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2026-06-14

本の整理や処分をしなが身軽になり、捨てられない本から、今を生きる糧を頂く五十鈴川だより。

 どんよりとした曇り空の朝、静かである。書斎というほどではないが、乱雑に積みおかれた、入るのが億劫になる部屋の整理、私がこの世から消えたら、娘が困るような品物を順次ちびりちびり処分している。いまだ肉体労働もやり、五十鈴川だよりを打てるほどに元気な私なのだが、明らかに老いが忍び寄っているのは自覚している。だから、勇をこしてやっている。


蒙が開かれます

あまりの無知の自覚を、18歳で体感してからというもの、ようやっと私の人生は始まったのだと言うことを本棚を眺めていると分かる。これらの本のおかげで、何とか今現在まで生きてこられたのである。

そう思うと、簡単にはお別れができない。お別れしても良いものと、お別れできないものとの、区別整理を年内には終えたいという願望はあるが、そうは問屋がおろさないだろう。

話は変わる。古希を過ぎて老眼が進んでいるが、本を読むという楽しみには今のところ支障はない。老いても、最後の心の拠り所としての本を、大事にしなくては、と思いつつ整理を進めている。

整理していると、読んでいない本、再読したくなる本などが次々と顕れる。そうなるともういけない。遅読の私の時間はすぐに過ぎてゆく。でももういいのである。気分の赴くままに二つの部屋(寝室にも本棚がある)をいったり来たりして過ごすのが、このところの休日の楽しみなのである。


したがって、よほどのことがない限り休日、私は外出しなくなってきた。私なりの気持ちのよいよい老人生活の日々が送れている。(臆面もなく打ちます)お金や物、華美な欲望に足をすくわれない、目には見えない心地良さを見つけたいのである。自分がこれまで執着していたこと、やってきたことを、手放せるものは限りなく手ばなし、手放せないものを大事に、囲まれて生活したいのである。先ずは、数年前までは存在していなかった孫たちとの時間を最優先に生活したいのである。私の元気な時間は、有限である。そのような気持ちになったのは、先日の沖縄、桑江良健さんのあじくーたーの世界へ、旅をしたからである。それと、良寛の言葉に偶々触れ、短いのだが書写したことによる。私ごとき煩悩者には程遠い感覚とはいえ、生きている間に、少しでも自由と慈悲いう、奥深い人間としての最低倫理、哲理を一ミリでも学びたい、のである。PS  したの写真も上の写真も整理していて手にした本。赤坂真理さんの本は12年前の本ですが、素直な疑問が、こうまで戦後の不可解さをあぶり出すという意味で画期的な今も十分に読みごたえがあり、老人の私は教えられ学んでいる。石川九楊先生の本、書写をしたい私には必読の本である。 


した




2026-06-13

長周新聞沖縄支局の、Gさんとの出偶いで、沖縄の幾多の言語を絶する苦難の歴史を虚心に学びたい、今朝の五十鈴川だより。

 五十鈴川だよりが打てる朝が来た。日中は暑いが朝夕はまだ涼しいので、後期高齢労働者である私は、真夏、夜熱帯夜で睡眠がとれないのがいちばん辛い。が、今のところ眠れないことがない。ぐっすり眠れている。良く眠れない体ではまず働けないし、五十鈴川だよりも打てない。

下記に記します。ちょ

もうこの年齢になると、一日誰にも迷惑をかけず、身近かな手の届く範囲での生活を大事に生きたいとの念は強まるばかりである。

自分の力ではどうにもならない、例えばコロナで音読ができなくなったり、手術で弓が引けなくなったりして、執着打ち込んでいたことが叶わぬような状況になったとき、思えばあっさりと手放してきた。

これまでの人生で、アカン、もはやこれ以上続けても、よきことにはならないと直覚したら、私はあっさりと手放してきた。

61歳で中世夢が原を辞した際も、嘱託で65歳まで働けたのだが、往復の通勤時間、あらゆることを勘案し辞した。安定生活よりも、もっと違う生活を志向する自分がいたからである。

あれからもう13年の時が流れ、音読塾を閉じて6年が経つ、すべては光陰矢のごとしである。長くなるので簡潔に、事実のみを打つ。古希を過ぎて4年と4ヶ月、折々五十鈴川だよりを打っているので、この間私が何をしていたのかの記録は幾ばくか残っている。打ち込んでいたこを手放しても、次々と他力の力で今現在も、何かと新しい充実した日々が続いている。何よりも、この6年の間に、新しい命、三人の孫に恵まれ私の生活は一変した。

そして思う。無駄なことは何一つなく、昨日、今日、明日と連めんとながれ、宇宙空間を地球は公転自転する。だが死は遅かれ早かれやってくる。古希直前の手術でその事を体感した。手術のおかげで私はあれからずいぶん丁寧に(性格は直らないが)生活している。何よりも体をいたわるようになり、決して無理をしなくなった。

下記に記します。

死をオーバーではなく、絶えず身近に感じながら、自分にとっての気持ちのよい一日を心かけ生活している。

デジタル音痴、時代についてゆきたくもない、アナログじいさんだが、楽しんで生活をしている。少数だが五十鈴川だよりを読んでくださる方をはじめ、このような私をそっと見離さない奇特なご仁が私のまわりにはいてくださる。感謝しかない。

今、あらゆることを順次手離しながら、どうしても手離せない大切な存在(本も含む)とのこの世を、いかにいきるのか、活きないのか、と老いて尚ハムレットのように、世界が牢獄化(支配、被支配、貧富超二極化、あらゆる分断、孤絶化、AI化、 人間の良心の弱体化、思考停止か、などなど)してゆくかのように思える、いまを感じる。思考停止したくない。

何度も打っている。他人にされて嫌なことは、他人にもしない、それらいしか、私には大層な思想信条はない。爆撃される人間の側のあまりの悲惨に、想像も及ばないような鈍感な老人にだけはなりたくはない。

爆撃する側の世界観を暗黙のうちに(思考停止)支持してしまう人とだけはお近づきにはなれないし、なりたくはない。そのような私が、今年一月、長周新聞沖縄支局のGさんと出偶ってしまったのも、何か運命を感じる。

時折、岡山という地場を離れ、沖縄にもうでGさんを媒介にして、元気なうちにいろいろなことを学ばねば、という気持ちになる自分がまだいる。その方向にながれてゆきたい、私がいる。

PS  上の写真は私が心から尊敬する女性、昭和の大女優高峰秀子さんの夫であった松山善三さんについて、養女の斎藤明美さんが2012年12月に出された大切な本。もう14年前の本、何度読んでもジーンとなる私がいる。高峰秀子さんが書かれた(自伝、私の渡世日記)はあまりにも素晴らしい。何度も生きる勇気を今も頂いている。

下の写真は一月にお目にかかった際、Gさんから手渡されたた、41ページの小冊子です。私自身が直視するためにアップします。(平和の有り難さが沁みてきます)

2026-06-10

雨のなか、猪風来美術館のまわりの草刈りを、Kさんと共にやれたことの幸堪を五十鈴川だよりに打つ朝。

 いかにも梅雨らしい天気が続いていたが、今日は梅雨の晴れ間が拝めるらしい。さて、3日前の日曜日、猪風来美術館で午後トークイベントがあり、ゆく機会が限られているので共に働いているKさんと午前中雨のなか草刈りをした。春の野焼き以来のコンビでの草刈り。

まさか雨のなかでの草刈りをすることになろうとは思いもしなかった。そもそもそも、Kさんは晴れていたら(農家なので、麦の収穫)行けないとのことで、私も一人では危ないし、当初草刈りをする予定ではなかったのだが、予報では雨なので、Kさんが雨なら行って草刈りをしようと、彼の方から申したのである。

彼の方からの申し出に、私も一気に草刈りをやる気になった。まさか彼の方から、草刈りをやりましょうと言われるとは思いもしなかったので、一言でいえば感動したのである。斜面のきつい同じ場所を二人で刈ったのだが、この場所は一人では危険である。Kさんとでなければ私は決してやらない。

自然の神秘に打たれる。

Kさんとは、今私が働いているところで丸四年共に働いている。普段の付き合いはほとんどない。がこの四年、私の企画を含め、いろいろ煩雑な私の手では余る雑事の一切合切を、嫌な顔ひとつせず、引き受けてくださる、寡黙だが要所要所抜かりがない。時折キラリユーモアもある。得難い方である。

当日の二人の行動記録を五十鈴川だよりに打っておく。朝6時半Kさんが我が家に(彼の家から20分)、荷物を彼の車に積みこみ出発、2号線バイパスから岡山空港のほうに、吉備中央町から高梁を抜け(高梁で蕎麦屋の営業時間を確認)、法曽に9時前についた。雨の中、即草刈りに。二度めとはいえ雨なので、足元を確認しながら慎重に刈った。

とはいえ、春に一度刈った場所なので、想像したよりもさほど草、笹が伸びておらず順調に作業をすることができた。ほぼ一時間やると燃料がきれる。補充休憩する。その時、猪風来さんから、生まれて初めてモリ青ガエルの巣を教えて貰った。感動した。猛烈に孫のノアに見せてやりたくなった。

続いて第二ラウンド開始、二人でほぼ斜面を刈り終えることができた。濡れた衣類を全て着かえ、サッパリしてふたりで高梁の蕎麦屋でお昼(Kさんの言葉に甘え、運転をしない私はビールの中瓶を飲んだ。その美味しさは格別だった)をして、午後一時半からのトークイベントに参加、午後三時前猪風来美術館をあとにした。午後五時我が家に着いた。

春と先日、職場以外、猪風来美術館でKさんと共に草刈りをしようとは思いもしなかった。嬉しいという以外ない、想定外のサプライズである。歳を重ね、元気に動ける体の、有り難さはこればかりは歳を重ねたものでないと、実感としてはわからないであろう。その時間を普段週に二回、職場で共有し、仕事以外、何よりも猪風来美術館の斜面を二人して刈れたことの、雨の日の思い出は、水滴のようにきらきらと私の内面で輝く。

翌日月曜日、(Kさんは火曜日と木曜日、私は月、火、木、金)一人で働いていた。午後から雨が降ってきた。倉庫から離れた場所にいたので、そのまま一時間雨のなかで、このところはまっている草取り作業を続けた。二人での斜面草刈りを何度も思い出した。K氏と、この時代の片隅で、このような滅多にない人間草刈りを、共に気持ちよくやれた事の幸堪を(共にケガもせず)、五十鈴川だよりに打たずにはいられない。

そして思う、猪風来美術館の草刈りを、K氏と共にこれからもやれることを、私は願っている。そしてKさんと、一年でも長く共に体を動かし働き、草刈りが出来なくなるまでの時間を共有したいと願っている。


2026-06-06

梅雨入り、曇り空、6月最初の朝の五十鈴川だより。

 昨日午後、名護、屋我地に住む、桑江良健さんからお葉書が届いていた。じっくり何度も何度も読み返している。直筆の文字の、良健さんの文章を読んでいると、わずか3泊4日過ごした、屋我地の風景が忽然とよみがえり、未だに、出掛けて本当に良かったという思いが、老人の体を駆け巡る。

下記に記します。

台風の雨で休んだ日以外は働いていたので、6月最初の五十鈴川だよりである。もう今年も5ヶ月が過ぎたのだが、自分でも、充実した日々が送れていることの幸堪を、のうのうと綴る自分がいる。

沖縄から戻って来てすぐに、長周新聞への依頼された原稿を何とか書き上げ、Gさんに送ったのだが、お礼のメールをいただいた。また、あじくーたーの世界への旅、桑江純子さんから心のこもったメールを頂き、拙文を現すことができた喜びに寸暇ひたった。

充分に、縮んで来つつあるなあと思える、現在の我が体だが、辛うじてなんとか一文が紡ぎだされてくる。停滞すると我が体の水は流れない。桑江夫妻、猪風来ご夫妻に共通するのは、純粋性の極致といっても過言ではない。ひるがえっておのれはいかに。汝自身を知れ、とはなんと深く、哲学的言葉であることかと、いまさらながら駿巡する。

復讐するは我にある、という言葉が聖書のなかにある、ことを知ったのは還暦を過ぎの頃である。(間違っているかも知れない)、小説のタイトルにもなっている。いずれにせよ、ふかい、深い哲学的な全人類の叡知が、今もって思考を続けるテーマである。とてもではないが、私のようなノータリンには、畏れをなして近づきたくはないテーマである。

小さい花が部屋のあちらこちらに。

だからいつものように、話題を変える。またか、と思われても最近は厚顔なのでとんと気にしない。見開き四ページの、小さいが志の大きな長周新聞を愛読している。老人の私をかくも活性化させるのは何故なのか。それは自分のなかで何か訳のわからない、名状しがたい変化、変動が起きている、からである。それを言葉にするのは不可能である。だから、日々の生活の中で行動、実践し続ける、ということぐらいしか今はいえない。桑江さんを入口に、沖縄への旅を続けたい。

長周新聞は、精神のビタミンである。縮みゆく肉体を引きずりながらも、どっこい生きているおのれの肉体の今を、対象化、日々を刻む為の切り抜きが、最近の私の楽しみである。渾身の記事や、連載(太平洋の波間から、パプアニューギニアの原生林の伐採、日本企業の横暴、現地の人々の苦悩を伝えて余りある、詩人金子みすゞの下関、デジタル教科書の是非、などなど、読みごたえ充分である、)投書にもそのかたの人生が浮かび上がり、想像力がいたく刺激される。思わず、紙面を通じて、お近づきになりたい、と思わせるほどに。

ところで、先日私の体の定期検診に行ったのだが、身長が一センチ縮んでいた。あらためての老いを実感したが、縮んだものは仕方がない。数値化された我が体の一覧表をみる。手術退院後、この5年ほとんど変化なし。今日の体でいかにいきるか、がいちばん大切なのである。

PS 昨日夕刻切り抜いた記事の一部を読めないとおもいますがアップしました。切り抜いたがために切り抜けないものは、文字でかすかであれ文字で記録することにしました。平日はまず労働第一、休日は五十鈴川第一で、優先順位で一日をずごす。あっという間に一日が終ります。