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2026-05-27

沖縄愛楽園の交流館で寸暇打つ、記録スケッチ五十鈴川だより。

 25日午後3時に那覇から、軽のレンタカーで名護市済井出屋我地に住む桑江ご夫妻の家に無事に着き、隣接するでんハウス(2DKのゆったり空間)にチェックインした。桑江ご夫妻の家でお茶をいただき、少しでんハウスで休んで、5時半から純子さん手づくりのおもてなしのお料理(里芋、海藻の寒天、豚の内蔵が三種類入った具だくさんスープ、ゴーヤチャンプルーなど)をいただきながら歓談した。

愛楽園は浄土を思わせる地にある。

人形の神様が奉られ、多種類の人形、良健さんの絵に囲まれて、楽しく歓談のひとときが途切れず流れた。お酒も美味しく、私は幸福を堪能した。

お料理に心がこもっていて、全てを完食した。純子さんは一月末長崎でお会いしたときより、お元気そうで安堵した。

夜10自前、おもてなしの宴を終え、梅雨の小雨のなか良健さんが小さな懐中電灯ででんハウスまで道案内してくれた。暗いなかにハブを避けるため、短い距離なのに足元を照らしてくれたのである。

翌日昨日はゆっくり起きてシャワーを浴び、うって変わっての快晴を確認、一気に気分がよくなり、でんハウスは自炊生活が出来るので、純子さんにもらった、コーヒーを淹れ飲んでから、やく10分このところにあるコンビニまでドライブをかねて買い物、パン、バナナ、プリン、トマト、ハイボールなどを買って、戻って二杯目のコーヒーを淹れ朝食をゆったりすませた。

食後、すぐに車で3分の愛楽園の交流館まで行き、らい予防30周年記念、あじくーたーの世界(桑江良健の絵画と沖縄愛楽園の証言集、文芸作品)を見る。愛楽園入所者のかたがたとの、この地、場所でのコラボレーション。来て良かった、一言凄い。見終えて、愛楽園の敷地を散歩する。いきなり海に出る。その遠浅の砂浜と海水の美しさに感動し写真をとる。

なんと愛楽園には食堂があり、そこで黒酢ジュースをのみ(130円の安さでこれが喉にしみた)昼食にトンカツライス、サラダお味噌汁付きを食べた。700円安くて上手くて大満足した。はんせん病施設愛楽園の上に梅雨の晴れ間の陽光が降り注ぎ、さわやかなお天気のもと、私は施設内を、観光気分で散策した。散策しながら何度も来て良かったと思った。

私をおもてなししてくれたお部屋の絵の雰囲気

午後一時半でんハウスに戻り少しお昼寝をして、午後3時すぎ再び愛楽園交流館にへ。行くと良健さんがいて、今回の企画展示を共に進めたS女史を紹介され、ご挨拶ししばし3人で立ち話時間が持て、話していると、長周新聞沖縄支局のGさんご夫妻がこられた。

(長崎でお会いして、一月末以来の再会。あのときの出会い無くば、長周新聞を購読することも、愛楽園に来ることもひょっとしたらなかったかも知れない)

午後5時閉館、でんハウスに移動。昨夜Gさんご夫妻は2階、私は3階。午後5時半過ぎから、桑江ご夫妻、Gご夫妻と私の5人で2階のリビングルームに集合し、Gさんが持参した奥様の手作りのお庭で採れた野菜の和え物、トマトサラダ、ちじみ、ソーメンの炒めもの、お寿司、数種類のお酒での賑やかな高齢者の宴がなんと夜中まで続いたことを五十鈴川だよりに記しておく。今日もい天気がいい。打っていると良健さんが団体27人と共にやってきた。お昼になったので、中断、続きは時間を見つけて明日またうつことにずる。


2026-05-25

桑江良健、純子さんに会いにゆく、出発の朝に思う五十鈴川だより。

 目が覚めたので起きた。沖縄へ出発するまで少し時間がある。妻は休んでいるので猫のように電気をつけず、暗いなか忍び足で台所におりて小さな電気をつけコーヒーを淹れた。

今は夜明けが早いのですぐに明るくなるが、冬は私が起きても暗い時間が長い。若い頃は暗い時間が怖く、苦手だったが、歳を重ねると共に、暗い時間への苦手意識が減ってきた。もっと言えば、闇を大切な時間だと感じるようになってきた。なんといっても泣く子も黙る真っ暗闇は静かである。

非戦争それだけである。

ものを想う、考えるには私にはよい時間なのである。私にとって、寝る前の体と、充分に寝て起きた体は、別の体のようにおもえる。だからよしなしごとが臆面もなく打てるのである。

もう十分に老人の私は、電気もつけずに暗い家の中を歩くのに、細心の注意でもって歩く、言わば闇の中を目に頼らず、爪先に意識を集中し手すりを掴み、一歩一歩二階から台所まであるく。訓練である。

老人になって危ないのは転倒だとこころえるからだ。転ばぬ先の杖、積み重ね、心かけ次第で、この年齢でも体は日々変化する。下り坂の変化を、可能なら前向きに、と考えて安易に電気の明るさに、頼らない面白さを見つけたい、のだ。

話はかわる。4ヶ月ぶりに桑江良健、純子さんに会えるのが嬉しい。未だわくわくする。私とはまったくといってもいいくらい、異なる人生時間を歩まれたご夫妻と出会うことができて、30年、感無量のおもいである。

ご夫妻は私がやって来るのを楽しみにしておられる。もうただそれだけで嬉しい私である。何故にこういう感情が湧くのか自分でもわからない。めったにはあえずとも、絶えず心の中では話しをしているかのような関係性を、一方的に私は良健さんに感じる。

それは日本人である私が抱く、沖縄の心という日本人とは異なるアイデンティティーを、その素晴らしさを、感じるからである。そのような人に出会えなくば、きっと私は物事を、真剣に考えると言うことを、まったくしないままに、沖縄の地を踏む、その他多くの日本人の一人に過ぎずに人生をおえたかもしれない。

そのような事を想うとき、今更ながら、今回桑江良健、純子さん、そしてGさんご夫妻に会えるのが楽しみなのである。沖縄の地の歴史に、謙虚に耳を傾ける。元気な間は沖縄に詣で、現地で物事を思考したい、 のである。

2026-05-24

昨日書斎の整理、処分をしていたら初めてのインドへの旅行記が出てきた、そして想う今朝の五十鈴川だより。

 午前中町内の溝掃除がある。時間まで打つ。昨日、普段は入らない書斎の本の整理、処分(手紙、写真、チラシポスター、アンケートなども)をお昼まで、書斎にとじ込もって進めた。この整理処分は、意を決して今年から始めたのだが、なかなか捗らないのだが、それでもかなり進んでいる。

10ページ綴られている。

自分でも部屋に入る気がしないほど、放置されていた部屋である。思いきれたのかは、いまやらなければ出来なくなるからである。思いでは心に遺し、忘れるものは忘れ、そうでもしないと、想い出に耽る自分でも嫌な老人になる。過去とは思い切って決別(そうはとんやがおろせないのだが)する。ギリギリまで身軽になりたいのである。

まあ、そのような気持ちなのだが、これまでの歩みの整理処分は、その年代、その年代の取り組み、試行錯誤の上に現在の自分が在るのだということを、あらためて思い知らされる。

ガラスの扉のある本棚から1997年、1月20日(月曜)から30日(木曜)まで10日間、東インドのカルカッタ(今のコルカタ)から西インドのアメダバードを旅した、旅日記が出てきた。

もし、整理処分をしなかったら、書棚の奥で眠り続けていたであろうこの旅日記を、再び手にすることはなかったかも知れない。そのようなことを思うとき、あらためて思い切って処分を始めて良かったと、心からいま思っている。そして書いておいてよかった、と。

この始めてのインドへの旅、カルカッタまで、今も交友が持続している瀬政さんが同行している。瀬政さんとはカルカッタで別れ(先に氏は帰国した)私は、ガンジス川、聖地ベナレスまで汽車で一晩かけて行き詣で、そこから飛行機でアメダバードに向かった、のである。

45歳、29年前の旅行記録である。やはり書いておいてよかったと、今更ながら思う。単なる自己満足であれ、自分自身が一番一番嬉しい。45歳の時の見聞、感動が新鮮に綴られている。今日瀬政さんに、この旅行記を見つけたことを、知らせようとおもう。

妻丹精の薔薇🌹(8種類が春を彩る)

話は変わる。昨日、明日から3泊4日桑江良健夫妻を訪ねる旅に行くことは触れた。一月末、長崎でのチョンダラー、お二人の最後の人形劇公演の裏方で参加して以来の再会である。おおよそ4ヶ月ぶりの再会となる。その際の出来事の感動は五十鈴川だよりに縷々綴っている。

綴り打った五十鈴川だよりは、打ち始めて、初めて200以上のかたが五十鈴川だよりを読んでくださった。如何に桑江良健、純子さんのファンが全国におられるかということを私に知らしめた。

また、桑江さんご夫妻の熱烈なファンであられるGさんご夫妻とも長崎でお会いし、Gさんが長周新聞沖縄支局で働いておられるご縁で、長周新聞を購読している、のだ。

そんなこんな、わずか4日の旅なれど、インドへの旅のように、五十鈴川だよりで桑江良健夫妻を訪ねる旅を綴り打ちたいと願う、老人の私がいる。老いてみて初めて覚る下り坂、の喜び。交友歴30年の結びの縁、旅日記が打てれば、との思いがいちだんど湧くのは、インドへの旅行記のせいである。

徒然なるままに、その日暮らし的五十鈴川老人日記に変貌流れてゆきたいのである。そして後は野となれ、山となれ、灰になって五十鈴川から日向灘へと流れ、宇宙に帰依したい、私である。  



2026-05-23

5月23日に打つ、死に向かいあう覚悟が、芽生えつつある今朝の五十鈴川だより。

 いつにもまして早く目が覚め、もう一寝入りしようかと思ったが、仕事はお休みなので起きて、朝湯を浴び、気分が上向いたので、ちょっと五十鈴川だよりという訳である。そばには淹れたばかりのコーヒーがある。

ただ、ボーッと、タブレットの画面を眺め、コーヒーをのみ、夜明け前の、この一時が堪らなく好きである。いまだ暗い静寂の一時、よしなし事が浮かんでくる。まだ生きている、のだなあ、何てことを暢気におもえる気儘さを、老人の私はこよなく愛す。夜が明けてきた。(ボーッとしていると、ただ時が流れる)

ところで、私には絶対矛盾、不真面目な自分と真面目な自分が不足不離で同居している。時折、出口の見えない世界の混沌、不条理の情報にウンザリし、精神の加減、バランスを失いそうになる。

下記に記します

五十鈴川だよりを打たなかったら、と思うとゾッとする。還暦を過ぎ61歳から、いまに至る74歳まで、五十鈴川だよりを打ち続けて(週に1、2回にせよ)きたからこそ、今も生きられているという自覚がある。

前回何を打ったのかなあ、と読み返すくらいで、昔の五十鈴川だよりを読み返すことを私は全くしていない。

それよりも今を、今日をいかにその日暮らしするか、にしか頭が働かない。赤ちゃんの日々が目まぐるしく変化してゆくように、老いゆく晩年時間もまた、一年前とは明らかに異なる、目には見えない変化が忍びよっているのを、とくに今年は感じている。

だからといって、その事をマイナスには捉えていない。当たり前なのだと、至極当然に受けとめている。

もっと言えば誤解されてもいいが、そういった心境に至れた自分をどこか、ことほいでもいる。今現在もなお日々肉体労働がやれる幸福は、老いたればこその功徳と言うほかない。

何度も打っていると思うが、老いは病気ではない。加齢をいかに受け入れ、過ごしてゆくのか、いかないのかに、各々のこれまでの人生の、言わば蓄積が露呈、顕現化するのだと、考えている。だからこそ、一日一日の積み重ねが大事なのである。世の中に出て66年、古希を過ぎて、ようやくこれまでの歩みの上に今がある。

話を変える。明後日から桑江良健、純子さん夫妻を訪ねる。良健さんの画業の回顧展にゆくのである。良健さんは私より4歳年上である。インターネットもしないし、スマホも持っていない。先日もお葉書を頂いた。最後まで絵を描くと文字にあった。全人生の全てを絵を描くことに費やし、捧げて来られた。奇しくも猪風来さんも4歳年上である。猪風来さんもスマホを持っていない。猪風来さんも縄文一途、一筋である。

ながくなるのではしょるが、現世で、時代を超越してあまりある作品群を産み出し続けている、この両名に出会えた(ご夫妻に)ことの在りがたさは筆舌に尽くし難い。その事を一行五十鈴川だより記しておきたい。(孫たちに伝えておきたい)

このような悠久の歴史的時間を見据えた、手仕事、創作者、芸術家、強者(つわもの)二人は、愚者の私にエネルギーを降り注ぐ。草とりしながら、体動かし考え、老いの企画を夢見る。(よしんば企画がならずとも、希望を内にもつ気骨を、お二人から学びたい、何か産まれそうな予感がする)

PS 今日の写真は小堀鴎一郎先生のご本です。先生の本を手にするのは二冊めです。先生は1938年のお生まれなので、私よりも14歳年上である。本の副題、訪問診療医がみた709人の生老病死、とあります。養老孟司先生との対談で、小堀先生のことを知りました。沖縄への桑江良健、純子さんを訪ねる旅に持参することにしました。ちなみに先生は、文豪森鴎外のお孫さんです。

2026-05-20

5月中旬でこの紫外線を伴う気温に思う、今朝の五十鈴川だより。

 旅を含め、外の空気に触れるのが好きなのは、ほぼ10歳くらいまで、天然の空間と場所のなかだけでで成長したからである。ということがよく府に落ちる。道が舗装される以前、まだ手で田植えをしていた、あの幼少期の原風景、原体験の記憶の大きさを老いゆくにしたがって痛感する。

したがって最近の私は、記憶の中の(あまりにも急激に変わった、世の中に体が置いてきぼりをくっている)珠玉の想いでを繰り返し反芻することで、エネルギーをいただきながら、今を生きていると言っても過言ではない。私の娘たち夫婦は大都会に暮らしているが、私には無理である。

私の部屋で自由自在に過ごす花

40歳で中世夢が原に職を得たとき、あらためてそのことが身に染みて染みてよく分かった。

都会でモヤシのように、ほとんど死んでいたかのような我が体は、夢が原でまるで水を得た魚のように息を回復し、あらゆる体を動かす四季の労働のお陰でミルミル元気を取り戻していったのである。

以来、今も基本老いた体を天地に解き放ち、四季、季節の変化に耳を澄ませ、折々の変化に寄り添う暮らしを続けている。

だが、古希を過ぎてのこの四年間の夏の暑さは言葉もない、尋常ではない。5月中旬、すでに真夏を思わせる日差しが、この数日私の体に降り注いでいる。このような熱波が今後数ヶ月以上続いたら、わが体はいったい全体どのようになるのか、いささかの不安をもつ。

体は自然そのもの、直結しているので、気候変動の影響をもろに受ける。我が体を通して思うことは、養老先生が一貫して憂えておられるように、人類の行き過ぎた、都市化便利快適至上生活のつけが、気候変動に影響を及ぼしていると、私は感じる。

自然が駄目になるというのは、自然の一部である人類そのものが、駄目煮なってゆくのは道理である。気づかないうちに快適便利さのスパイラルから逃れられないような構造、仕組みのなかで、私を含めた都市型ライフスタイルを享受しているひとたちに、自然が警告を発している、と私は受けとめている。

ではどうしたらいいのか、個人的に各々が考えて生活、行動するしかない。大きなスパイラルの渦には出来るだけ近づかず、シンプルな生活を心かけるくらいしかないのだが、クーラーによる冷暖房を私はよほどのことがないかぎり使用しない。木陰をわたる自然の風のきもちよさは例えようもない。

ギリギリまで耐える(やせ我慢を面白がる)生活を心がけている、といったらカッコつけすぎか。人は人、自分は自分の体調を見極めながら、人工的なものに頼らず、自分の体で考えて、自分の体が気持ちよくなる熱中症対策を、古希以後続けている。

だが、年々からだは下り坂なので、自分なりの対策を、と今年はいつにもまして考えている。基本は毎度のことだが、一日一日やり過ごす。栄養、水分、そしてよく寝る。昼寝をする。頻繁に水を浴びる。などなどでこの5年凌いできたが、来年はいよいよ後期高齢者になるので、なんとか無事にこの夏を乗りきりたい、とまあ、酷暑がやって来る前に思案している。


なるようにしかならない、とはいえこの熱波対策、私には死活問題なので、努々考え過ぎるくらいの対策で持って乗り切る覚悟なのである。

酷暑をしのいだ、我が体を慈しみながら、オーバーではなくギリギリのアウトドア労働が出来るか、できないか、そのような思いなのである。

今のところ、五十鈴川だよりを打てる。打つことが出来なくなるその日まで、アウトドア労働者で在りたい、と思う。

PS 上の写真は白血病のキャリアを持ちながら10年以上生きている猫の花。老いては猫と共に。まったく自由自在にただ存在している。余分な欲望がない。あやかりたい。

下の写真は千住真理子さんのCD。本当に久しぶりにCDを買い(生で音楽を聴く以外、家ではユーチューブもほとんど見ない、聴かない)時折家で、休日の朝聴いている。従って今も聴きながら打っている。この方の演奏だけは体が許す限り聴きたい。

CDの下に映っている雑誌は、1979年から1987年まで8年間発行された、広告批評大全である。先日書棚の奥から出てきた。ずいぶん若いときに影響を受けた方々の発言や文章が掲載されている。淀川長治さん、山田太一さん、谷川俊太郎さん、橋本治さん、永六輔さん、久米宏さん、はお亡くなりになったが、ほかの方々は、タモリはじめ今も現役で都会に居住ししぶとく活躍している。貴重極まる、まさにあの時代を彷彿とさせる記録である。想いでののなかの私の昭和。

私は都落ちし生き返り、お陰さまでいまも生きている。あの時代の渦から逸脱出来たのは、ひとえにふるさとの大自然のお陰である。


2026-05-17

数年ぶり、長周新聞の記事を一日費やして切り抜いた翌朝の朝に思う、五十鈴川だより。

 よもやまさか、この年齢で新聞記事を切り抜くことを再開しようとは思わなかった。何故再び切り抜くことを始めたのかをくどくどと打つことは控えるが、自分の心がざわついたり、知らなかったことを教えられたりしたことを、読み流すのではなく、個人的記録として、遺したい、と考えたからである。

瀬政さんから送られてきました

長周新聞は月曜、水曜、金曜週に3日郵送されてくる。すでに3ヶ月半、40部以上新聞が届いている。そのうちの30部、昨日夕刻までかけて、妻にもらった不要な紙に切り抜いた記事を糊で張り付けた。その数30(表と裏に)となった。残り10部も今日中にやるつもりである。

わずか四ページの紙面の、一面二ページはそのまま残し、残り二ページの主に文化欄の、私が読みたい本などの、紹介記事など、心が動いた記事を主に切り抜きはりつけたのだが、目処がついた今朝思うことは、思いきって切り抜きを始めてよかった、ただそれだけである。

大新聞を手放した後、このまま長周新聞に出会わず、ずるずる老いゆく時間を自分の好きなことにのみ費やしていたら、視野狭窄の、片寄った思考に陥っていたかも、と改めてかんじいっている。切り抜くとき、嫌でもじっくりと文字を追う。(集中力持続時間が老いと共に弱くなる、全く肉体労働も同じである)

一度眼にした記事を再び読む。これが大事だと改めて知る。老い往く体と脳に刺激が伝わる。その気持ちよさが在るから出来る。日本に限らず、世界の無数の民、見知らぬどなたかと対話、繋がっているかのような安堵感を覚えるのである。


地に足を付け、踏ん張り、普段の私の生活圏では聞くことのでできない、話をすることが不可能な人たちと紙面を通じて、言わば繋がる共有感覚が生まれ、そのことが私に切り抜きのエネルギーを与える。

話は変わるが、長周新聞のコラムで芸人の清水ミチコさんが津軽海峡冬景色の替え歌動画、ホルムズ海峡冬景色のことを知った。直ぐに妻に話したら(私は世ほどのことがないかぎりユーチューブほかの動画サイトは極力避けている、簡単に見れるものは簡単に忘れるからだ)すぐにつまがアップしてくれた。

そのことを十数人の友人に伝えたら、Kさんがすぐに動画を送ってくれたので、その動画をすかさず友人にまたもや転送(それくらいは私も出来る)したところ、5名の方からリスポンスをもらった。どっこい皆反応がいい。そのような関係性の友の不在はあまりにも切ない。(バーチャルの良さも最近とみに感じている)

全然無反応なかたもいるが、それはそれで良いのである。ただ私は共有感覚、ものの見方、世界への問題意識、世界の痛みへの想像力を見失わない営為を、ささやかであれ続ける人たちと連帯したい。それだけである。

とまあ、今朝はこのような五十鈴川だよりになった。




PS 上の写真は盟友瀬政さんから送られてきた。山陽新聞を購読していないので知らなかった。だが伝えてくれる友人がいる、その事が一番大事なのである。本音で語り合える、バーチャルであれリアルであれ、深みのある関係性の(滅多に会えなくても)友、ここぞと言うときに会いたくなる人をこそ、ますます大切にこれから人生を歩みたい。下の写真は、つまりこのように切り抜いたのです。

2026-05-16

長周新聞購読で、無数の民の今を生きる声に耳を澄ます、今朝の五十鈴川だより。

 一月末、桑江純子さん、良健さんの主宰する、人形劇かじまやあの最後の公演にスタッフとして参加した際、Gさんという方と出会い、そのご縁で長周新聞(沖縄支局で働いておられる)を購読し、3ヶ月半になる。


わずか四ページ、良心的なわずかな広告と購読者のみによって支えられている新聞である。コンパクト読みやすい。老人の私を活性化する記事で紙面が埋められている。購読料も安く、年金と肉体労働で、好奇心を失わず、なるべく気持ちの上向く生活を心かけている私にとって、いまや欠かせない、ビタミン新聞となっている。

よくぞ書いてくださった、という一般市民の(知的レベルの高さに驚かされる)投稿や、レアアースとい鉱物に関する連載ほか、世の中に出て、50年以上朝日をはじめとする大新聞しか購読していなかった私には、週末まとめて、新聞を読むのが、いわば私の老人生活の楽しみとなっている。

いわば大新聞を手放したら、小さいけれども、良心と志の高い地方発の新聞に出会った、その幸運を記さずにはいられない、今朝の五十鈴川だよりである。思えば我が人生、手放すと新しい出会いがまっている、とでも言うしかない幸運に支えられて、今も生きている。

執着しない、ギリギリまで事を進め、頃合いを見て諦め、次なる道を歩んできた。そのことに全く悔いはない。私の場合、人生は選択と決断、判断の繰り返しである。今現在もそのような本能的感覚優先でその日暮らし老人生活をしている。


カッコつければ、演劇のレッスンで教わった、虚実皮膜の間を(いい加減)生きる方法を未だに実践し、多くの偉大な先人たちが歩んできた、大きな渦の外にいて、少数者の側からの視点を揺るがせにしないということである。

其のような歩みの結果、つくづく有り難いのは、その都度擬態というか、変身生活、脱皮しながら一貫しての我が歩みに共感してくださる方たちが、存在していることである。利害関係がない。我が交友関係性はお互いが、時代のなかで、その都度の年齢を移ろいゆきながらも、移ろわない思考を持続している方たちとだけ交友が続いている。

その筆頭桑江さんご夫婦とのご縁無くば、長周新聞にも出会わなかっただろう。老いと共に出会いは減ってゆくのは道理だが、一回こっきりの人生で繰り返し、問題意識を共有する、思考錯誤、日々生きなおす友人(数は少なくとも)を持てていることに対する、感謝、幸福感は例えようもない。

話を戻す。そのような関係性を持続するのはやぶさかではないが、よしんば関係性が間遠くなっても、それはそれで良いのである。人それぞれの生きる場所は異なり、皆それぞれの日々を必死で生きているのは当たり前だからである。私は私の体を運ぶだけである。

PS  今朝の写真は一番新しい5月13日の長周新聞の一面、上下です。読みにくいのは承知でアップします。このところ、近しく感じている友人面々にラインで(ほんの少しですが)私の体に届いた記事ほかを、転送している。反応に人間味、人間性が垣間見えます。嬉しい意外な一面が。

五十鈴川だよりを打てる間は、大都市に本拠を置く、大メディアではなく、地方発、もっといえば、世界の果たて、辺境の地から中村哲先生のように、たった一人で発信しつづけた人の声に耳を傾け対と私は思う。








2026-05-13

朝一番、10日に植えたさつま芋の水やりに行ってきた後に打つ、今朝の五十鈴川だより。

 5月の朝の気持ち良さは格別である。夜は加齢に従い、エネルギーが切れるが、一晩ぐっすり眠れば、さあ今日も体を動かすエネルギーが充たされていて、別の体になっている。10日に植えた(30本の苗を)ばかりのさつま芋に水やりに行ってきて、今度は自分の体に水をやるように五十鈴川だより、というわけである。


ところで、先日図書館でたまたま、ボクは日本一かっこいいトイレ清掃員、という本を読んで感動した。その内容については割愛する。読みにくい本、読みやすい本、種々あれど、本を読まない生活はまず私にはあり得ない。(読書の枠を取っ払い自由自在にてにする)、基本、今を生きる私にとって栄養になる本をよむ。

古稀以前の読書とはずいぶん手にする本が違ってきている。かなり片寄った本を読んできた反省から今まで手にしてこなかった、例えば料理に関する本なども。

何度か打っているが、記憶の幼少気期の我が家には、子供が手にする類いの本、絵本など皆無であった。

我が姉兄弟は、全員保育園も幼稚園もいっていない。その当時の門川ではそれが普通であったのである。調べてはいないが、保育園や幼稚園に通えるのは、経済的にゆたかな家庭の子供に限られていた、と思う。小学校に入学し、いきなりわんさかの同世代男女と出会った時の驚きは、まさに衝撃的であった。

話を戻す。そのような私が、原体験をどのように克服し、今では活字中毒(心身をゆたかにする)、と言える人間になってしまったのかを記すのは長くなるが、少し記すと、本を読むことで、想像力がうんと刺激されたからだとおもう。知的刺激の面白さ、本を読まなかったら、翻訳のシェイクスピアをよむこともなく、英国に遊学することも、アフリカ、インド、アジアを旅することも無かった。(想像力と感動力だけが我が取り柄である。)

青春期から持続的に本を読み続けてきたお陰だとおもうが、中世夢が原に職を得、企画をするようになって、生まれて初めて原稿の依頼をうけたのだが、自然と一文が成せたのも、本を読んできたからだと思う。読み書き語る。

この3つでかろうじて、この基本が有って、そのお陰で我が体もだんだん丈夫になり、いまもこうして動けているのだと自己認識している。読書はだから我が体の根幹を司どっているのだ。

妻丹精のキングローズが咲き始めました

再び話を戻す。感動した、ボクは日本一かっこいいトイレ清掃員は、岩波ジュニア新書である。以前だったら図書館でも素通りしていたかも知れない。孫たちのお陰で、絵本、子供の本のコーナーにゆく頻度が増え、そのことが私の読書に新たな彩りを、豊かさを与えてくれている。

幼少季、(教科書が読書だった、多分それだけはよく読んだのだ)手にすることがなかった、定番の本例えば、赤毛のアンなどの本も孫が読む前に、自分でもにわかに読みたくなっている。そんなこんな、未だ生活しながらなので、ようよう読書時間も限られてくるのだが、ジュニア版なら難なく読めるのが有り難い。絵本も目が疲れず(とても眼にやさしい)

老いてからいよいよ、大きな文字で内容のある、古くならない、珠玉の古今東西の物語を読める幸福を最近とみに感じている。

2026-05-10

五月晴れ、玉葱収穫し、我が庭でランチをし、お茶を飲み、昼寝をし、本を読み、音楽を聴き、休日をすごす。

 休日は、ほとんどなんの意味もなく、五十鈴川だよりを打つことから始まるようになってきている、最近のわたしである。

24年前の本、戦争だけは非である。

昨日も打ったのに、今朝も打つのはもはや老いのコンディションづくり、体の機能調節というほかはない。とはいっても、取り立ててて打つに値する一文を、などという気も、能力も持ち合わせてはいないことを、私は自覚している。

が私は、徒然なるままに、紡ぎだされる、ようよう湧いてくる言葉に励まされ、自分で自分と対話しながら打っている体なのである。従ってほとんど毎回予期しない一文がしだいに生じてくる。そのことがやはり好きなのだと思う。

さて、過ぎ去った月日に求めた本の類いを処分しているのだが、そのことで10年、20年以上前に出版された本をこのところ、改めて再読している。本だけではなく、今となっては貴重な雑誌の類いも、休日の午後、遅読している。

老いやすく学成り難しという言葉を痛切に感じる。が、致し方ない。老いても読みたい、知りたいという気持ちがある、そのことが大事だと、静かな我が生活を慈しむ。そして五十鈴川だよりを打つ。我が慎ましき循環生活、自分が気持ちのいい方向に流れてゆくことこそが大事なのである。

とはいっても、頭でっかちの口先人間にはなりたくない。インプットとアウトプットのバランス感覚を正直に生きたい。頑迷古老の(いずれはそうなるにしても)老人になるのはいましばらく先にしたい。

18歳で、漫然と漠たる不安を抱えつつ世の中に出て、何はともあれ、生活することを第一義に(生きるためには喰わねばならない)56年よく生きてきたものだ。感謝しかない。今もごく普通の生活者という視点を忘れたくはない。そのようなおもいが持続している。だから元気に五十鈴川だよりを打ちつつ生活が成っている、のだとかんがえている。

理屈はともかく、70代の充実、未知の世界をいかに、その日暮らしして過ごせるのか否か、五十鈴川だよりを打ちながら、考え、実践したい。

昨日午前中妻と玉葱を収穫した。土に触れていると実に気持ちがよく心身がリフレッシュする。肉魚野菜、山川海の命を頂いて我が体も生きている、土に触れるとその実感が伝わってくる。命の循環。

その実感、感覚が、スマホ中心都市型バーチャルライフスタイルの人々(私も含めて)には希薄になっている。だから私はあくまでも見えない微生物のすむ、土と(命と)繋がりたい。それを土台にして、共有感覚を有する他者と繋がりたい、のである。



2026-05-09

長周新聞購読丸三ヶ月以上経つ、そして思う、今朝の五十鈴川だより。

 春の朝は老人の私でも眠い。老犬メルの声で目が覚めた。つくづく有り難いことだと想うのだが、古稀を過ぎてからも眠れないということがない。早寝早起きであることは岡山に移住した40歳の頃からだ。

労働する日は、今だと四時過ぎには起きて、休日は五時過ぎには起きている。従って夜は早い。もうほとんど午後9時過ぎには自室に入る。今年から週に3回から4回、平均するとだが、20分程度、就眠体操を今のところ続けている。

言葉がない。

これは以前もちょっと触れたが、千住真理子さんがおやりになっていることを、勝手に真似てやっているだけである。
我流体操。電気を消して漆黒のなかでやる。一日動いてくれた体を労る体操である。効果てきめん、頗る体調がいい。(けっして無理せず体が気持ちよくなるだらだら体操である)

私の場合もの心つく頃から、全て我流を今も(必然的にそういう面白さのようなもの)続けている。無理しても続かないし、好きなことだけは今も続けられている。この年齢でも草刈り他の肉体労働ができるのは、ひとえに体が動いてくれるからである。我が体に感謝する体操である。

養老孟司先生の受け売りだが、人生さんぶんの一は無意識、寝ている。が脳ほか内臓は一瞬の休みもなく動き、働いている。睡眠の奇跡はいまだ深くは解明されていない。従って、いつか人はすべての事を忘れつつ、だからこそ新しい日々を、どこか新鮮に生きている、のだ。

臆面もなく、万座に恥をさらしつつ五十鈴川だよりを打つのは、季節の移ろいの儚さと我が肉体が移ろいゆく様を、点描したいと言う名状しがたい(すぎゆく万物流転の)、いわば煩悩が消えないからだろう。

話は変わる。M新聞購読を2年前から止めたことは何度も打っているが、今年2月から縁有って長周新聞を購読している。庶民目線の地方発の新聞なのだが、今更ながらの我が無知蒙昧さを知らされている。

長くなるので割愛するが、ちょっとだけ打つ。この新聞が折々取り上げる本棚欄は私を打つ。またイラン、ササーン朝、ペルシャの文化大国の歴史も教えてもらっている。ほとんどNHKのニュースでは取り上げることのない国際情勢の多面的な動静が、小さな紙面に写真入りで伝えられる。

アメリカの退役軍人数十人がイランとの戦争を止めるべく抗議声明をだしたこと、先のメーデーで全米500箇所でトランプの起こした戦争にデモを行っていること等、枚挙に暇がないくらいの志の高さでもって知らされる。老人であることは重々承知しているが、思考停止になるには早すぎる。

私はインターネット情報をほとんど見ない、信じない昔人間である。時代遅れを自認している。もっといえば直接情報しか信じない。それでも生活上ほとんど困っていない。気の塞ぐような志を持たないジャーナリズム(中身のない表面的な映像の繰り返しに終始する報道には呆れる)ニュースは見ない。

オープンソース情報、長周新聞(オシントという言葉は佐藤優さんから学んだ)だけでこれだけの世界の情報が、我が体に知らされる。ネット情報には痛みがない。無所属、五十鈴川だよりを打てる間は、地を這うように、庶民感覚目線で、報道の真贋を見究めるアンテナを磨かないと、危ない。(大いに反省する)

血を流すのは、戦争する両国の底辺庶民である。AI無人兵器には心がない。殺傷兵器が炸裂すればおびただしい人間の血が流れる。命ずる権力者たちは痛みがない。それがわたしには気持ち悪く恐ろしい。(嫌なことを他者に命じる人間をわたしは唾棄する)

主義主張は持たない私だが、自分の家族の誰かが戦地で倒れる想像力だけは、戦後民主主義教育を受けたものとしてなくしたくはない。

ある日突然何か得たいの知れないことが、勃発するのではとの危惧を覚える。人類初の原子爆弾は多くの民が戦争遂行に疑問を持たなかった日本の頭上に落ちた。あまりの想像力の無さに沈黙したくなる。お互いの国の生成AI、核兵器が使用されないことを五十鈴川だよりを打つ者として祈る。


2026-05-06

20代の頃に読んでいた本をかなり処分して想う、今朝の五十鈴川だより。

 昨日も午前中は庭木の剪定、草取り、金柑の収穫(半分ほど収穫し、妻が夕刻ジャムのしていた)を二人でやった。さっぱりし、風通しがよくなり、我が心もにわかにスッキリした。我が家の御神木とも言える八朔の木陰でお茶を飲み、しばしジャスミンの香りと薫風に身を置いていると、憂き世のニュースを遠くに感じる。

孫写真.眺めて過ごす.老いの春。

(アメリカのわがまま覇権主義は眼に余る、心なしか老いの翳り、八方塞がりをトランプに感じる、世界の民は報道以外の見えない世界を感知している)

手の届く範囲を耕し、満ち足りる喜び。要らぬ情報に振り回されずに、目の前の庭先で展開される春の息吹を老夫婦二人で愛でられることの慶賀を、五十鈴川だよりに打たずにはいられない。

混雑時の外出は今後もう出掛けたくない。お金も出かける時間も不要、我が家の内と外で過ごすGW時間を夫婦で大切にしたい。

巨万の富をいくら積んでも買えない。春の息吹、風、空、薔薇の蕾が開く、崇高さは例えようもない。

一杯のお茶を、いただける有り難さ、その喜びをシェアできる人が、身近にひとり存在すれば、幸福である。そういう意味で、臆面もなく打っておく、今年のGWはとてもよき時間がすごせたことを。

さて、昨日も午後二時間位、書斎の本棚の整理処分をした。何事も後回し、先伸ばしにしておくと、つけが自分自身に回ってくる。一昨日処分第一回が成せたことで、徐々に気持ちが落ち着き、暑くなる前に前期の整理処分、後期は秋にやろうと考えている。

つくづく平和の尊さを想う春

80代半ばの頃、中村メイコさんが大事な写真から思いきって処分した旨のエッセイを読んだことが大きい。

女性の平均寿命は男性よりも高いので、男の私がこの年齢で、蔵書(大したことはない)やお手紙や葉書、写真を処分するのは時宜に叶っている、とわたしは思っている。やれる時にやっておく。つまりはそれに尽きる。うじうじするのは苦手である。

悩んだら飛ぶ。身を捨ててこそ、新たな体が生まれる、そのような人生を歩んで来たので、本や、お手紙、パンフレット、チラシ、写真とう(絶対捨てられないものだけを残しつつ)還暦までに溜まっていた物は(娘たちには無縁の物)手を合わせ、処分することにした。

不思議なことに、行方不明になって探していた本が本棚の奥から出てきたり、やはりこの本は元気なうちに読んでおかねばと思える本にも新たに出合え、思い切ることの大事を今さらながら知る。やらずに悔いを残すよりやっておく、のだ。

雑巾で本棚の溜まりに溜まっていた、埃を拭き取るだけでも気持ちがよい。縁有って巡り会えた書物、手を合わせ紐で縛る。時代は流れる。目まぐるしく変容する。感傷にひたってはいられない。

PS 今日の写真は上が長女と次女の息子、望晃(ノアは3月で8歳になったばかり)、と葉(7月で4歳になる)ノアは葉を弟のように可愛がっている。下の写真は5月2日に3歳になったばかりの未彩(みあ)と葉。GWの写真である。可能なら2ヶ月に一度くらいは孫たちに会って、それぞれの成長に立ち会いたい、と考えている。一番新しい生命、風香は次女の許可をもらって、五十鈴川だよりに折々、掲載したい。いましばらく爺バカを満喫したい。

2026-05-05

GW、妻と庭木の剪定そのほかの体動かし手入れ作業、午後はお互い自由気ままに過ごし、夜はお互い早々に眠りに落ちる。

 GWも今日も含めてあと二日である。あたりまえだが一日は、不変である。前回も打ったが、普段手が及ばない、繁った月桂樹やスダチその他の枝木の剪定や片付けなどを妻と二人でやっていると、一日は穏やかに過ぎてゆく。有り難いよきGWを過ごしている。

この年齢になると、休日は妻とやれることを一日に一つでもやれる時間を大切に過ごしたいと、私は考えている。70代になって、(手術したことが大きい)年ねんその思いは深まっている。

不滅のジャスミン

わずかな庭木なのだが、キンモクセイの枝木も数年しないでいると、まるで自分の体の手入れをしていないかのように、なってくる。体の手入れのように、我が家のささやかな庭の手入れ、妻の手だけでは及ばないあれやこれやを、共にやれる時間を大切にしたい、のだ。

久しく剪定していなかった月桂樹(生命力の塊)の枝木を剪定しただけで、すっきり、ずいぶん風通しがよくなった。月桂樹の枝木で見えなかったが、妻が長いこと大切にしていたジャスミン、昨年ほとんど剪定したはずなのに、一部分がしたたかに残っていて、香りとともに見事に咲き誇っていた。早速妻が家の中のあちらこちらに活けたら、なんとも言えない香りが家中に充ちる。

老いゆく二人の春の時間の過ごし方、ささやかに庭木や妻が丹精している数本の蔓薔薇や季節毎に植え替える花ばなの処し方の手伝いも、我が喜びである。妻は明日仕事なので、妻とのGWは今日までなので、今日は午前中庭の草取りと金柑の収穫などをする予定である。

ところでこの二日間、午後もう今となっては、手にする事もない数十年本棚に鎮座していた主に20代から30代のころに買って読んだ本、(重たい写真集なども)50冊位処分した。折をみて、少しずつ処分し、どうしても手放せない本、(もうおそらく読むことはなくても、背表紙を眺めるだけでもおいておきたい本)はいましばらくおいておくことにした。

GW、思いきって幾ばくかではあれ、我がこれまでの人生で手にしてきた本を手放せたことは大きい。演劇雑誌など東京の神田の古書街であれば引き取ってもらえたかもしれないが、ここは岡山、処分した。若い頃の思い出のつまった青春時代の本や雑誌、残しておいても娘や孫たちにはきっと無縁だと思うので、決心がついた。

最初の処分が出来たことで身軽になってきた感がある。思い出、思い入れは大切であるが、娘や孫たちには全く関係ない。あくまでも私のなかでの出来事なので、自分の中で昇華できれば事足りる、そのような心境にようやくなったのである。

この世のお別れまで、囲まれていたい本は、据えおく(処分費用は残しておく)ことにし、今日の午後も本を、少しずつ処分し、可能なら年内に、今の本棚の本を半分位にしたい。そして身軽になりたい。

執着することをやめたい、のである。もっといえば手放したい思いと、手放したくない思いの間をいましばらく揺蕩いたいのである。まことにもって、自分と言う器はやっかい、矛盾そのものの総体である。

そんなこんな、五十鈴川だよりを打ちながら、揺蕩いたいながら、私の5月初旬の今は流れてゆく。

2026-05-02

薫風に誘われ、布団を干し、我が部屋、トイレ、ほか雑巾掛けをした後打つ、今の五十鈴川だより。

 昨日は春の嵐かと思いきや、狐の嫁入りの晴れ間、そして雷を伴うにわか雨、そのようなお天気の中、合間合間なんとかカッパをきて働くことが出来た。

そして今日は一転の五月晴れである。。お隣の家の五月の花が満開である。明日は雨の予報なので晴れの一日を大事に過ごしたいとおもう。

今朝気付いたのだが、郵便受けに今は山形に住むKさんからお葉書が届いていた。2012年東北岩手県の大槌町で未曾有の震災のボランティアを、たった一日ボランティアしただけなのに、淡い交友が続いている。

Kさんからのお葉書、嬉しく有り難い。

今回の山火事で私のことを思い出された様子でのお葉書だった。お葉書にはお葉書で、私もまた近況のお便りを書くつもりである。私には数回しかあったらことがない方なのだが、強い縁を感じる方が何人かいる。

共通するのは、地に足をつけて大人(おとな)しくきちんと生活をされていて、浮わついたところが微塵感じられない、ということである。

私はそういう知人、友人から特にコロナ以後、学びながら生きているといっても過言ではない。コロナ以後、友人知人の関係性が大きく変わったことはまちがいない。体が変われば世界も変わる、との言葉を文字で知らしめたのは養老孟司先生である。人間は不確かな実在で、病気になったり、大切な人を失なったり、孫がうまれたり、との経験、未知の世界をくぐり抜ける度に、流転しながら昨日の自分とは異なる自分になって存在し続けている。

話を戻す。数回しか会っていないKさんにも、お葉書を眺めているうちに、あの日瓦礫の撤去を共にしたあの地区の風景が甦ってきた。元気なうちに会いたくなった。富良野塾の縁切れない仲間もそうだが、体を動かし共に苦楽を経験した間柄は、ただ楽しいことだけの縁とは、やはり異なる。

さて、今日からごGW、五連休である。が、私も妻も何の予定もない。ほとんど家で過ごすつもりである。庭木の剪定、ほかふだんはやれない家の中、外のKとをやってほしいと妻に頼まれている。老いてはよほどのことがない限り、妻優先で事を進める。もう10年以上夫婦二人暮らしである。

今日は、長女の娘未彩(みあ)の3歳のお誕生日である。昨日は長女の旦那さん、レイさんの40歳のお誕生日であった。私が岡山に移住した歳である。あれから34年、まさに光陰矢のごとしである。レイさんにお祝いのメッセージを送ったら、感動的なお返事メールをもらった。

親バカ、爺バカを自認している。このような能天気さは老いてますます顕著であることも自覚している。でももう自然に流れる自由自在五十鈴川は、ある日突然、決壊(うてなくなるまで)するまで、指に任せて打つのである。

PS GW、打つのではなく、久しく会っていない友にお便りが書きたくなった。紛れもなくKさんからのお葉書の影響である。手書き文字の力はやはり凄い。私もKさんにあやかる。