ほぼ10年ぶり、近い異国釜山への5泊6日の旅を終えて、昨日のお昼我が家に戻ってきたばかりで、穏やかそのものの我が部屋で気持ちがふわふわしている。ふわふわを押さえるには五十鈴川だよりを打つしかない。ともあれ無事に釜山から帰ってきた。行きと帰りフェリーに宿泊したので、実質釜山にいたのは丸3日である。
釜山港を出るフェリーの部屋の中からみた夜景 |
月曜日朝早く西大寺をでて、釜山に31日朝着いて、昨日11月4日土曜日、朝早く下関につき、お昼前には我が家についた。月末まとまってお休みが取れ、急に思い付いて行動したのだが、この選択がよかった。
ウクライナに続いてイスラエルとパレスチナの間に戦争がはじまらなかったら、10年ぶりの旅に出ようとは思わなかったかもしれない。居心地のいいところで、ただ安穏に生活し、五十鈴川だよりを打ち、世界の現実の風があまりにも遠く届かないところにいると、ヤバイというしかない本能的な内なる声が、未だ高齢者の私に聴こえて来たのである。
高齢者の私が行ける近くて一番日本語が聞こえてこず、静かにものを考えられる場所として、韓国は釜山にゆこうと思い付いたのである。釜山では金属加工町工場がひしめくまさに額にあせして働く労働者の街の安宿に泊まった。カンジャン市場がすぐそばで、働く人々が食べる安い食堂がいっぱいあり、ほとんどの食事を私はそこでとった。まったく普段の私の生活環境とは異なる場所に身をおいてみることの大切さを今回の旅で思い知った。
現実、いま高齢者である私が、その思い知ったことの実感は、今後のこれからの生活時間のなかで試行錯誤実践してゆきたいと考えている。
わずか5日間日本語が聞こえないところにいて、戻ってきてニュース映像をちょっとみただけで、能天気な五十鈴川だよりを打つ気がなくなってしまった。イスラエルのガザ地区へのあまりものジェノサイド、という以外に言葉がないおぞましい戦争映像。イスラエル側の論理、パレスチナ側の論理、双方のあまりもの不公平とずれ、泥沼、不毛、混沌、悲惨、無情。言葉の虚しさ。私の頭では理解のしようもないのを承知で敢えて打つが、正視に堪えない映像をわずかでも見たものとして、沈黙しつつも、我が身に、我が家族にせめて置き換えて、思考想像することを(結果的にみてみぬことになる)しなくなったら、終わりである。
私は釜山に観光旅行に出掛けたわけではない。ただ何時もとは違う場所に身をおいて体を動かし、考えたかっただけである。現地では交通費と宿代、レ・ミゼラブル(ユゴーの原作をじっくりと読みたい、子供が戦い、死ぬシーンがガザとだぶった)のチケット代、食事代、以外なにも使わない旅をしてきた。(十数年前ソウルにいった際に換金したWウォンが机のなかに残っていて、現地ではそのウォンで十分に足りた)
日本語が聞こえてこない世界、居心地のいい場所とはちょっと異なる時空間に身をおいて考える旅がただしたかっただけである。これ以上くどくど打つことは控える。寺に詣で、山に登り歩き、底辺庶民(観光客は誰もいないエリア)が生活し暮らす、人間臭い地域周辺をただうろつき歩いただけである。
だがゆっくり自分と向かい合える貴重な老いの時間が持てた。老いてはいても、今後も居心地のいい場所にいてものを考えるのではなく、動ける間は体に負荷をかけながら、物事をゆったりと考える自由時間旅を持たないと、ますますもって思考停止老人になる、ということが自覚できた。
世界の不条理不毛理不尽、運命、おかれた命のあまりもの不公平に五十鈴川だよりを打つものとして、どのような大義があろうと納得することはできない。一番小さな犠牲者、小さな命を奪い取る現実に、目をそらさず抗議する。
0 件のコメント:
コメントを投稿