今年は岡山に移住して以来、夫婦二人だけで過ごす初めての、お正月になる。そのためにいつもはなら帰省してくる娘たち家族のお迎え準備ほかで、慌ただしい年の瀬を過ごしているのだが、これほど落ち着いて静かな年の瀬は初めてである。
身を捨てて・浮かぶ背もあれ・師走かな |
その事を、私はただ事実として前向きに受け止めている。このような大移動混雑時に帰省しなくても、帰省できる時節や都合のいいタイミングで、余裕をもって帰れるときに帰ってきてくれれば、もうそれで十分なのである。年に数回家族が行ったり来たりすれば、数ヵ月おきに孫たちの成長にふれあえる生活がキープできれば申し分なしである。
若い頃、不安定きわまりない生活を余儀なく生きていた私は、よもや家庭に恵まれ、子供に恵まれるなどということは思いもしなかった。
34歳で富良野塾を卒塾した私はひたすら平凡な生活者になりたかった。今の妻と出会い、37歳で父親になり40才で岡山に移住、背水の陣新しい仕事に没頭し、金銭的には余裕がなくても、妻のおかげで充実した子育て生活を経験させてもらい、その事は我が人生に言葉に尽くせぬ恵みをもたらしてくれた。
この岡山の地で娘二人は信じられないくらいすくすく育ち、学業を終え巣だち、それぞれの家庭を持ち、私自身も妻も新しい生活へと再出発した。5年前長女に最初の子供が授かり、私はおじいさんになった。穏やかな生活が続いていた矢先のコロナ禍、世界がパンデミックに突入した。
時は流れ、あれから4年近くコロナが5類に指定され、普段の生活に戻りつつある今年の秋、ウクライナに続いて、今年秋パレスチナとイスラエルの間で正視に耐えない終わりの見えない戦争が勃発し続いている。
この間、(コロナが5類に移行する前)69才になったばかりの2月、私自身が人生で初めての大きな手術を経験した。この経験は大きかった。同じ年の7月24日、次女に初めて男の子が授かり、まだコロナ報道生活で大変な最中、面会も叶わぬ中娘は出産した。その事は女性というジェンダーの母性のすごさを、私に実感させた。そして今年、ようやくコロナ自粛生活から解放され2023年の今年5月2日、長女に第2子女の子が授かった。その女の子も年が明けるとあっという間に8ヶ月である。
この新しい生命、孫たちの輝きが、昨年今年と2年連続で10年ぶりに企画者の血を目覚めさせ、なんとか企画を成すことができた。人類が抱え込んでいる宿痾、戦争と平和。私ごときの頭ではなんとも絶望的な困難、ややもすると厭世気分陥りがちになる。だが絶望を希望に変える事こそが人間にできる知恵なのだと思いたい。考えられるときに考えておくことを習慣化しやれるときにやっておかないと、後々取り返しがつかない事になるのではという老婆心(老人妄想心)は止まない。
老婆心がすべて杞憂になることこそが、私の願いである。孫たちの笑い声に耳を済ませ、未来のいまだ見知らぬ聴いたこともない世界子供たちや痛みの声にも、想像力を馳せたい。年寄りなりにやれることを、今しばらく模索します。
今年もつたない五十鈴川だよりを読んでくださったかた、心から御礼申し上げます。来年も中庸、よきいい加減な五十鈴川だよりを打ち続けられればと念います。どうかよいお年をお迎えください。