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2023-02-26

シェイクスピア作品の長い台詞の筆写を始めて3ヶ月が過ぎた、春の足音が聞こえる朝に想う。

 筆写を昨年の暮れから、始めて、ほぼ3ヶ月が過ぎようとしている。飽きっぽい私が持続していることの一番の理由は、多分あの長い台詞を筆写したのだという、老いゆくひとときの充実感が、体に満ちるからだと想う。

それは歩いたり、働いている私の好きな時間の過ごし方に通底する、充実感なのである。そしてその充実感はまったくお金がかからない、限りなくSDGsなのであるから、初老木偶の坊の私としては、わずか3ヶ月であるとはいえ、新しいこれからの時間、老いゆくなかでの楽しいひとときが加わった喜びは例えようもない。

妻が育てているさやエンドウ


 今松岡和子先生の翻訳による冬物語(あらためてこの年齢で筆写しながら読むと、作品の言葉が沁みてくる)を筆写している。

3幕までなんとか終え、今日の筆写時間を終えて、五十鈴川だよりタイムというわけである。シェイクスピア作品の長い台詞をぶつぶついいながら、筆写しながら毎回想うことは、翻訳者の技量のすごさである。

小田島訳も素晴らしいのはもちろんなのだが、松岡和子先生の翻訳による筆写は私に新しい気持ちでシェイクスピア作品が読める喜びを与えてくれる。多分その事が私を筆写したいという、欲求に導くのだと想う。私は楽しくないことは続かないし、できないし、もうやりたくはない。時間をいとおしく生きたい。

まあ、理屈は置いといて楽しいのである。その楽しさの持続のために一番大切なのは、やはり体力なのである。おもいを持続するために必要な健康。集中力がないと、読書や音読や草取りや、筆写は多分私の場合、絶対的に無理なのである。

痛ましい報道や、気分が萎える出来事が引きも切らず、どんなに目を閉じても、耳を塞いでも飛び込んでくるデジタル洪水バーチャル時代、時代遅れも甚だしい自覚のある私である。だからといって日々の生活の上では、今のところほとんど痛痒を感じていない。

それは多分自分の居場所、自分にとって気持ちのいい場所を確保できていて、日々やること、やりたいことがやれている、できているからだと思える。それも限りなくお金不要でやれること、だからだと思える。若い頃からさんざんお金では苦労してきたから、、慎ましく生活するということのなかで、喜びを見つけてゆくという術、感覚が育ってきたのかもしれない。

18才で世の中に出て、初めて入った演劇養成所で、びりっけつからスタートした私としては、いつもあの頃の原点帰り反芻生活をいまだに思い出す。その思い出は今をいきる私に限りない勇気を与えてくれる。若いころの苦労が今役立っている。社会生活で限りない挫折の果てに身に付けたことは決して忘れようもない。ダメな自分至らない自分を反省し、自省し、蛇行を繰り返し、新しい流れに身を任せ居場所を確保し生きてきた、のだ。

18才まで田舎で、3年寝たろうみたいに遊び呆けていた私である。世の中に出てその事を思い知らされる度に、カッコつければふがいない自分と戦ってきた、ように思える。だから多分、遊び呆けていた時間を取り戻したいというトラウマ的なものが未だどこかに消えず、私を鼓舞するのかもしれない。

つましい暮らしというものが私に心地いいのは、若いときの耐乏生活と、やはり小さな時の生活、両親の教えに起因している、と思う。身の丈に合あわない生活はどうにも落ち着かないのである。

早い話、やすあがりにできているのだ。賢者は足るを知るというが、愚者だって足るを知るのだ。木偶の坊なりに生きられれば、それこそが私にとっての限りない贅沢なのである。

語弊を恐れず打つが、コロナ禍のこの3年、そして、分けてもこの一年は不条理感に度々教われ、その事はおそらく私が生きている間、意識がある間はきっとずっと続くだろうと思える。このようなことを打つと、むなしく感じられる向きもおられるかもしれない。だが、前を向いて生きるしかないではないか。

遠くの不条理な出来事にも耳を澄ましながら、体ひとつが全財産、居場所足元手の届く範囲で思索しながら、一日をいかに生きるのか、生きないのか、にしか関心が及ばない初老凡夫の限界をいきるしかない。

2023-02-18

リチャード二世の筆写を終えた朝に想う。

 昨年の11月から本格的に始めた、シェイクスピア作品の、松岡和子先生の翻訳の長い台詞(主に10行以上の)の筆写を始めて数ヶ月が過ぎようとしている。

ハムレットの筆写から始めて、オセロ、十二夜、間違いの喜劇、夏の夜の夢、トロイラスとクレシダ、ヴェニスの商人、ウインザーの陽気な女房たち、テンペスト、そして先ほどリチャード二世を終えたところである。すでに10作品の筆写を終えたことになる。(ロミオとジュリエットはコロナ以前に終えている)

自分でも驚くほどのハイペースで進んでいるのには、やはりなにかしらの理由があるのだとは想うが、一言で言えば松岡和子先生の翻訳の日本語が新鮮に感じられ、学べ、筆写が楽しいからにつきると思う。それは日本語に移しかえられて輝くシェイクスピア作品の言葉の魔力が私をとらえて話さないからだ。


長い台詞を筆写したいという単純なおもいつきで始めたことなのだが、今更ながらに書くという、手をただ単純に動かすという行為が老いつつある現在の自分の体をかくも活性化するということにちょっと驚いている。ここまで熱中するとは正直思いもしなかった。

もっと老いて、企画することや、大きな声での音読ができなくなっても、意識がはっきりしていて、手が動く間は筆写ができるのでは、との新たな老いゆく楽しみが見つかったことに対する喜びが、五十鈴川だよりを打たなくても、満たされているのだと、思う。

亡き父は、晩年ひたすら囲碁三昧だったが、囲碁は相手がいるが、筆写には相手はいない。ただ自分という揺れ動く存在と向かい合うだけである。手が動けば筆写できるということでは全くない。全身の意識の想いが手に込められ、文字が白紙に言葉となって現れるのである。

まあ例えば、リチャード二世で言えば、80ヶ所の長い台詞を筆写したわけだが、中にはリチャードの五幕5場の長台詞は70行近くある。当初始めた頃はちょっとハードルが高いのではとという気もしたのだが、実際10作品の筆写がスムースに進んだのは、多分何度も繰り返し読んだことのある好きな作品だったから、筆写も思ったよりもずっとはかどったのだと思う。

でもこれからは暖かくなり、筆写ばかりをやっている幸福な時間は過ごせないだろうから、やれる冬場に、やれる限りのことを、私としてはやりたいのである。そういう意味では、70歳代での過ごし方の核のようなものが、働けることも含め、あらたに加わったことだけは確かである。

トルコとシリアでの大震災の報道、正視に耐えない、累々たる倒壊した建物瓦礫の映像、現実である。方やウクライナではおぞましい戦争がやまない映像が。言葉の無力感にとらわれる、殺しあいと、救援活動。おびただしい空前絶後の血の雨と、涙の雨、慟哭。経験したことのない私には、皮膚感覚の痛みとしては決して感知し得ない、私の日常とのあまりの乖離。

シェイクスピア作品の登場人物の絶望的な慟哭、運命を呪う台詞を筆写していると、嫌でもウクライナや、アフガニスタン、ミャンマーほか、全世界のありとあらゆる弱い立場におかれている老若男女の不条理や理不尽さのことに想いが及ぶ。400年も前に、すでにシェイクスピアは人間の不毛と不条理を書いていたのだ。今をいきる私に何ができるのか、できないのか考えたい。

2023-02-13

雨の生誕日、平凡に妻とすごし、ありがたきかなと想う。

 誕生日の夕刻、ちょっとの時間を見つけて五十鈴川だよりタイム。今日は一日中小雨日和で、午前中少し仕事場にいったが、結局仕事はせず、他のことを仕事場の机を使ってやっていた。

その後家に戻って、お昼は妻と共にランチ。妻が焼き肉をご馳走してくれた。もう71才になったのだなあ、よく18才に世の中に出てこの年齢をとりあえず迎えることができたことに対する感謝は例えようもいない。

最近筆写と書の時間を大切にしている

トルコとシリアにまたがっての大震災の報道に、なんともいいようのない気持ちになる。改めてその日を何はともあれ、無事に生きていられることに対する敬虔な、祈りにもにた感謝の思いは年齢を重ねるにしたがって深まる。

とにもかくにも、言葉にならない平凡な日々を、ありがたく妻と共に迎えることができた喜びを、きちんと五十鈴川だよりに打っておきたい。二人の娘や息子たちからもありがたい言葉やウォーキングキングシューズ(リクエストした)をいただいた。ありがたきかなというしかない。

夕方、生誕日体力測定ではないが、小雨の中薪割りを一時間くらい、本当に久方ぶりにやってみたのだが、昔とった杵柄とはよくいったものずいぶんとできた自分がいた。あまり無理せず一年でも長く健康に、平凡に妻と共に過ごせたら、もう他にこともなし、といったような心境の最近の私である。


2023-02-05

亡き父の命日の朝に想う。

 昨日は立春だった。そして2回目の岡山夜間中学でのレッスン行われた。そして今日はなき父の命日である。父は生涯を教師で生きた。その父が私が夜間中学でレッスンしている姿を、もし生きて眺めたら、なんていうかなあ。などと考えながら帰路美しい月を(1月7日の初めてのレッスンでもフルムーンが浮かんでいた)愛でながらおもった。

昨年古稀を迎えて11日後、ウクライナで戦争が勃発し、おびただしいウクライナから他国に移動する難民の人々の映像を見た私は、当時日本が併合していた北朝鮮で教師をしていた父と母、3才の姉と生後半年の兄を伴い、まさに命からがら38度線を越え、今の韓国の仁川から(当時仁川はひなびた漁村だったが、現在はスーパーな国際空港になっている)引き揚げてきた。

小学校4年生のころの私と父

もしあのとき無事に帰国できなかったら、私はこの世に存在していない。若いときには自分のことで精一杯で、両親のことにおもいを馳せることは、正直少なかったのだが、親としての役割、社会的な役割を終え、死を以前にもまして真剣に考えるようになってきたからこそ、老い人生活のなかで、ウクライナの音楽家を10年ぶりではあったが、企画することができたのだと思える。

企画を決めてから実現するまでのほぼ2ヶ月、まるで何かにとりつかれたかのように、五十鈴川だよりを打ち続けたのは、たぶん両親の引き揚げ体験が私の中のなにかを灯をともし、平和というものの、無くしてみて初めて知る尊さを実感したからに他ならない。

話は、変わるが、ウクライナの音楽家を企画できたことは、あきらかに私のなかに内的な変化をもたらした。限りある命、これから何を自分は企画したいのか、どのように生活し生きて行けばいいのかを、改めて問わずにはいられなかったのである。

そしてその事が、思索の末、老いのアクションを引き起こし、松岡和子先生との再会をもたらし、松岡先生の翻訳でシェイクスピア作品を改めて一から音読することになり、長い台詞の筆写をすることになったり、岡山夜間中学でのレッスンに結び付いたりしたのではないかと、勝手にいい方向に考えてしまう私なのである。いい方向にものがたりか、することで生の充実を呼び起こし、自分で自分をのせてゆくのである。

ともあれ、還暦以降綴っている五十鈴川だより、日々時代と共に揺れ動きながら、庶民の一人として、つたなくはあれ、個人の記録的にでも一日でも健康が許す限り、揺れ動くうたかたのおもい、ささやかに打ち続けたいとの想いはやまない私である。そのなかで企画が生まれたり、夜間中学でのレッスンがやれたりしていることが、ありがたい、のである。

2023-02-04

古稀を迎えてからの、第2弾企画、4月23日の多嘉良カナさんのチラシの打ち合わせをする、そして想う。

 2月に入って最初の五十鈴川だよりである。昨年のウクライナの音楽会に続いての古稀を迎えて第二回目の、今年4月23日の沖縄が生んだ音楽家、多嘉良カナさんの公演チラシデザインの打ち合わせを、N氏と夕方我が家で持った。

急遽デザインをボランティアでしてくださるというN氏のことは、昨年暮れ五十鈴川だよりに打っているので重複は避けるが、一言で言えば、これまで私がささやかに行ってきたことの、積み重ねの上に、ある日突然熟成して発酵してきたかのような再会で、結果このような展開になったのである。

偶然とはなんと、粋な計らいをもたらしてくれることかと、つくづく最近想い知る。そして改めて我が身の運命的とも思えるお導きに何かにたいして、天に向かって手を合わせたくなる、私なのである。年齢的に下り坂の企画なのであることは本人が一番自覚している。

だが、自分で言うのもなんだが、枯れ木も山の賑わい、と卑下するのではなく、自然にやりたいことが今だ沸き起こってくる。だから、そのうちなる自然の、うちなるなにかに、ただ私は従っているだけなのである。そういう内的発露がなくなったら、企画をすることはきっとできない。あっさり他のことをやる。いまはまだやれる、だから全力で立ち向かって行きたいと、ただそれだけである。

筆写に疲れたら読書、よき本に恵まれている

デザインのN氏に、チラシに込めてほしい、アイテムのあれやこれやを、言葉でもって伝えたのだが、(文字でも渡した)N氏は私の想いに静かにうなずきながら、沈思黙考、独特の合いの手で私の言葉に耳を傾けてくださった。

そして、一言いいものを創りましょうと、おっしゃってくださった。私の言葉にならない想いをN氏は全身で受け止めようとなさってくださるのが、私に伝わってくる。

コラボしがいがある相手とのやり取りは、私に暫し老いという感覚を忘れさせ、次々にアイデアが浮かんでくる。すべては張り合いのある相手だからこそ浮かぶのである。面白い、楽しい、元気になる。これこそが生きている醍醐味なのである。その事を企画は改めて私に知らしめる。これは仕事ではない。語弊を恐れずに打てば、私にとって企画することは、私の全身を限りなく活性化させる。だが、疲れも消耗もする。だけれどもなしたときの喜びは、私にしか感知し得ないほどの、生きているからこその贅沢感なのである。