筆写を昨年の暮れから、始めて、ほぼ3ヶ月が過ぎようとしている。飽きっぽい私が持続していることの一番の理由は、多分あの長い台詞を筆写したのだという、老いゆくひとときの充実感が、体に満ちるからだと想う。
それは歩いたり、働いている私の好きな時間の過ごし方に通底する、充実感なのである。そしてその充実感はまったくお金がかからない、限りなくSDGsなのであるから、初老木偶の坊の私としては、わずか3ヶ月であるとはいえ、新しいこれからの時間、老いゆくなかでの楽しいひとときが加わった喜びは例えようもない。
妻が育てているさやエンドウ |
今松岡和子先生の翻訳による冬物語(あらためてこの年齢で筆写しながら読むと、作品の言葉が沁みてくる)を筆写している。
3幕までなんとか終え、今日の筆写時間を終えて、五十鈴川だよりタイムというわけである。シェイクスピア作品の長い台詞をぶつぶついいながら、筆写しながら毎回想うことは、翻訳者の技量のすごさである。
小田島訳も素晴らしいのはもちろんなのだが、松岡和子先生の翻訳による筆写は私に新しい気持ちでシェイクスピア作品が読める喜びを与えてくれる。多分その事が私を筆写したいという、欲求に導くのだと想う。私は楽しくないことは続かないし、できないし、もうやりたくはない。時間をいとおしく生きたい。
まあ、理屈は置いといて楽しいのである。その楽しさの持続のために一番大切なのは、やはり体力なのである。おもいを持続するために必要な健康。集中力がないと、読書や音読や草取りや、筆写は多分私の場合、絶対的に無理なのである。
痛ましい報道や、気分が萎える出来事が引きも切らず、どんなに目を閉じても、耳を塞いでも飛び込んでくるデジタル洪水バーチャル時代、時代遅れも甚だしい自覚のある私である。だからといって日々の生活の上では、今のところほとんど痛痒を感じていない。
それは多分自分の居場所、自分にとって気持ちのいい場所を確保できていて、日々やること、やりたいことがやれている、できているからだと思える。それも限りなくお金不要でやれること、だからだと思える。若い頃からさんざんお金では苦労してきたから、、慎ましく生活するということのなかで、喜びを見つけてゆくという術、感覚が育ってきたのかもしれない。
18才で世の中に出て、初めて入った演劇養成所で、びりっけつからスタートした私としては、いつもあの頃の原点帰り反芻生活をいまだに思い出す。その思い出は今をいきる私に限りない勇気を与えてくれる。若いころの苦労が今役立っている。社会生活で限りない挫折の果てに身に付けたことは決して忘れようもない。ダメな自分至らない自分を反省し、自省し、蛇行を繰り返し、新しい流れに身を任せ居場所を確保し生きてきた、のだ。
18才まで田舎で、3年寝たろうみたいに遊び呆けていた私である。世の中に出てその事を思い知らされる度に、カッコつければふがいない自分と戦ってきた、ように思える。だから多分、遊び呆けていた時間を取り戻したいというトラウマ的なものが未だどこかに消えず、私を鼓舞するのかもしれない。
つましい暮らしというものが私に心地いいのは、若いときの耐乏生活と、やはり小さな時の生活、両親の教えに起因している、と思う。身の丈に合あわない生活はどうにも落ち着かないのである。
早い話、やすあがりにできているのだ。賢者は足るを知るというが、愚者だって足るを知るのだ。木偶の坊なりに生きられれば、それこそが私にとっての限りない贅沢なのである。
語弊を恐れず打つが、コロナ禍のこの3年、そして、分けてもこの一年は不条理感に度々教われ、その事はおそらく私が生きている間、意識がある間はきっとずっと続くだろうと思える。このようなことを打つと、むなしく感じられる向きもおられるかもしれない。だが、前を向いて生きるしかないではないか。
遠くの不条理な出来事にも耳を澄ましながら、体ひとつが全財産、居場所足元手の届く範囲で思索しながら、一日をいかに生きるのか、生きないのか、にしか関心が及ばない初老凡夫の限界をいきるしかない。