一昨日七夕の夜ちょっとうれしいことがあった。自分の息子とも言っていいくらい歳が離れている弓道教室の先輩O氏から、地ビールを飲みにゆきませんかと声をかけていただいたのである。
O氏の住んでいる家の近所に住んでおられ、最近言葉を交わすようになられたという岡山大学院環境生命学科教授であられるM氏も来られ、私とは初対面、30代、50代、60代、世代がまったく異なる男3人での、七夕地ビールのささやかな宴。
私は好奇心は 強い(はなはだもって軽薄なだけかもしれない)ほうかもしれないが、性格は田舎者的コンプレックスが抜けきれない臆病者だと自認している。
が、18歳で世の中に飛び出してからというもの、数々の修羅場で大恥をかいてきたので、漸くにしてこの年齢で少しは面の皮が、鉄面皮には程遠いにしても、いくばくかは面の皮が厚くなってきたかの感がある。
だから、久々出遭えた気持ちのいい青年のお誘いであり、O氏が私にも紹介したいと選んだ方、M氏がどのような方であるのか、はなはだ興味が湧いて実現したという次第なのである。
場所は旭川のそば、名前も【吉備土手下麦酒醸造所】 、O氏と法界院の駅で待ち合わせ、歩いてそのお店に。
ほどなくM氏が姿を現しご挨拶、なぜだかよくはわからないが、すっとM氏とも会話が転がり、繰り返すが世代の異なる男の3人での初対面(O氏とは2回目だが)地ビールぶっつけ即興会話ライブは、お開きの9時まで間髪を置かず流れ、久々愉快なひと時を堪能した。
M氏もロンドンに留学されていたことがあり、ロンドンの地名や、意外や意外共有できる話題などがあり、大学教授のイメージをまったく感じさせない、ミュージシャンのような第一印象、私と異なり知性を備えた隠者といった趣で、お調子者の酔った勢いの私の放談を広い心で聞いてくださった。
私とM氏との出会いを、セットしてくれたO氏にこの場を借りて、記録としも感謝の言葉を きちんと五十鈴川だよりに書いておきたい。
時の流れは同じであっても、愉しい時間はすぐに過ぎるとはシェイクスピアの言葉。この年齢になると漸くにして痛くわかってくる。
いわゆる当たり前のようなことが、実はまったく当たり前ではないということが。このようなことを書くことは実はかなり気恥ずかしく面はゆいことなのだが、もういいのだ。思いつくことをなんでも書いておこう、悔いなくな生きるべく。
65歳を区切りに、もっと面の皮を厚くし、大恥かきっぱなしの鉄面皮のような祖父さんになってもいいのでは、との思いもいまだ天邪鬼の私はするのである。(臆病だから無理だろうとは思いつつ)
ところでいつものように話は忽然と変わる。あこがれの瘋癲老人、入口の現在の私を、痛く反省させ、また勇気づけ、私に強烈なパンチを浴びせた本に最近出遭った。
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最近書縁という言葉を知った。 |
鈴木孝夫著【人にはどれだけの物が必要か】1994年に上梓された、私が42歳の時に書かれた御本である。氏の真摯であまりにも潔い、独善的(だがユーモアがある)実践力(驚嘆する)に裏打ちされた人類の行く末に深く警鐘を鳴らす一文に、私は打たれた。
御本が書かれてから23年、先生の御心配は、正鵠を得ているとますます実感する。七夕宴会と七夕の日に読み終えた先生の御本は、何かのお告げのような気さえしてきてしまう。
これからの人生時間、鈴木孝夫先生の生き方を爪の垢でもを指南とし、ささやかに地球の片隅で生存できる有難さに想いを馳せ、感謝しつつ、身の丈に合う生きる方法をいかにと、殊勝に考える今朝の五十鈴川である。
この夏は、お墓参りがてらちょっと長めの休暇をとりたい。