと、いっぱしの気分である。

窓からは、夏の雲と幾分ブルーの青空がが望める。温度は確認する気にもならない。犬のメルも猫の花も、所在なげに私と同じように部屋の中でぐったりしている。

さあ、頭に冷えたタオルででも載せて、よしなしごとを綴ろう。 個人的な私自身の生活は、さほど変わりようがないくらい、落ち着いた(人生で初めてといってもいいくらいの)静かな日々を送れる今を有難く感じている。

ところで、ほぼ2年近く通ったS氏の竹韻庵から身を引くことにした。理由は昨年から妻の体調がいまひとつで(それでも妻は仕事を続けている)、特にこの数カ月は、どうしたものかと案じること度々であったので、五十鈴川だよりを書いたりする気分から遠かったのである。
なんども唸った名講義、ほんとうに学ぶことは愉悦である

ところが、詳細は長くなるので省くが、整体の良い先生を紹介され、半信半疑でいったところ、完全には遠いものの、ずいぶんと改善に向かっていて、漸くにして私はとてもうれしく、五十鈴川だよりを書く気になったという次第なのである。

これ以上は、面はゆくて書かないが、妻あっての私なのであるから、可能な限り妻や母のそばで今後は過ごすことにしたのである。(娘も自立を今しばらくあきらめ、特に夕食の家事をしてくれている)

今もフルタイムで働く彼女の家事やそのほかの負担を減らすべく、竹韻庵に割いていた時間を、家族のための時間に費やすことにしたのである。母を先頭に家族が妻に寄り添っているのである。

おかげで、妻の体調も改善の兆しが見え、私自身はといえば、竹韻庵に費やしていた時間が一気に自分自身や家族のために使えることで、心身に限りないゆとりができて、18歳で世の中に出て、65歳にして初めてといっても いいくらいの充実した夏を過ごしている。

自分自身の体の変化や、それに伴う心境の変化などといったものは、余人にはうかがい知れない。

やはり本人が一番覚る様に思う。弓を始めたことで、全身の現在のおのれの鏡に映る姿を、いやでも応でも眺めつつの、素引きの稽古をこの5カ月していて思うことは、静かに自問自答することの有難さである。

仏教用語では林住期を生きている私の年齢、下り坂を可能な範囲でスリリングに、こころの張りを持続するためにも、弓を張れる現在の肉体と向かい合える時間が持てる今の暮らしを大事にしなければと考える。

弓に関しては、家族全員が私を応援してくれている。20代のころ、よもや私に家族ができるなどということは思いもしなかったが、家族ができたおかげで何とかこの年まで生き延びることができた。

今後は、まずは妻との時間を最優先したいと考える、私の夏である。

0 件のコメント:

コメントを投稿