渦中にいるときはわからなくても、身体は正直である。月曜日(22日)夜から発熱。翌日妻の勧めで、めったに医者に行かない私が、渋々お医者さんの診断を受けると、インフルエンザB型と判明。即五日間の安静を言い渡された。
栄養を取り、ひたすら猫のようにじっとしていた。まる4日以上続いた熱もようやく下がり、おとといの日曜日あたりから外へも(散歩)もできるくらいに回復してきて、ようやっと五十鈴川だよりを書けるくらいには回復してきた。
やはり何はさておき、健康の有難さが沁みる。厳冬期、二階の部屋で朝の太陽の光を窓越しに浴びながら、一文をつづれることの、他愛もない有難さ。2週間ぶりくらいの五十鈴川だより。
ところで 、2年前の健康診断以外、私はこの5年以上、歯医者さん以外の病院にいっていない。本当に久しぶりにインフルエンザに罹ったのである。予防のワクチンすら打ったことがないのだから、我ながら呆れるが、自分の体のことは自分の体が反応し予兆があるとの、考えに基づいている。(倒れたら休むのだ)
私は病院が苦手だが、否定しているのではまったくない。これまでの人生でも何度も病院のお世話になっている。ただもうこの年齢になると、身体のあちらこちらに不便が生じてくるのは当然であるとの認識があって、あえてそのことには立ち向かわず、無理なく受け入れて老いてゆこうとの、我が判断がある。
昨日沖縄の友人夫妻にお手紙を書きました。アナログを愛する私です。 |
でも、絶対矛盾を生きる私、元気になるとまたもや、あれやこれやとやりたいこと、したいことが、湧いてくる。これはこれで得難くもあり難いことである。
もうすぐ私は66歳を迎えるが、これからは毎年初めて経験する年齢ゾーンを、これまでも書いてきたかと思うが、可能な限り新鮮に過ごすためには、どうしたらいいのかを発熱した体を持て余しながら、猫のようにじっと黙考した。
結果出した結論、本当にやりたいことのみを優先して、無理せず正直に生きてゆくということ、に尽きる。身体が喜ぶことを。そして天寿を受け入れる。
身体あっての物種、厳冬期の仕事は負担が大きい。よって辞することにした。だが暖かくなったら、なんでもいいのだが体を動かすことは、きっと私はやめないだろう。
生きている間は、動きたいし流れ続けるいすずがわでありたい。